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第193話
一歩毎にカラコロと氷同士が戯れ合う音が響く。
真夏の暑い日には心地良い音だ。水樹は一口だけ飲んでしまいたい衝動にかられつつ思いとどまった。
応接間では落合と龍樹、そして両親が顔を合わせている。心配ないと思いつつも、やはりどこか落ち着かない。
随分昔に祖父が焼いた陶器の中で波紋を広げる3つの緑茶に1つの玄米茶。それは夏休み前、水無瀬が500万の借金を告白してくれたあの日のコーヒーの波紋を思い出させた。
「…水無瀬、大丈夫かな。」
溢れた呟きに、思わず自分で苦笑い。
心配なのは、龍樹たちではなく水無瀬のことだったようだ。
水樹は一つ深呼吸すると、目の前の襖に向かって声をかけた。
「失礼しまーす。お茶お持ちしましたよー。」
両手が塞がっているからいつものように足で開けようとして、流石にやめた。一度膝をついてお盆を下ろし、静かに襖を開けると、父が温かく迎えてくれる向こう側で、何故か落合は額を赤くしていた。
「先生デコ赤くない?どうしたの?」
「…聞かないで…」
不思議に思って龍樹を見ると、なにやら肩を震わせて笑っている。
結構なドジらしいから、なにかやらかしたのかもしれない。後で聞いてみようと思いながら、水樹はお茶とお茶請けを配った。
「じゃあ、ごゆっくり。」
と、言いながらひらひらと手を振って部屋を後にし、水樹はそのまま廊下にしゃがみ込んだ。
目的はもちろん、盗み聞きだ。
ほんの一瞬の間の後に聞こえてくる自己紹介。あまりよく聞こえなくて、水樹は襖に耳をぴたりとくっつけた。
『単刀直入に申しまして。』
漸く微かに聞こえてくる父の声が、常よりも硬い。
ドキドキと高鳴る心臓の音が邪魔で水樹は静かに深呼吸し、次の言葉を待った。
『私は運命の番が幸せなものとは思っておりません。』
そして、ひゅっと息が詰まった。
ギュウッと胸の奥を掴まれたような痛みがじわりと全身を襲い、水樹は動けなくなる。脳裏によぎるのは誠司の顔、そしてあの時誰よりも激怒した父だ。
父はあれから、一度も誠司の話をしない。葬儀にも出なかったし、法事にも参加しなかった。もちろん、水樹も参加させてもらっていない。
しかし元々父と誠司の兄弟仲は悪くなかった。年の離れた弟である誠司を、今思えば父は可愛がっていた。水樹たちと戯れる誠司を、いつも微笑ましく見守ってくれていたのだ。
愛する息子たちを傷付け、可愛い弟を奪った運命を、父こそ許すはずがなかった。
(…どうしよう。)
水樹は痛む胸を押さえた。
少しも楽にならなかったけれど、そうせずにいられなかった。
水樹の運命に巻き込まれて柵に囚われた龍樹が、自身の運命によって漸く解き放たれようとしているのに、ここにきてまた運命に邪魔されるのか。
『龍樹。』
今部屋に飛び込んで、龍樹は心配ないと叫ぶべきか悩む水樹の迷いを打ち消したのは、他でもない父だった。
『これから先死ぬまで、何があっても優弥さんに心身ともに捧げることを誓いなさい。…それが出来ないなら今すぐ出て行きなさい。生活の援助はしないし大学の資金も出さない。今後一切私たちに関わることを禁ずる。もちろん水樹にも』
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