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第163話
退屈な授業を終えてやっとの昼休みは、休んでいた1週間のノートのコピーを取りながらおにぎりを齧って終わった。
そして体育で思いっきり身体を動かして、漸く訪れた放課後。
「あ、落合せんせー。」
足取り軽く図書室の方角を目指す小さな背中を、水樹は極力明るい声で呼び止めた。
振り返って現れた大きな瞳が、水樹を捉えて僅かに揺れる。それを無視してゆっくりと近付くと、無意識だろうか、その人は一歩だけ後ずさった。
「…みずきくん、どうしたの?」
「あ、俺のこと覚えててくれたんですね。」
ゆっくりと近付く。距離が縮まるにつれ、落合の眉間の皺が深くなっていった。
それを見て確信する。
やはり何か、ある。
「先生さ、毎日毎日放課後どこ行ってるんですか?」
「…え?」
「いつも職員室にいないって。」
我ながら意地が悪い。
答えを知っている問いを投げかけるなんて。
今朝方、職員室で偶然聞いた会話。
あれは部活の後輩と落合のものだった。中学の時から勉強が苦手で、その学力の低さになぜ私立の中学にいるのかと疑問に思ったほどの後輩、佐々木。
彼が高校に入ってすぐ、漢字が書けなくて課題を出されていたのも知っていた。
そして落合は、佐々木が今在籍する高校1年生の現国の教師だ。
落合が佐々木に出した課題を、今朝提出していたのだろう。放課後、落合が職員室にいないから。
なら、落合は放課後どこにいっているのか。
図書室だ、と自分で言っていた。
教師が資料室ではなく図書室にわざわざ毎日放課後通う理由があるかといえば、正直水樹にはわからない。
けれど図書室には、龍樹がいたはずだ。
だから、少しカマをかけてやろうと思ったのだ。
「やだな、言えないようなところにいるの?」
「や、その…」
落合は答えない。
水樹も何も言わない。
空気だけが徐々に徐々にピンと張り詰めて、口籠る落合の小さな身体は可哀想なことにさらに小さくなってしまった。
佐々木にはあっさり図書室にいると話した落合が、水樹には言えない理由。それは一つしかない。
あと、一息。
「佐々木が課題出したいのに会えないって。」
「へ?」
「だから佐々木が会えないって。」
大きな瞳がさらに丸くなったのを、少し冷めた気持ちで見下ろした。
「佐々木くんと、知り合い?」
「部活の後輩です。あいつ、どーしようもないくらいバカでしょ?このあと部活で会うからさ、伝えておきますよ。」
「あ、そうだね!ありがとう…」
あからさまにホッとしたその表情に、思わず口の端が持ち上がった。
なんてわかりやすい。
なんて単純。
何処かの誰かも、この半分でもいいから単純でいてくれたらいいのに。
キラキラ輝く金糸を脳裏に浮かべながら、水樹の詰問は続く。
「いつも放課後は第2図書室に…」
「へぇ、現国でしたよね?やっぱ本好きなんですか?」
「うん、ここの図書室広くていいよね。」
「俺ほとんど行ったことないなぁー…龍樹は本ばっかりだけど俺はさっぱり。」
「うん、龍樹くんいつもいるよ、すごい本好きなんだなって。」
「知ってるよ。」
落合がハッと口を抑え、みるみる蒼白になる。それは水樹の勘が当たっていたことを明確に示していた。
龍樹に、会いに行ってるんでしょ。
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