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第160話
引き摺り込まれた眠りが覚めるのは早かった。
浅い眠りと中途半端な覚醒を繰り返し、完全に意識が戻ったのは髪を撫でる冷たい感触と柔らかな声だった。
「…馬鹿だね、兄弟揃って僕みたいなのに捕まって。」
くすくすと甘やかな笑い声が耳をくすぐって心地いい。このまままた眠りに落ちてしまいたいと思う身体を叩き起こしたのは、その甘やかな声が告げる言葉だった。
「可哀想に。」
かわいそう?
あまりに意外な単語に、水樹は思わず目を開けた。
目を開けてから、その瞼が存外重たくて、まだ身体は睡眠を欲していたのだと知る。そうすると、わざと起こすような触れ方をした水無瀬が少しだけ憎くさえ感じた。
「なに…」
「うわ、すごい声。」
「誰のせいだよ。」
「君でしょ?」
喘ぎ過ぎ、と小さな声で囁いた水無瀬は、トントンと水樹の額を指で叩いた。その仕草に少しも悪怯れる様子はなく、それどころか少し楽しんでさえいるよう。
水樹はごろんと寝返りを打って水無瀬に背を向け、僅かに熱を持った頬を隠した。
「ねぇ。」
しかし程なくして、水無瀬の冷たい手が水樹の柔らかい髪を梳く。
熱くなった耳に一瞬触れた冷たい指の感触は棘のように突き刺さり、発情期の身体に毒を注入していった。
「ちょっと…触んないで。」
「龍樹はまだ引き摺ってるのかな。」
ピクリ。
反射的に跳ねた肩は、龍樹の名前に反応した。
引き摺っている。なにを?
引き摺りそうな出来事なら、いくつも心当たりがある。
水樹はゆっくりと身体を起こすと、ガラス玉のような青い瞳を見た。
幼い頃の誠司との事件。
家族との距離。
水無瀬への恋心。
水無瀬と番になった水樹への嫉妬。
どれもこれも、小さな棘のように龍樹の心を蝕んでいるだろう。それは気にしないふりもできる程度の小さな棘だ。どれも決定的な刃物ではない。けれど確実に痛みを与える。
しかし水無瀬が口にしたのは、そのどれでもなく。
「あの時僕とセックスしなかったこと。」
と、その美しい唇に弧を描かせて言った。
水樹が水無瀬と番になったあの時。
龍樹もその場にいたのだ。αの抑制剤を水無瀬に打たれ、副作用の深い眠りから覚めて水無瀬に犯される水樹の姿を見ていた。
衝撃に震えた龍樹に、水無瀬は追い討ちをかけたのだ。
「混ざる?」と。
水無瀬もヒート状態だったから、あまり気にしていなかった。ただ気持ちと身体が昂ぶって出た言葉だったんだろうと。
そう思いたかったのだ。
あの言葉の真意は、なんだったのか。
龍樹が嫌いだという水無瀬が、ただ悪戯に龍樹を傷付けるために言ったのか、それとも他に何か目的があったのか。
例えば、何かを確かめる、とか。
水樹は少しだけ躊躇して、口を開いた。
「どうして、水無瀬は龍樹の恋が恋じゃないってわかったの?」
水樹でさえ、龍樹は水無瀬のことが本当に好きなのだと思った。水無瀬に否定されなければ今でもそう思っていたかもしれない。
それほどに龍樹が水無瀬を見る目は熱を持っている。
それを何故、見破ることが出来たのか。
「あの時…混ざる?って聞いたのは、何で?」
水無瀬は青い瞳を細めて、その白磁の肌に冷たく暗い影を落とした。
「…目を見ればわかる。」
と。
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