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第128話

佐藤の後ろ姿が見えなくなっても、水樹はその場に座り込んでいた。 水樹たちの通うこの学校は僅かな高校からの外部入学を除き中高一貫校だが、大学付属ではない。各々将来のために大学を探し選びそして受験する。短距離でスポーツ特待生として高校生活を送った佐藤は、体育大学へ進学するようだった。 「大学、かぁ。」 もう志望校も大体絞らなければならないのに、あまり真剣に考えていなかった。学部も定まっていない。 Ωとわかった誠司との一件が落ち着いた頃から、どこに嫁いでも恥をかかぬよう祖母から色々と教えられた。それ故だろうか、将来就きたい職業について深く考えたことすらない。漠然と自分は大人になったらどこかのαと結婚して家に入るのだと思っていた。 水無瀬と番になったのだから、余程のことがない限り水無瀬と結婚するだろう。 いつ結婚するのかにもよるだろうが、少なくとも水樹が思っていたαの旦那様にお仕えするような専業主夫になることはなさそうだ。 あれ、そういえば俺が水無瀬の姓に入るのか?水無瀬 水樹ってなんか水っぽくて嫌だ。 なんて関係のないところまでなら思考は巡るけれど、肝心の将来については一向に明るくならない。 「…大学、かぁ…」 もう一度ポツリと零す。 日が傾いて、空がオレンジ色に染まり始めていた。 水無瀬は、将来どうするんだろう。 そういえば水無瀬と進路の話はしたことがない。高校も諦めようと思っていた水無瀬は、水樹を番にした今どう考えているのだろう。 水樹と結婚して遺産を手に入れる。そう聞くとなんて外道と思うが、水樹と水無瀬が愛し合っているのなら、そうなるのは自然な流れだ。 収入のあてが出来たのだから、きっと名門校に入って大企業に勤めて、がっぽり稼ぐんだろう。 そして恐らく、両親に楽な暮らしをさせてあげたいのだろうと思う。虐待してきた親なんて、と水樹は思ってしまうが、当の水無瀬自身は両親を、母親を心から愛していることはその話を聞いていればすぐにわかった。 「…帰ろ。」 日が落ちて赤と藍が混じる空を見て、水樹は立ち上がった。 水無瀬は賢い。 いい意味でも悪い意味でも。 水樹があれこれと案じなくても、自分のことは自分で面倒を見るだろう。それこそ、自分のために水樹を番にしたように。 水無瀬を信じて、自分の将来をきちんと考えるのも大切だ。 寮への帰路の間にすっかり辺りは暗くなり、間も無く寮の明かりが見えてくるというときのこと。 「うわっ!」 前からきた誰かと勢いよくぶつかって、水樹は思い切り尻餅をついた。 「あ、すいませっ…え、水樹?ごめん、大丈夫?」 輝く髪を乱してぶつかってきたのは、水無瀬だった。 水樹が大丈夫と微笑んで差し出された手を取り立ち上がると、水無瀬が微笑んだのが雰囲気でわかった。 「ごめんね、怪我してない?」 「うん。どうしたのこんな時間に。」 「…ん、ちょっと野暮用。」 その野暮用をこの時に問いたださなかったことを、水樹は一生後悔することになる。 水無瀬の見慣れた微笑みが歪んでいたことに、暗がりで気付けなかったことを。

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