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第177話

ほんの一瞬の沈黙だった。 一瞬の沈黙だったが、落合の目が強く意思を持つには十分だった。 「…あの時龍樹くんは正気じゃなかったかもしれない…でも、あの時確かに、龍樹くんは自分の意思で抱き返してくれた…」 二人が番になったその状況を、水樹は知らない。知らないからこそこうして問い質している。 けれど、落合の強い瞳は、そのまま二人の絆の強さを表しているようにも見えた。 「番として認めてくれたんだって、俺はそう思ってるよ。」 その強い瞳の向こうに、龍樹の笑顔を見た気がして、そして思い出す。忘れてしまった昨日のことを。 龍樹は、どんな顔をしていた? 『水樹?どうした?』 そう呼びかけてくれた声に強張りなど少しもなくて、むしろここしばらく聞けなかった龍樹本来の高くも低くもないよく通る声だった。 その表情も、最近ずっと帯びていた影が消え去り、すっきりとした明るい顔をしていたはずだ。 水樹は肩の力がふっと抜けた。 なんだか、どっと疲れてしまった。 こんなところに呼び出してまで問い質して、馬鹿らしい。 一体自分は何をやっているんだろう、と。 「…水樹くん、どうしてあんな嘘吐いたの?」 黙りこくった沈黙に耐えかねたのか、それとも何か思うところがあったのか、口を開いたのは落合の方だった。 そしてその口から出た疑問は、至極真っ当なものだった。 「水樹くんがΩなら、龍樹くんがΩ嫌いなんてあり得ない…龍樹くんに本当は嫌われてるなんて、そんな風に思ってる訳ないよね?どうして…」 「龍樹は」 思わず反論しかけて、水樹は再び口を噤んだ。 言ってしまっていいのかわからない。どこまで言ってしまっていいのか、さっぱりわからなかった。 「龍樹は、Ωが嫌いなんじゃない…恐いんです。」 「恐い?」 「むしろ嫌いなのは、αだと思う。」 わからないなりに出した言葉は、酷く中途半端で。 当然意味がわかっていない落合がじっと大きな瞳でこちらを見てくるから、水樹は観念して再び口を開いた。 「Ωの発情期に当てられて我を失ったαがどうなるか見ちゃったから…」 口にしてしまうと、決壊はすぐそこ。 水樹は声を震わせ、込み上げる涙を堪えることも出来ずに、氾濫する記憶と罪悪感に押しつぶされそうになっていた。 あの時、誠司の理性を奪ったのは自分だ。龍樹にトラウマを植え付けたのは自分だ。 発情期のΩに誘惑されたαがどうなるか、龍樹は文字通り身をもって知っていた。だからこそ、αの性を嫌悪していた。人でありながら理性を保てず獣に成り下がるαの性を。 知っていた。 なのに、あの時。 「あんな風にはならないって、約束して、でも、でも俺発情期んとき、わけわかんなくなって、あいつヒート抑制剤、ダメでっ…」 水無瀬と番になったあの時、龍樹を誘惑したのは、自分だ。 龍樹に更なるトラウマを植え付けたのは、自分だ。

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