151 / 226

第151話

「触らせたっていうか、触ってきたんだよ…ん、ちょっ…」 「ふーん。やっぱ殴りに行こうかな。」 「ダメだろ…っ!」 少し強く押したり、優しくなぞったり、そっと撫でてみたり。 まるで手遊びのようにうなじに触れてくる水無瀬の指先はとても心地が良いけれど、その心地良さはある意味麻薬だ。 水無瀬は食べ物で絆されると言うが、それを言ったら水樹なんて指先一つで絆されてしまう。 こうやって優しく触れられたら、絆されるどころかもっとと強請ってしまいそうになる。 その時、ふとその不埒な手が止まった。 「あ。」 と、突如声を上げて。 悪戯にうなじを愛撫していた手によってすっかり息を乱された水樹は、急に変わった空気にすっと冷静になって後ろを振り返る。 水無瀬はニッコリと麗しい微笑みを浮かべた。 「ねぇ、あの時の提案ってまだ有効?」 あの時ってどの時だよ。 全く心当たりのない水樹は怪訝な顔をしてぐるぐると考え込む。その様子を可笑しそうに見ていた水無瀬は、愉しそうに言の葉を至高のテノールに乗せた。 「ほら、番になって僕が龍樹と別れた時のあれ。」 代わりにしたらいいよ、ってやつ。 水樹はサァッと血の気が引いた。 まさかそんな話を水無瀬が今更持ち出すだなんて思っても見なかった。水樹だって今の今まで忘れていた。 水無瀬に愛されて満たされて、自分は元々代わりのつもりだったなんて記憶の彼方に消し去ってしまっていた。 今この場面でその話を持ち出すと言うことは、もしや。 「な、殴る?」 「何言ってるの殴るわけないでしょ。」 呆れたような溜息交じりの答と共に、コツンと額を小突かれる。ちっとも痛くなどないそれは、ただの戯れ。痛くないくせに小突かれた額を摩って見せるのも、戯れだ。 「ただちょっと意地悪しようかなーって。」 「…は?」 「龍樹に意地悪すると君が嫌がるから、代わりに君に意地悪しようかなーって。」 ふふ、と控えめに微笑む水無瀬はそれはそれは眩しくて、それでいてその悪い笑顔は目が離せない程に美しい。 反論する気が削がれるどころか起きもしない。その笑顔の言うままになってしまう魔法の微笑みだ。 水無瀬には揶揄いの類から冗談では済まないレベルまで散々意地悪をされてきたが、こんな風にわざわざ宣言されたことは勿論無い。 一体どういう風の吹き回しで、どういう意地悪を考えているというのか。その無駄に優秀な頭の中身は、水樹では到底推し量れない。 「簡単だよ。」 水無瀬の言葉は基本的に信用ならないが、ここ最近で一番信用ならない言葉だった。

ともだちにシェアしよう!