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第197話
「じゃあ楽しんでおいで。10時に迎えに来るから。」
そう言い残して颯爽と去っていった父の車はすぐに見えなくなり、水樹はくるりと振り返った。
「じゃ!先生、楽しんでね!ごゆっくり!」
と、明るく言い放って水無瀬の手を取ると、呆気にとられる龍樹と落合を無視してわざと人混みの方に歩き出した。
例年通りのすごい人で、二人の姿はすぐに見えなくなり、あたりは賑やかな景色と祭囃子に包まれる。
ここまでくれば龍樹たちとはもう帰りまで合流出来ないだろうというところで、水樹は掴んでいた手を離し、そっと握り直した。
「どうしたの水樹。みんなで回るつもりだったんじゃないの?」
「ううん、二人にしてあげよ。龍樹が卒業するまで二人きりの時間なんてなかなか取れないだろうし。」
「あー…まぁ、そうだね。立場的にね。」
「それに…」
「ん?」
水樹は続きを口にしようとして、グッと口を噤んだ。
それに自分も二人になりたかった、なんて、恥ずかしくて言えるわけがなかったから。
その真意は大切な話があるというのももちろんだが、それ以上にやはり水無瀬とこうして手が触れ合う距離で寄り添って歩くのは、龍樹の前ではなんとなく気恥ずかしい。
水樹自身も気兼ねなく祭りを楽しみたかったからだ。
「…それに、水無瀬の見た目を裏切る胃袋に先生がびっくりしちゃうでしょ。」
「そうかな?でもいずれ知られるんじゃない?」
「折角龍樹と楽しいお祭りの思い出作るチャンスなのに、思い出が水無瀬の食いっぷりに塗り潰されたら可哀想。」
「失礼だなー。」
言葉とは裏腹に、水無瀬はけらけらと楽しそうに笑った。
その笑顔は清々しく、夏の夜風に靡く金の髪が辺りの闇に光を散らす。
湿度の高い嫌な気候でじっとりと汗をかく空気だというのに、その周囲にだけは爽やかな風が吹いているようだった。
その笑顔を見ながら、水樹はなんとなく複雑な気持ちになった。
水無瀬は苦しくても辛くても微笑う。その本音を胸の内に押し込めて。いつだってそうだった。
漸く最近になって少しずつ本音を露呈してくれることが出て来たけれど、今この笑顔は本当に心からのものなのだろうか。
父を亡くし母に疎まれ借金を背負い、今こそ辛いんじゃないのか。それともただの思い過ごしで、この祭りは本当に楽しみにしてくれているのか。
その判断ができないのが、辛い。
「…あそこ、たこ焼き売ってるよ。去年喜んでたでしょ。買う?」
水樹は頭を振って暗い気持ちを押し込め、極力明るく声をかけた。水無瀬は水樹が指した方角を見てまた笑った。
「今年はエビマヨにしようかな。」
「それさ、たこ焼きの形状をしたエビ焼きだよね。」
「水樹は変なところ拘るよね。いいじゃない別にたこ焼きのエビマヨ味で。」
ワクワクしながら列に並ぶ水無瀬の横顔は明るい。指折り食べたいものを羅列する姿は子供のようで、もしかしたら本当にただの思い過ごしで、祭りを楽しんでくれているのかもと思えた。
「うわ、焼きそばすっごい並んでる。」
たこ焼きの行列が少し進んだ頃だった。水無瀬が焼きそばは外せないよねと話した直後でもあった。
正しく長蛇の列と言えるほどの人が焼きそばの屋台に列を成していて、水無瀬は若干がっかりした様子で溜息をついた。
「あれは無理かなー。ここもまだまだなのに、それから並びに行ったらそれで終わっちゃいそう。」
「…俺、あっち並んでこようか?」
それは何気ない提案だった。
甘いものを食べない水樹は、たこ焼きだけでは腹が満たされない。水樹としても焼きそばは食べたいところだった。
水無瀬がたこ焼きを買えたら合流すればいい。すぐ側の屋台だから、携帯で連絡をとり合えばそれは然程難しくないはずだった。
しかし、水樹がたこ焼きの行列を抜け焼きそばの行列に並び、少しした頃。
水無瀬の携帯が繋がらなくなった。
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