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第148話

随分とゆっくり眠ってしまった翌朝、時計の針は始業時間とうに過ぎていた。隣の龍樹は穏やかによく眠っている。 寝転んだままでもわかるほどに寝癖のついた頭をクシャッと撫でて、起こさないようにそっと布団を出た。 白米をセットして、味噌汁を作る。 卵焼きと、野菜室を漁って適当にサラダを作って、これまた適当なドレッシングを作って。 これだけ動き回っても龍樹は起きない。しばらく待っていたが空腹に耐えかねて一人で朝食を済ませ、結局龍樹が起きたのは片付けを始めた時だった。 「…1時間目の科学、実力考査…」 「うわぁ、それはご愁傷さまとしか言いようがない。ていうか寝癖すっごいよ。」 枕が変わると寝癖が付きやすい。 あちこち好き勝手に跳ねた髪を指摘すると、龍樹は少し項垂れてから洗面所に引っ込んだ。 あれは直すのに苦労しそうだ。思わず苦笑い。 時刻は昼近い。 学校に行くのが面倒くさくなった水樹はスマホを手にして水無瀬に学校を休むから昼食は適当に買ってくれと連絡した。授業中だから返信は来ない。水樹はすぐにスマホを放って、龍樹の遅い朝食を用意し始めた。 少しすると洗面所のドアが開く音がする。 「保温しっぱなしでちょっと硬いかも。龍樹がねぼすけだから仕方ないねー。」 炊飯ジャーを開けて、残っていたご飯を茶碗に盛る。その間水樹は後ろを振り返らなかった。 だから、全く気がつかなかった。龍樹が真後ろに立っていたことに。 「…っ!?」 ガチャン! とけたたましい音を立てて、茶碗が割れた。 恐らく、そっと触れたのだと思う。 しかし水樹の身体に走った衝撃は、そんな生易しいものではなかった。 龍樹の指先が触れたうなじ。 そこにあるのは、水無瀬の噛み跡だ。 水無瀬が触れると甘く痺れ快感の火種になるそこに、水無瀬以外が触れたのは初めてだった。 うなじからビリっと走った電流のような痛みは、脳天を突き抜けて全身の鳥肌を立て、背筋を冷や汗で濡らした。嫌悪にひきつる頬、恐怖に上がる息。 守るように手でうなじを覆って、呆然としている龍樹を見上げるしかできない。 「あ、…ごめ…」 やっとの思いで絞り出した声は弱々しく震えて、龍樹の凍りついた表情が痛みに歪んだ。 心の、痛みだ。 落ち着け。 目の前にいるのは龍樹だ。 まさか自分をどうこうしようなんて思うはずもない、弟だ。 拒絶する必要も理由も全くない。 ゆっくりと深呼吸して、震えた息を吐ききると、水樹の恐怖に冷えた身体は少し体温を取り戻していた。 「なに、なんか付いてた?」 次に発した声は、思ったよりもちゃんとしていた。 「あ、あ…ゴミ。」 「もー言ってよ!びっくりしたなぁ!」 「悪い…」 水樹が撥ね付けた手をじっと見つめる龍樹を、見ないふりをした。 見ていられなかった。 龍樹を傷つけることだけは絶対に許さない。 水無瀬さえ守ったその水樹の想いを、今自分で無碍にした。 傷ついた龍樹の顔を、見ていられるはずがなかった。

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