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第180話

小学校の入学式は春の嵐で、土砂降りの大雨だった。 その日のために買ってもらった龍樹とお揃いのキッズフォーマルは帰ってくる頃にはドロドロで、楽しみにしていた新品のランドセルは雨水に濡れてビショビショだった。 なんだか悲しくなりながら家の前で家族写真を撮った。 思えばそれが、祖父母も誠司も一緒に撮った最後の家族写真だ。 「9歳の時に、俺叔父にレイプされたんだけど。」 あれって、レイプだったんだろうか。 と、口にしてから疑問に思って、少し間が空く。 痛かったし、嫌だやめてと叫んだ記憶は確かにあるけれど、もっとと懇願した気もする。怖かったのは事実だが、心の奥底では悦んでいたのも紛れも無い事実だ。 辛い記憶として残っているのは、誠司に犯されたという事実ではなく、龍樹に見られた、龍樹に怪我をさせトラウマを背負わせてしまったということだ。 『水樹に何してんだよ!』 気弱で臆病な龍樹の、初めて聞いたかもしれない大声は、震えていた。 見て見ぬ振りをして逃げることもできたはずだ。なけなしの勇気を振り絞ったに違いない。 怖かったに違いない。 頭からたくさん血を流して倒れている龍樹の腕が変な方に曲がっていた。助けなきゃ、救急車を、誰かを呼ばなきゃと思うのに、治らない発情は誠司を求めて止まなくて。 誰か龍樹を助けて。 一通り行為を終えて正気に戻った誠司が救急車を呼んで、一緒に病院に連れていかれた。 よくわからないまま飲みなさいと渡された薬は、今思えば後避妊薬だったのだろう。睡眠薬なんかも混ぜられていたのかもしれない。 目が覚めたら、包帯だらけの龍樹が隣のベッドに寝ていた。 どこも怪我をしていなかった水樹はすぐに退院したが、学校に行く気にもなれず龍樹の病室に入り浸った。 自分がΩだと知ったのも、Ωの発情でαが狂うこともその時知った。 『だからおれがαでもきらいにならないで。』 細い細い声で告げられた嘆願に、水樹が涙した。 Ωの自分こそが嫌われても仕方ない。家から追い出されるのかもしれない。あんな風に抑え込まれて悦ぶ色情狂のような自分を、龍樹は見ていたのに。 その時誓った。 龍樹が真っ当な恋愛をして、傷を癒すのを必ず見届けようと。 龍樹がいたから、その誓いがあったから、恐らく誠司の死を乗り越えられたのだと思う。あの頃は正直誠司の死を悼むよりも、食事を取るのもトイレに行くのも苦労する龍樹に付き添うことで日々をなんとかやり過ごすことができていた。 龍樹の傷が癒える頃には、もう誠司は墓の下だった。 そして傷が癒えると、龍樹は明らかに変わった。 甘ったれで泣き虫だった龍樹はいなくなった。学校でも水樹に張り付いて離れなくなり、家族に寄り付かなくなった。水樹が家族に近寄るのもいい顔をしなくなった。 それが水樹に対する甘えではなく、龍樹なりに水樹をαから守ろうとしているのはすぐにわかった。 好きなようにさせた。 それが龍樹へのせめてもの贖罪だと思ったから。 それが正しくないことはわかっていたけれど、ではどれが正しいのかもわからなかったから。

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