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第127話

寒さが少し和らぎ、3月になった。 厳しい寒さとは裏腹に穏やかな日々が続き、梅の花が散って桜の花が咲き始めた。 「卒業、おめでとうございます。」 満開には至らない8分咲きの頃、佐藤の卒業式が終わった。 佐藤と一緒に過ごした日々は、水樹にとってかけがえのない『平凡』な日々だった。 発情期に当てられて襲われたという事実は消せないが、それをもってしても、部活の先輩であり僅かな期間恋人として過ごした日々は、キラキラ輝く想い出だ。それはまるで、ターコイズのような強いエネルギーを持った輝き。 制服の胸に造花を一本刺した佐藤は、卒業証書を片手に、見慣れた爽やかな笑みを浮かべた。 「ありがとう。」 水樹はその笑みに少しの哀愁を感じたものの、それを突き詰めることは出来なかった。 その資格を、水樹はとうに失っていた。 「…なぁ水樹、一本付き合ってくれないか。」 佐藤がクイと親指で指したのは、グラウンド。佐藤と水樹が過ごした陸上部の活動場所だ。 「俺が先輩と100mやってもお話にならないですよ?」 「お?なんだ逃げか?」 「いや逃げっていうか妥当な判断…」 「しょーがねーな、じゃあ間を取って1000m付き合えよ。」 「うわしんど…」 確かに間を取ると妥当なのだが。 全力で走れる距離でもなくペース配分する程の距離はない1000mなんて一番やりたくない種目だ。 が、断れるはずもなく。そして勝てるはずもなく。しかし意外にも僅差であった。 「俺さぁ、高校からスポ待でここきて…2年になって、入部してきたお前見た時、すげーびっくりしたの覚えてる。めっちゃ明るいし、めっちゃ足速いし、普通に人気者だし。なんだこいつ本当にΩか?ってさ。」 制服のままグラウンドに座り込んで、少し太陽が西に傾き始めた空を仰ぎ、佐藤は語り出した。 「中学ん時の同級生にもΩはいたけど。そいつら…俺の知ってるΩとお前は、掛け離れてたからさ。」 勉強が苦手で、運動音痴で、要領が悪くて根暗な性格。 世間一般のΩのイメージは、こんなところだろう。偏見もいいところだが、強ち嘘とも言えない。 己がΩと知って絶望し、未来に希望を見出せなくなった。差別を嘆き努力をやめて、内に篭り他者との接触を避けた。 そういうΩが、これらのイメージを作っている。そしてそういうΩの気持ちも、わかる。 何も言えずにいた水樹に、佐藤はまっすぐ向き直った。 「お前のこと本当に好きだった。ありがとう。」 少し陽が落ちて気温が下がり、冷たくなった風が2人の髪を揺らした。 その風が止んだとき、佐藤はニカッと満面の笑みを浮かべた。 すぐに立ち上がってパンパンと制服についた砂を払うと、荷物を手にして水樹の肩をポンと叩いて、一歩踏み出す。 「じゃあな。番と仲良くな。」 佐藤は一度も振り返らずに、去っていった。

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