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第176話

「…そうやって運命振りかざして龍樹に迫ったわけ?」 僅かに震えた情けない声に、落合が何を思ったかは知らない。 「おかしいと思ったんだよ、龍樹が誰かを番にするなんて…あんな、あんなとこ見てたのに、出来るわけない…」 脳裏に浮かぶあの日の光景。 優しかった叔父が、双子の兄に襲いかかる姿。襲われているのに、痛いやめてと泣くくせに、その合間にもっとと甘い声を上げて歓びを露わにする双子の兄の姿。 それを見てしまった、龍樹の驚愕と嫌悪に塗れた顔。 まだセックスが何かも知らない幼い子どもだった龍樹に、十分すぎるトラウマを与えてしまった。 だから、龍樹には運命なんかじゃなく、ごく普通の真っ当な恋愛をして欲しかったのだ。 その相手が水無瀬なら、それでも良かった。 水無瀬と恋を育んで、トラウマを消し去っていってくれるなら、自分の恋心を捨てることなど造作もないはずだった。 もしあの日、己の欲望に負けず首輪を外さなかったら。 龍樹を嫌いだと言った水無瀬は、いつか龍樹を好きになっただろうか。いつか龍樹のトラウマを払拭してくれただろうか。そして寄り添う龍樹は、水無瀬の傷を癒せるだろうか。 自分には未だ出来ない、水無瀬の傷を癒すことが、龍樹には出来たんじゃないか。 考えれば考えるほど、自分の存在が邪魔だった様に感じてしまう。 自分さえいなければ、全てが丸く収まったんじゃないかと。水無瀬がそばにいれば、龍樹が落合という運命の番に振り回されることもきっとなかっただろう。 小さな手が肩に触れる。 大袈裟に跳ねたその肩から力が抜けるのと同時に、少しずつ頭の中も冷えていった。 「世間はきっとあなたを許す。」 きっとこの人が気にしているのは、世間体。そして龍樹の家族。 「世間は美談が大好きだ…龍樹が卒業さえしてしまえば、立場を乗り越えた運命の番とかなんとか言ってきっとあなたを許すよ。うちだってα家系だけどΩ嫌いなわけじゃない…だって俺がΩなんだから。龍樹が選んだならって、あなたを歓迎するに決まってる。」 それは、なんの問題もないことを教えてやる。ただ龍樹が卒業さえしてしまえばいいのだと。 けれど水樹が気にしているのは、そんなことではないのだ。 「先生、答えて。」 落合の視線は真っ直ぐに水樹を捕らえていた。 大きな瞳が揺れている。 水樹の睨むような、挑むような視線に、少しの怯えを滲ませていた。 「その噛み跡は…龍樹が自分の意思でつけたの?」 それに気付かないフリをして、水樹は更に追い討ちをかける。 龍樹の意思を、知りたかった。 「運命振りかざして龍樹に迫ったのなら…理性のない状態に追い込んだのなら。」 あの時の自分が、発情フェロモンで容赦なく誠司を誘い、誠司から理性と意思を奪った様に。 運命の番が成せる異常な程の欲求に逆らえない状態に、龍樹を追い込んだのだとしたら。 例え他の誰が許しても、水樹が落合を許せるはずもなかった。

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