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第4話
「タカは座ってて!」
養い子から指示を受けて、丹羽はしぶしぶと椅子に腰を下ろした。
「僕のする仕事が何もないよ」
「いいよ。そこに居るだけで」
見上げるほどに背も高くなり力も強くなったコウは、率先して家の仕事をするようになった。丹羽の手伝いは不要で、すべて自身で片づけてしまう。果ては、近所や丹羽の仕事先の近くでも建物の修理や力仕事をして小遣い稼ぎをしているらしい。周囲の大人から可愛がられている姿を見ると大変微笑ましい。
静かに揺れる木々と鳥のさえずりを耳にしながら頬杖をついて、積み上げられていく薪に感心する。
上司からの情報では、狼族としてはすでに成人とみていい時期とのこと。現にコウは周期的に家を空けており、それも徐々に長期になっている。自分に言わないだけで、新たな住処や番を探しているのかもしれない。それなのに丹羽の様子を見に帰ってくる。本当にできた息子だ。
軽々薪を割る逞しい姿を眺めつつ、そろそろひとり立ちかとぼんやり考える。
特別理由もなく伸びたままになっていた髪は、大きな手が器用に編み背部で揺れている。日常の至るところで、驚くほど依存している。当初育てる保護するという名目であったが、蓋を開けてみれば結局は養い子から施しをもらってばかり。
「タカ疲れた?」
「……疲れ、てない、よ。ちょっと考え事してただけ」
いつの間にか己をのぞき込んでいた、きれいな瞳と出会って瞠目する。
「コウ、いい番(ひと)見つけた?」
思案していたことがそのまま口を突き一瞬焦るも、ちょうどいい機会だと思いなおす。
「……何で?」
何で。むしろ、それが何で?
「いつかは、この人が番ですって紹介してもらえればいいなって思っただけ」
やさし気な空気から纏った雰囲気を変化させた子に、困惑しつつも丹羽は口を開く。機嫌よさそうに振られていた尻尾もピクリとも動かない。
『お父さん、娘さんをください』ってのは、両親へのあいさつの常套句(じょうとうく)であるが、そこまでとは行かないまでも、紹介くらいはしてくれるかと思っていた。もしや自分にはそれさえもないのか。いや、珍しい人族であるから会わせるのも憚れるのかもしれない。コウの顔に泥を塗る真似だけは避けたい。
「あ、いや、嫌なら──」
「タカノリ」
久しぶりに聞く己の名前に、知らず下がっていた視線を上げる。
「タカノリがいい」
射貫かれる、ギラツク猫目。
「……え?」
遅れて、それが先ほどの返事であると気づく。
「あ、うん。一緒に居てくれるのは嬉しいよ。でも、コウも番が──」
「番は、タカノリがいい」
「…………は?」
目をしばたかせた丹羽の向こう、コウが苦々しく顔を歪める。立派な青年になったなと、その表情を脱線した思考でぼんやりと眺める。
「ずっと前から、タカノリと一緒にいるって言ってる!」
「……コウはやさしいね」
それは、一種の刷り込みに近いだろう。
妻に、子に、置いて行かれた男に憐れみを抱いてくれている。かわいそうなことをした。直接的には関係のないコウに話さなければよかったと、今頃になって後悔しても遅い。あの時は己の感傷のままに口にしてしまった。それが、この子の傷になるかもしれない可能性を考えずに。
「僕は、誰とも番うつもりはないよ」
コウの踏みしめた石の音がやけに大きく響く。
「パートナーとして、最初で最後なのは彼女だけ。居場所が変わっても、それは変わらないよ」
第一、迷い人である自分がこの世界の番の括りに入るのかという疑問が。
「コウはとてもいい子だ。だから、いつまでも僕にこだわる必要はない」
諭すも、見上げる瞳からは拒否がありありと窺える。
「僕はコウから、たくさんのキラキラをもらった。もう、僕だけじゃなく、他の誰かにもキラキラをあげることを覚えよう?」
彼の世界は養い親の自分だけが居る、ちいさな世界でいいはずがない。もっと広い、丹羽のような足元どころではない、コウ自身の背に合った広大な視界がある。
「なんで! タカノリがいいッ!」
まるで地団駄でも踏む子のように毛を逆立てて。力の入った腕に手を添える。
「この大きくなった手のひらは、たくさんの人をしあわせにするよ」
日に何度も梳かれる髪に、くすぐったい幸いをもらうように。
ふとした瞬間に頬を包み込むあたたかさに、言いようのない安らぎをもらうように。
静かに寄せられるふさふさな尻尾に、力強い思いをもらうように。
「たった一人のタカノリを放って? そんなの、他の奴なんて、どうでもいいッ!!」
吠えるコウに、苦笑しか浮かばない。
まだ、早かっただろうか。いや、拒否しているということは、頭の片隅では自覚しているはずだ。
癇癪を起したかのように、荒く大きな足音。そして、遠くなる。
──その日から、コウは貴祝の前に姿を現さなくなった。
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