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第182話

込み上げる涙を堪えるのは、意外と簡単だった。 ほんの少し意識した深い呼吸でそれはあっけなく去っていき、水樹に冷静さを取り戻させた。 水樹は小さく自嘲の笑みを浮かべ、直ぐにその笑みを普段通りのものに戻した。 「…おはよ、先生!」 ぽろぽろと簡単に語ってしまった過去。水無瀬にも龍樹にも誰にも告げていない胸の内をこんなにあっさり露呈してしまうなんて、思っていたよりも参っていたようだ。 きっと、ただ誰かに聞いて欲しかった。 けれど懺悔は終わりだ。 何も聞いてくれるな。 そういう思いを込めて放った言葉の意味を、落合はしっかり理解したようで、腑に落ちないような顔をしながらも何も言わず、やがて曖昧な笑みを返した。 スマホを手に取ると、水無瀬と龍樹に簡単に返信する。内容はどちらも同じだ。今から帰る、とだけの簡潔なメッセージ。 珍しく二人ともすぐに既読が付いたが、返信はどちらからもなかった。 「先生って、22?浪人とかした?」 「ううん、してない…今22だよ。今年23になる。」 「そっかぁ、Ωなのにストレートで就職までいくなんてすごいね。」 「あー、就職は少し苦労したけど、今のご時世そんなに表立って差別はされないよ。」 「そうなの?だといいんだけど。」 同じΩだからこそ話せる話もある。 なんてことない世間話をしながら身支度を整えて、さっさとこんな部屋は出てしまおうと水樹は足早にドアに向かい、ドアノブをひねった。 と、そこでふと思う。 きっと、龍樹はこの人と一生を添い遂げるんだろう。この人と、幸せな道を歩むのだろう。 運命の番だと感じたこの人と。 「…そうだ、先生。」 水樹は開きかけた扉をわざわざ閉めて、静かな声で語りかけた。 「俺ね、運命ってあると思うよ。」 振り返ると、落合は大きな瞳をさらに大きく丸くしてきょとんとしている。 それがどこか間抜けで、水樹はくすりと小さく笑ってしまった。 「多分叔父さんが、俺の運命の人だった…もう随分前に死んじゃったから、わかんないけどね。」 落合が一瞬で表情を失った。 それはそうだろう。 先程、自分は過去に叔父にレイプされたと暴露したのだから。 「最後に会った時…龍樹が入院してる時だったんだけどね。叔父さん、病室の前の廊下でお父さんと大ゲンカしてた。水樹は俺の運命なんだって。」 俺にしか水樹は幸せにできない。 そうまで言いきった誠司もその後すぐに命を断ち、水樹の前から消えた。水樹に運命のしがらみだけを残して。 運命なんて、ロクなものじゃない。 そう思い続けてきた。 けれどこの人を見ていて、この人のお陰で明るくなった龍樹を思い出して思ったのだ。 幸せを辿る運命もあるのかもしれないと。自分がそうなれなかっただけで、もしかしたら誠司と幸せになれたのかもしれないと。 「先生は龍樹と…運命の人と、幸せになれるといいね。」 どうか、幸せになれる運命も存在する事を教えてほしい。 水樹は呆然とする落合を置いて、その場を後にした。

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