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第124話

「義理よ義理。義理なの。」 ブラウニーを焼いている間に二人で洗い物をしていると、ポツリと奈美は語り出した。 「藤田くんに失恋してすぐね、グラウンドで藤田くんを眺めてたら…なんか泣けて来ちゃって。それを佐藤先輩に見られちゃってさ。物凄く親身に話聞いてくれたの。その時のお礼よ。」 それはきっと、去年の話。 諦めきれない恋心に決着をつけようと藤田に玉砕覚悟のバレンタインを決行した直後の話だろう。 そしてその頃は、丁度。 「…自分も失恋したんだって言ってた。」 水無瀬と想いを通わせた頃。 水樹が、ハッキリと佐藤に別れを告げた頃だ。幸せになれよと言ってくれた佐藤が、本当に水樹を想ってくれていたのを痛感した。耳を覆いたくなる酷い言葉を浴びせたにも関わらず、だ。 あの時佐藤と別れを告げてから、佐藤とは何事もなかったかのように当たり障りのない先輩後輩関係に戻り、そして佐藤が部活を引退して接点を失った。廊下ですれ違うこともなく寮で出会すこともなく、佐藤の卒業を目前にしている。 「佐藤先輩、本当にあんたのこと大事に想ってるのね。番の前で幸せそうに笑うようになったから、俺が付け入る隙がなくなったって言ってた。」 洗い物を終え一息つこうと紅茶を淹れると、先にテーブルについた奈美が微笑んだ。 ホッとするような温かな微笑みは、奈美自身が安心しているからだろうと想像出来る。 「私もね、ずぅっと心配してた。水樹ボロボロだったから。でも丸く収まったみたいで、よかった。」 水樹の入れた紅茶をありがとうと言って一口飲んだ奈美が、少し苦い顔をする。渋かったかと思ったが違うと気付いたのは、すぐ直後のこと。 「私ね、あんたと天使様が番になってすぐ…文句言ってやろう、必要ならはっ倒してやるって思ったことがあったの。特進の教室まで行ったのよ、それなのに…」 グッと唇を噛んだ奈美が、ひとつ深呼吸して再び口を開いた。 「あの時初めて水無瀬 唯を近くで見て、一瞬だけ目が合って…怖気付いたの。なんていうか、あの圧倒的な雰囲気っていうか、冷たい視線が怖くて…」 そして逃げ帰ってきたのだと奈美は謝った。 真っ白い肌に表情をひとつも乗せず完璧な美をたたえる水無瀬は、確かに怖い。水樹も、水無瀬の無表情には言葉を失う程だ。 加えて奈美はΩだし、αの水無瀬に恐怖を覚えるのは当たり前のこと。謝ることは何もないのにと水樹は視線を落とした。 「ごめんね水樹、私なんにも力になってあげられなかったよね。」 奈美が少しだけ涙声でそう告げた直後、オーブンが鳴った。けれど、奈美はその場を立たなかった。 水樹はオーブンから出来立てのブラウニーを取り出し、湯気を立てるそれを一欠片奈美の口に放り込む。 「奈美がいてくれなかったら…俺、きっと今ここにいないよ。」 佐藤が、龍樹が、そして奈美がいてくれたから。あの一番辛かった時期を乗り越えられた。 間違えようがないその事実。きっと水樹は、一生奈美に頭が上がらないだろう。

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