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第166話
コツンと脳天を襲った小さな衝撃に、水樹は意識を取り戻した。
目の前では天上の美貌が呆れ返っている。その手前に、すっかり氷が溶けて汗をかいているグラスと、一向に進んでいない期末テストの復習。
「もう、全然聞いてないでしょ。」
ため息混じりにそうこぼした水無瀬は、立ち上がってキッチンスペースに消えた。飲み物のおかわりを取りに行ったようだった。
そうだ、テストがあんまり良くなくて、水無瀬に復習手伝ってもらってたんだ。
すっかり考え事に耽っていた水樹は氷が溶けて薄くなったお茶を一気に飲み干すと、慌てて参考書に向かう。何箇所か見覚えのないマークがあって、水無瀬が解説してくれていたことがわかった。
「珍しいね、水樹がそんなにボーッとしてるの。だから赤点ギリギリなんて珍しいことしちゃったんじゃない?」
ほかほかと湯気を立てるマグカップに息を吹きかけた水無瀬は、慎重に一口飲んだ。
甘ったるい匂いが漂う。
「この暑いのにホットココア?」
「冷房の中で冷たいもの飲むと冷えるんだもん。」
「なんか時々女子みたいなこと言うよな水無瀬って…」
少し呆れてみせたけれど、水無瀬は一向に気にしていないようだった。
ココアを飲みながら、ちらりと僅かな上目遣いでこちらの様子を伺ってくる。
その視線に少しだけ胸を高鳴らせたのも束の間、水無瀬の鋭い声が響いた。
「何をそんなに悩んでたの?」
と。
それがあまりに意外で、パチパチと瞬きしてしまう。目の前の金糸が見せるチラチラした光が眩しかった。
「…失礼だなぁ、いくら僕だって君の様子がおかしいってことぐらい気付くよ。」
「あ、うん…そっか…そうなのか…」
「なにそれすごく失礼。君、僕のことなんだと思ってるの?」
「顔だけ野郎。」
「頭もそれなりにいいよ。」
「中身が伴ってないってことだよ。わかれよ。」
「顔と中身が一致してる人なんてそういないと思うけどなぁ。」
「もういいよ…」
やはり水無瀬に口で勝とうというのは間違いだった。
少し気まずくて場を誤魔化すためにお茶を飲もうとしたらグラスも空で、更に気まずくなる。きっと笑っているだろう水無瀬の姿を見たくなくて、水樹は慌てて席を立って冷蔵庫を開けた。
ひんやりした冷気に襲われて、ここのところずっと靄のかかっていた思考が少しだけ透明になった。
「…龍樹がね、ちょっと心配で。」
口にすると、また少し透明になる。
「落合先生と龍樹、会ってるみたいなんだよね。あの先生、龍樹にまた運命がどうのこうのって吹き込んでないといいんだけど…運命なんて、知らなくていいのに。いいことないのに。なんで…」
悶々と自分の中だけで考えこんでも答えどころか何が引っかかっているのかすら出て来なかった。なのに、スルスルと言葉は紡がれる。
それと同時にドロドロと流れてくる感情、それは沸き立つ不安だ。
「なんで、あんな形でしか逆らえないんだろう。」
脳裏によぎる誠司の笑顔。
運命に逆らった末、死という形をとった人。
パタン、と冷蔵庫を閉める音だけが、やけに大きく響いた気がした。
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