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第179話

藤田には今日は休むと今更の連絡をして、上から順番にメールを開いて行く。と、何通目かの水無瀬からのメールに、一枚の写真が添付されていた。写っているのは、眉間に深く皺を寄せてむっつりとスマホを弄る龍樹。ああこれはかなり苛立っているなと思いながら本文を確認すると、顔文字と絵文字で賑やかな水無瀬らしい文面で龍樹の様子が綴られていた。 思わず笑ってしまうと、落合が視線でどうしたのと尋ねてくる。スマホごと見せると、落合も小さく噴き出した。 「俺も後で蹴られるかなー。」 「ふふ、昨日痛そうだったね。」 「そりゃね、高校上がる時に辞めたけど、俺空手二段だったし。」 「ひえ…」 「少年部だから大したことじゃないよ。」 身を守る為に始めた空手が、役に立つことはあるのだろうか。 ああ、一度だけ役に立ったっけ。自分のためじゃないけれど、確か水無瀬と番になってすぐ、街で発情した見知らぬΩの男性を助けたことがあった。 辛くて現実逃避ばかりしていた水樹の空虚な毎日に再び色をつけてくれたのも、他ならぬ水無瀬だった。 ふと、思う。 この人が、龍樹にとって全てを委ねられる人となってくれるなら。自分が龍樹から奪ってしまった、水無瀬という安らぎに変わる場所、いやそれ以上の存在になってくれるのだとしたら。 水無瀬にも言えなかった龍樹の過去を。そして龍樹には言えないあの日の真実を託してもいいのではないかと。 「…先生、これから話すこと全部俺の寝言だから。信じなくて良いから。龍樹に、俺から聞いたって言わないでね。」 ゆっくりと記憶を辿る。 顔は見られないように、落合に背を向けた。 朧げながらの最初の記憶は、物心ついた3歳や4歳ごろ。その頃にはもう、水樹と龍樹の性格の違いは如実であった。 人見知りせず活発で外を走り回るのが大好きだった水樹。 その後ろからひっそりと顔を出して辺りの様子を伺う大人しい龍樹。 水樹の友達が龍樹の友達。けれどそれ以上に、龍樹は本と仲良くしていた。 公園で友達と走り回る水樹を遠目に見ながらベンチで本を読む龍樹。そして夕方になって、学校を終えて帰ってきた誠司が、二人を連れて家まで帰る。 その帰り道、よくお菓子を買ってもらった。 ばーちゃんとママには内緒にしろよ。バレちゃうから家に着くまでに全部食えよ。 そう言いながら渡してくれるのだけど、食べるのが遅かった龍樹が全部食べきれないことも多々あって、誠司はよく祖母に叱られていた。 懐かしい、幸せだったころの記憶。 幼稚園の運動会では、保護者参加のかけっこで父が走るか誠司が走るかで大喧嘩していた。結局水樹は誠司と走り、龍樹が父と走ったのだが、龍樹は盛大に転んで父が抱えてゴールしたのを覚えている。 その時、俺も転んでいたら誠司おじさんが抱っこしてゴールしてくれたのかな、などというおよそ子供らしくないことだったということも。

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