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第140話
全身の力が抜けたようにかくんと膝を折った水無瀬に近寄り、震える肩を撫でようとそっと手を伸ばす。その手を掴まれて、グイッと引かれた。
収まったのは、水無瀬の腕の中。
息が苦しいほどの抱擁は、そのまま水無瀬の想いの強さを表しているように思えた。
「どうして、君ってそうなの…」
肩を震わせ、戦慄く至高のテノール。
息苦しいほどの抱擁に更に力が入って、背中が軋んだ。
「突き放しても突き放しても、どうして君ってそうなの…折角、僕が…」
愛している。でも突き放す。
でも結局離れられないのは水無瀬の方。それなのにまた、突き放す。
水樹はようやく悟った。
その根っこにあるのは、求愛だ。
「…嫌われたいわけじゃないんでしょ。俺がどこまでついてくるか、試したいんじゃないの。」
本当に嫌われたいなら、簡単だ。
龍樹に手を出せばいいだけ。
それを伝えると、水無瀬は緩く首を振って否定した。
「龍樹は、関係ない。」
「そうだね。でも本気ならやるよ。俺を手に入れるために好きでもない龍樹と付き合ってた水無瀬なら、やるでしょ。」
けれど水無瀬はそれをしない。約束を守り続けて、龍樹と親しい友人でいてくれている。
その中途半端な優しさは、水無瀬の期待。どうか何があっても見捨てないでという、水樹への希望。
何があっても、水無瀬が何をしても水樹は受け止めてくれるのか、確かめているんじゃないかと。
信じることができないから、確かめるしかないのだ。
龍樹に手を出さないのは、そのラインがボーダーラインであることを水無瀬が無意識にでも理解しているからだ。
「君がそんなだから、離したくなくなるんじゃないか…」
消え入りそうな言葉とともに、きつい抱擁が緩くなる。水樹は自由になった両腕を背に回した。
「離さなければいい。」
水無瀬が息を呑む音。
無音の室内に響くには十分すぎる音だった。
「離れてなんかやらない。地獄の底まででもついて行って、水無瀬と一緒に幸せになる。」
水無瀬に地獄はとても似合わないけれど。きっと地獄だって、水無瀬が立てばそこは聖地と化すだろう。少なくとも、水樹にとっては。
肩に額を預けた水無瀬が、クスッと弱々しく笑った。
「…幸せになんかしてあげられないってば。」
「じゃあ一緒に不幸になる。」
「なにそれ、新手のプロポーズ?」
「どうとでも。」
すっかり力の抜けた身体で、しがみつくように抱きしめられた。
首筋に冷たいものを感じる。
水無瀬の涙だった。
「水樹、あったかいね…」
ポツリとこぼしたそのセリフを聞くのは、2回目。
何か、冷たいものでも触ったんだろうか。よほど怖い冷たいもの。だから、体温にこんなに安心感を得ているのだろうか。
いくらでも温めてやる。
いくらでも感じたらいい。
いつの間にか、水無瀬の震えは止まっていた。
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