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第188話

「大学?行かないよ、行けるわけないじゃない。先立つものがないよ。最初から行く気なんてなかったよ?」 勇み足で水無瀬の部屋に突撃した水樹は、けろりとしたあまりに呆気ない返答にがっくりと肩の力が抜けた。 「いや、いやいやいや!俺と結婚して遺産がって話あったじゃん!嘘!?あれ嘘!?俺かなり傷ついたけど!」 「嘘じゃないけど…僕が大学入るまでに君に遺産が転がり込んで来るなんて思うほど能天気じゃないよ?それともまさか君…僕のためとか言って殺人犯にでもなるつもり?やめてよー。」 「んなわけあるか!じゃあなんで遺産目当て!?」 「金はあるに越したことないから。」 「このクズ!」 「嘘だよ。」 「このクズ!!」 どうどう、とまるで動物にするように両手で制されて、水樹は地団駄でも踏んでやりたい気分になった。 今でも時々思う。なんでこんな奴好きなんだろうと。 鼻息荒く詰め寄る水樹の様子が可笑しかったのか、水無瀬は少しだけ噴き出した。水樹が弱い、思わず笑ってしまった、というその顔だ。 その笑顔に少しだけ毒気を抜かれると、水無瀬もそれを感じ取ったのか穏やかな表情で水樹にソファに座るよう促した。 「いいタイミングだから少し話そうか。」 と。 インスタントの安いコーヒーの香りがふんわりと漂ってくる。 また激甘コーヒーを淹れられたらと思うとゾッとして、砂糖とミルクは自分で入れるからと釘を刺しに行くと、水無瀬はまた可笑しそうに笑った。 「あの時の水樹の顔凄かったなぁ。」 そう言いながら差し出されたコーヒーに恐る恐る口をつけると、今度はブラックだったので、水樹はホッとして砂糖を1杯だけいれた。 「どこから話そうかなぁ…そう大学ね、大学は君と番になってなくても行かなかったと思う。さっきも言ったけど先立つものがないからね。」 水無瀬の顔は明るかった。 高校も諦めようとしていたくらいだから、大学なんてもっと難しいに違いない。 水樹は当たり前のように親の金で大学に行く気でいたことを密かに恥じて、居心地が悪くなった。 「高卒で働けば、少しは楽になれるでしょ。僕の稼ぎが増えるから。母の治療費と残ってるローンを父と一緒に払っていって、なんとか今よりまともな生活をする。水道とか電気が止まらなければいい。そういう人生を歩むんだと思ってたよ。ずっと。」 明るいながらに、水無瀬の表情には影があった。 きっとこれまでやってみたいこともあったんだろう。これから大学に行って学びたいことがあるのかもしれない。 けれど自分にはそれが出来ない。その理由もしっかりと幼い時から理解しているからこそ、切望することもなくなってしまった。 水無瀬は一呼吸置いて、続きを語り出した。 「…君と番になったら…いつか遺産が入る。それを狙ったのは嘘じゃない。もしも何かがあって首が回らなくなったらって思ったら、保険が欲しかった。あー、金はあるに越したことないってのも嘘じゃないね。ごめん。」 そのごめんが、一体何に対する謝罪なのかわからなかったけれど、聞く気にはならなかった。 今水無瀬が金を抜きにしても水樹を愛してくれていることを知っていたから。今更金が欲しいと言われて詰め寄る気にはならなかった。

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