131 / 226

第131話

水無瀬は翌日の昼前に顔を出した。 何があったのか疲れ切った表情で、目の下にはうっすら隈まで作っていた。大丈夫かと声をかけたら、水無瀬らしくない下手くそな笑みを浮かべた。 「…君の方が、大丈夫じゃなさそう。」 そう言って副作用の残る身体をふわりと抱き締めてくれたのだけど、元から痩せているその身体がさらに細くなったような気さえした。 「…あったかいね、水樹。」 ポツリとそう呟いた水無瀬は、水樹を抱く腕に少しだけ力を込めた。 それでも弱々しい。 「あったかい…」 その声が泣いているように聞こえたのだけど、水無瀬は泣いていなかった。口元は小さく弧を描いていて、その表情はどこか穏やかにも見えた。 一体どうしたの、何があったの。 そう聞きたいのに、吐きすぎた喉が焼け付くように痛い。言葉は声にならず、水樹は両腕を背に回して抱き返すことしかできなかった。 「ごめん、少しだけ…このまま…」 水無瀬はそう告げると、水樹の肩に顔を埋めた。 やがて小さな寝息が聞こえ始め、水樹はその身体を自分が今の今まで使っていたベッドに横たえた。 痩せたというよりは、やつれたようにも感じる。うっすらとできた隈が痛々しい。 もうかれこれ数年はこの美貌を見ているが、こんな姿を見るのは初めてだった。 飄々としていて、食えない性格。 いつも誰にでもニコニコして愛想振りまいて、その心の内を明かすことはほとんどない。 「水無瀬…俺は、頼りない?」 溢れた本音と共に、じんと身体が熱くなる。フェロモンが僅かに立ち上り、水樹はその場を離れた。 番に抱かれたら楽になれる。 けれど、今の水無瀬に抱かれたくなかった。 目の下に隈を作っている人がようやく眠りにつけたのに、起こしてまで自分の為にセックスをさせたくない。 そう思って引き出しから特効薬を取り出したのはそのすぐ後のこと。水無瀬は、寝ていたはずだった。少なくとも、水樹が傍にいた時には確かに寝息を立てていた。 ゆらりと目の前が暗くなる。 それが背後に立つ水無瀬の影だと気が付いた時には、もう遅かった。 物凄い力で首根っこを掴まれてその場に引き倒される。強打した背中の痛みに気を取られている内に馬乗りになった水無瀬に、抵抗が意味を成す筈もなかった。 いやだ、やめて。 こんなのはいやだ。 そう叫んだけれど、水無瀬は聞こえているのかいないのか。ただハッキリしていたのは、泣いていたのは水無瀬の方だったということ。 天上の美貌を悲哀と苦痛に歪めて、ガラス玉のような青い瞳から宝石のような涙を振りまいて。 至高のテノールが血を吐くように、只々一つの言葉を繰り返していた。 ごめんね。 水樹が正気を取り戻した時、水無瀬は部屋の隅で小さくなって眠っていた。頬には涙の跡。 毛布をかけてやろうとして、水樹は息を呑んだ。 真っ白い首に浮かぶ、手指の痕。 起こさないように、身体が触れないように隣に腰掛ける。 目が覚めた時、なんて声をかけたらいいのかを考えながら瞳を閉じた。 そして、水樹たちは3年生になった。 一つの運命が大きく動き出したことを、水樹はまだ知らない。

ともだちにシェアしよう!