118 / 226

第118話

席に着いた弟を追いかけて、空いていた隣の席を借りる。 「どうした?」 所在無くそわそわしている水樹に、龍樹は小首を傾げながら尋ねた。 龍樹はそう言う意味で自分を愛していたわけではない。 水無瀬はそう言った。それが真実だとしても、龍樹自身は水無瀬に恋をしていたと思っているだろう。 あんな別れ方を余儀なくされて、水無瀬と以前と同じような友人関係に戻るなど、この不器用な弟に出来るわけがない。 あの時水無瀬と番になったのは、事故なんかじゃなかった。 水無瀬に脅された、というのがもちろん大きいけれど、水無瀬を好きな自分が欲を出した。 脅しに屈したふりをして、自分の欲に屈したのだ。 水樹は少し迷いながら、口を開いた。 「あ、の…龍樹。ごめん俺、俺水無瀬と、番に…」 言ってしまおうか。 水無瀬はもうきっと龍樹を傷つけたりしない。傷つける理由がない。水無瀬は理由もなく人を傷つけたりはしない。 嘘をついている方が龍樹を傷つける気がした。 水樹が口籠っていると、温かい手がさらりと髪を撫でた。 「なんだよ、今更。」 優しい優しい微笑みで、くしゃくしゃと髪を撫でてくる弟。温かい手だ。心地の良いその手に、水樹はそっと目を閉じた。 「それに、あの時1番傷ついたのは、お前だろ。」 水樹は一つ、頷いた。 言えない。 今言ったら、嘘を悪戯にバラすだけだ。嘘をついている罪悪感から自分だけが楽になって、水無瀬の心遣いも龍樹の決心も全てが無駄になる。 きっと、一生嘘を突き通すことが、龍樹のためだ。 「ごめんね…」 嘘を吐いてごめん、龍樹。 嘘を吐かせてごめん、水無瀬。 二重の意味の謝罪に龍樹が気付くわけもない。くしゃくしゃと髪を撫でていた昔と違う大きな手は、今度は水樹を僅かに抱き込むようにして後頭部をポンポンと叩いた。 「あ、水樹、遅かったね?僕お腹空いちゃったよ。」 イチゴオレを手にした水無瀬が柔らかな声と笑顔で、その場の空気を変えてくれた。 水無瀬は水樹から弁当を受け取ると、龍樹の目の前の席に腰掛けてその場で弁当を開く。 「時間も時間だから、水樹もここで食べていきなよ。」 ね、という甘やかな誘いの声に、水樹もその席を立つことができなくなってしまった。 それは隣にいる龍樹も同じようで、水無瀬は二人を交互に見て嬉しそうに微笑んだ。 「毎日じゃなくても、さ。またみんなでワイワイ食べようよ、大人数で食べると美味しいじゃない。」 ね、と微笑んだ天使の麗しさに、感嘆の溜息。 その日を境に、また龍樹の分の弁当を作るようになった。 凸凹だった3人の関係が、歪ながらも丸く収まった日のことだった。

ともだちにシェアしよう!