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第167話
「あの先生が龍樹の運命の番かもしれないっていうのは認めてるんだね。意外。」
その水無瀬の言葉に、冷水を浴びたような気持ちになった。
そうだ、そもそもあの人が本当に龍樹の運命の番なのかもわからなかった。ただ番が欲しくて、龍樹をその相手として照準を合わせただけなのだろうと思っていたはずだった。
けれど。
あの、苦しそうな声が木霊する。
『龍樹くんとは、何もない。』
何もあってはならない。
あれは、自分自身それをよくわかっている声だった。
「運命なんて、嫌いだ。」
ぽつりとこぼれた言葉と、ぽたりとあふれた涙は同時に落ちた。
「運命なんて、大っ嫌いだ…」
誰も幸せにしない。
運命なんて抽象的な言葉で誤魔化してあたかも素敵な御伽噺のように刷り込んで、その実態はただの獣の本能だ。食って食われて、傷痕から細菌に感染して共倒れなんて、三文芝居にもならない。
あふれた涙を拳で拭って、ぐしっと汚い音を立てて鼻をすする。すると鼻の奥が痛んで、誤魔化すように手の中のお茶を流し込んだ。
キンと冷えたお茶が身体の内側を冷やしていくと、外側から優しい温もりに包まれた。
「…龍樹は馬鹿だけど、大馬鹿じゃないから。流石に先生に迫られたって靡かないでしょ。」
後ろから抱き込まれて、体温の低い指先が涙を拭ってくれる。
こめかみにそっとキスされて、ココアの優しい香りを微かに感じた。
とてもとても嬉しくて心が安らぐのに、口を突いて出たのは可愛くない憎まれ口。
「なに…優しい…」
「え、ひどい。どういう意味よ。」
「龍樹の心配ばっかりしてって拗ねるかと思った。」
「あのねぇ。」
はぁ、と大袈裟な溜息を吐いた水無瀬の表情は、呆れ。
その顔がちょっと可愛くて、クスリと笑ってしまうと、益々呆れさせてしまったようだった。
「僕も一応学習するんだよ。」
「そうなんだ。知らなかった。」
「君って僕のこと本当は嫌い?」
「なんでだよ。」
ふふ、と今度は笑いがこぼれて、温かい胸に少しだけ寄りかかると、ふわりと優しいフェロモンに知らず呼吸が深くなった。
深呼吸してみると、脳内が明るくなって、世界が広く感じる。
それでもどこか拭いきれない不安が、胸に小さなしこりを作った。
「…君はいつも自分のことは後回しだからね。たまには思うように行動してもいいんじゃない?いつも僕が我慢させちゃうからね。」
くしゃくしゃと髪をかき混ぜて、優しい温もりは去っていった。名残惜しくてその後ろ姿を眺めていると、視線を感じたのか水無瀬がふと振り返る。そして一瞬だけ視線が合って、ふんわり微笑まれると、少しだけしこりが小さくなったような気がした。
「…ありがとう。」
「でもその前にテストの復習ね。」
「うっ…」
水無瀬が何かに悩んでいたようだったことがすっかり頭から抜け落ちてしまっていることに、水樹はまだ気付いていない。
小さいながら胸に残ったしこりが、水樹の視界を遮っていた。
「…よし。夕飯に龍樹呼ぶか。」
言うや否やスマホで簡単にメッセージを作成する。迷わず送信して、すぐにスマホを置きキッチンに入った。
送られたメッセージを龍樹が読むのは、ずっと後。
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