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第146話

沈黙を破ったのは、龍樹だった。 水無瀬と初めて会った時のことを覚えているか、と。 意外な質問に、間抜けな声が出てしまった。 龍樹が水樹の前で水無瀬の話をすることはほとんどない。 まだ恋と友情の区別が曖昧だったとはいえ、元々水無瀬の恋人は龍樹だった。話題にしたいはずがなかった。 それに水樹自身、水無瀬との足跡を思い返したいとは正直思わない。 散々だった。 水無瀬を愛していたから耐えられたが、何故愛が冷えなかったのかが不思議なくらいだ。 そんなことを考えていると、なにかまずかったかと思ったらしい龍樹の顔が曇る。 「悪い、やっぱ…」 「いいよ、なに?覚えてるよ。」 水無瀬を初めて見たのは、忘れもしない中学の入学式。 天使のようだと思った。 本物の天使はただ美しいのだと。 それからただ見つめるだけの日々。今思えばその頃から水無瀬ばかり見ていた。そして初めて会話したのは、しばらく後。 「…怖い人だな、と、思った。」 ガラス玉のような、ひんやりと冷たい青い瞳。あの視線に射抜かれた時の恐怖は忘れられない。 きっと、見極めていたのだと思う。 実家に金があるΩ。 番に、目的のために都合のいい存在かどうか。 今更どうこう言うつもりはないが、元々は、金目当てだったのだから。 あのα独特の視線に耐えられずに、慌てて特進の教室を後にした。Ωの本能が、逃げろと叫んでいた。 他のαに、それこそ誠司にだってそんな感情を抱いたことはない。 αに恐怖したのか、それとも水無瀬に恐怖したのか、未だわからずにいる。 「…よくわかんないんだよ、わかんないけど…でも奈美もあの人怖い無理って言ってたし、水無瀬がαすぎるんじゃないの?」 「αすぎるってお前表現…」 「龍樹みたいに語彙力ないんで勘弁してください。」 もう終わりにしたいという意を込めて両手をあげると、龍樹はそれ以上なにも追求してこなかった。 むっつりと黙り込んで、お茶が入った湯呑みを握りしめている。 もうぬるくなってしまっただろう。 水樹は立ち上がって、放ったらかしにしてあった肉じゃがの続きに取り掛かった。 肉じゃがは龍樹の好物でもある。 水無瀬は濃い味、それもかなり甘めを好むが、これだけ弱っている弟を前にして、祖母に習った通りの出汁を利かせた味付けになってしまうのは仕方がない。後から味を足そうと水樹は火を止めた。 「龍樹、肉じゃが食べて行くでしょ?いっぱい作ったからさ。」 にっこり微笑んでやると、龍樹はようやく顔を上げた。 困ったような、少し泣き出しそうな、水樹に言わせると情けない顔だった。

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