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第141話

ゆっくりと背中をさすってやると、水無瀬は肩に預けた額を擦りよせた。 フェロモンが香って、心地いいのかもしれない。まるで猫のようだ。 暫くそうしていると、漸く、口を開いた。 「お父さんがね、死んだんだ。ちょっと前に。」 あっさりとした声で、あっさりと告げられた事実に、水樹は目を剥くことしかできなかった。 そしてついさっきの水無瀬の呟きが脳裏を過る。 あったかいね。 水無瀬は、そう言った。ただ寒さに凍えているようにはとても見えなかったあの呟きの真意。 父親の、冷えた身体に触れたのか。 自然と水無瀬を抱きしめる腕に力がこもる。居心地悪そうに身動ぎした水無瀬は再び肩に額を預ける体勢に落ち着いた。 水無瀬の身体が震えているのか、水樹の手が震えているのかわからない。恐らく両方だ。 「会社クビになって…自殺、だったらしい。」 水樹の時が、止まる。 お父さんが、自殺?心を病んでいたのは、母親じゃなかったか? ぐるぐると考え込んでいる水樹を知ってか知らずか、水無瀬は再び黙ってしまう。だから余計に考え込んでしまう。 だから、気がついてしまった。 あれは確か、佐藤の卒業式の日。 夕方寮に戻るときに水無瀬とぶつかった。野暮用と曖昧に微笑んで去っていった水無瀬は、その後しばらく連絡がつかなかった。風邪を拗らせたと言っていたのを覚えている。 あれは、もしかして風邪なんかじゃなくて、父親の葬儀だったんじゃないかと。 ゾワっと嫌な汗が背中を伝った。 愛する夫を喪った水無瀬の母が正気でいられるとは思えない。もし、もしもこの推測が正しいとしたら。 あの時水無瀬の首に付いていた絞め痕、あれは母親じゃないのか。 当たって欲しくない、こんな仮定。でもそれ以外にあり得ない。首を絞められるなんて早々ある出来事じゃない。 日常的に暴行を加えてきた水無瀬の母親なら、それもあり得るのかもしれない。 なぜあの時、水無瀬を行かせたのか。なぜ何も聞き出さなかったのか。もっと詰め寄って問い質して、何かを聞いていたら。 聞いていたら? 何か、出来ただろうか。 あの時何かを聞き出したところで水無瀬の父が蘇るはずもない。訃報が嘘になる筈もない。精々大丈夫かと声をかけてやることくらいだろう。何の慰めにもなりやしない。 けど、こんなにボロボロになるまで独りで悩ませることもなかったかもしれない。 全て推測だ。 いつの間にか強く握っていた水無瀬のシャツが、シワだらけになっていた。 「水無瀬…」 俺には、何ができる? 問いは言葉にはならない。顔を上げた水無瀬の、こんなときでも優美で華やかな微笑みを見てしまったから、言葉に詰まってしまった。

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