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第171話
普段マナーモードにしていると、携帯電話の着信音は思いのほか心臓に悪い。
水樹はビクッと大袈裟に身体を跳ねさせて、音の出所を振り返った。
「龍樹じゃない?」
いつの間にか隣に来ていた水無瀬の白い手がスマホを取る。
その言葉に慌てて画面を覗き込むが、生憎なんの関係もないダイレクトメールだった。ゆるく首を振ると、水無瀬も溜息をつく。
もう一度かけて見なよと促されて、水樹は聞き返したかったその言葉の意味を知る機会を逸した。
気乗りしないままかけた電話は相変わらず無反応と思えたその直後のことだった。
普段滅多に鳴らない水無瀬のスマホが、けたたましい黒電話の音で着信を知らせたのは。
水樹はそれを殆ど無意識に取ったが、一瞬だけ目に入った名前にカッと頭の中が沸騰して思い切り叫んだ。
「せめて既読をつけろって何回言わせんだこの愚弟がっ!!」
一瞬の間。
後ろの水無瀬が、一歩引いた気配だけがあった。
『…んでお前が水無瀬の携帯出るんだよ。』
「ここまできて龍樹が素直に俺の携帯にかけ直すとは到底思えなかったから借りといた。」
嘘だ。
強奪して勝手に出たなんて言えるわけがない。
「龍樹が悪いんじゃん。夕飯の支度もあるし何よりあんまり長時間既読もつかないと心配になるからちょくちょく携帯見るようにしろっていつも言ってるのにさ、いっつもそうやって無視してさ。無視してんじゃなくて本当に気付いてないのかもしれないけど、気付くように気をつけてよって言ってるのに。」
『あー…わかった悪かった。すみませんでした。もう戻るから。』
「なにその適当な返事!大体…っ!?」
続けようとした文句は、後ろからうなじに触れたひやりとした感触に吸い込まれて消えた。振り返ると、何食わぬ顔をして通話に出る水無瀬。
邪魔するなと文句を言おうとしても、ガッシリと額を捕まえて制されてしまった。
「あーもしもし龍樹?ごめんねこれなんとかしとくから。僕お腹空いたから早く帰ってきてねー。」
水樹からスマホを取り返した水無瀬がそう言って通話を終わらせてしまい、不完全燃焼だった水樹の怒りは行き先を失って胸の内で燻っている。
さっさとスマホを置いた水無瀬が妙に憎たらしく見えて、水樹は勢いのままに立ち上がった。
「え、どこ行くの?」
「龍樹迎えに行くの!もう戻るって言ってたし!」
「そんなのここで待ってればいいのに…」
「水無瀬はここにいていいよ。」
「いいよ、僕も行くよ。ほーんとジッとしてないよね水樹って。」
「うるさいバカ瀬!」
「うわ、酷い。」
くつくつと楽しそうに笑う水無瀬が眩しくて、ほんの少しだけ怒りが誤魔化されてしまう。
このまま見ていたらこの怒りがどうでもよくなってしまいそうで、水樹は目をそらした。
水無瀬の笑顔は、まるで鎮静剤だ。
怒りも悲しみもスーッと浄化してしまう。ほうっと見惚れて、そんな感情どうでもいい、と。
その劇的な効果は、少し怖いくらいだった。
龍樹に会う前にこの怒りが冷めてしまわないようにぶつぶつと文句を言い続ける水樹の後ろ姿を、水無瀬が楽しそうに眺めている事に気付いて、そしてもう怒りなんてとっくにおさまってしまっている事に気付いたけれど、悔しいので気付いてないふりをした。
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