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第196話

「へぇ、じゃあ龍樹と先生は円満に解決したわけだ。」 「うん。一瞬ヒヤッとしたけど…でもさ、今朝先生なんか落ち込んでたんだよね。龍樹ってばお祭りあることも伝えてなかったみたいだし…」 「まぁまぁ、龍樹だし。」 「龍樹だし、で片付けられちゃう愚弟が俺は心配だよ…ほら、早く脱いで。」 「やだな、脱いでなんて。なんかやらしい。」 「やらしくない!」 くつくつと楽しそうに笑った水無瀬は、腕に抱えた龍樹の浴衣を丁寧に床に置くと、自分の服は乱雑にポイポイ脱ぎ捨てていった。 そっと広げた藍染の浴衣。 袖を通して覗いた痩せた手首は、なんだかゾッとするほど艶かしく輝いて見えた。 龍樹と選んだ藍色は、水無瀬の真っ白い肌がよく映える。本人は私服でいいと言うけれど、やはりこんな時でないと水無瀬の和服姿なんて見られないから、着せたくなってしまうのだ。 しかしやはり、必要以上に痩せてしまっている背中が気にかかる。夏休みで寮を出てからほんの1週間程度で、こんなに痩せてしまうものだろうかと。 「水樹?」 こつんとその痩せた背中に額を預けると、浴衣に染み付いた箪笥の匂いに邪魔されてそのフェロモンを胸いっぱいに感じることはできなかった。 「…ううん、何でもない。」 僅かな息苦しさを堪えて、水樹は着付けに集中した。 水樹も浴衣に着替えて廊下に出ると、丁度龍樹と落合も支度を終えて出てきたところだった。 黒の浴衣に身を包んだ龍樹が妙に大人びて見えてなんだか悔しい。隣に立つ落合は水樹が貸した淡い灰色の浴衣に、着るというより着られていて、童顔も手伝って龍樹と変わらない年頃に見えた。 龍樹の浴衣姿を見るのも、随分久しぶりだ。もしかしたら子供の頃以来かもしれない。 誠司が亡くなってからお祭りに行った記憶はないし、去年は水無瀬といったけれど、龍樹は一緒じゃなかった。当然だ、あの頃はまだ3人の関係が酷く歪でギクシャクしていたのだから。 あの時のことを思い出すと胸が痛くなる。 水樹はちょっと俯いて、胸の痛みをやり過ごすと、次の瞬間には笑顔を作って龍樹の手を取った。 「…ねぇ龍樹、じーちゃんとこ行ってお小遣い強請ってこよ。」 「はぁ?1人で行けよ。」 「絶対龍樹がいた方が額が上がる!ほら行くよ!」 「ちょっ…」 グイッと少し強い力で龍樹の腕を引くと、言葉の抵抗とは裏腹に龍樹はあっさりと付いてきた。 数歩歩いて廊下を曲がり、背後に水無瀬と落合の気配を感じなくなった時、水樹は足を止めた。 カラカラに乾いた口の中で、纏まらない言葉を選ぶ。 「あの…ごめん。去年…俺、浮かれてて…」 「…?何が。」 「水無瀬に浴衣貸すの、キツかったんじゃないかなって…」 あの頃、龍樹はまだ水無瀬に想いを寄せていたんじゃないかと。だとしたら、水無瀬が水樹と祭りに行くために着て行く浴衣を貸すなんて、苦しい想いをさせてしまったに違いない。 ずっと謝れなかった。 やっとの思いで口にした言葉はあまりに端的すぎたが、それで龍樹は理解してくれたようだった。 ふと微笑んだ笑顔は柔らかく、くしゃりと頭を撫でた手は優しい。龍樹の言葉を聞く前から、水樹は許されたことを察して心の支えがスッととれた。 「…気にしてねぇよ。そんなことよりお前が楽しそうにしてるの見れて嬉しかったし。」 その言葉にちょっとだけ泣きそうになりながら、それだけは避けたくて水樹はグッと堪えた。 ありがとう、と言いたかったけれど、声に出したら涙もこぼれてしまいそうで、コクリと小さく頷くのが精一杯だった。

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