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第5話

「こちらに来た時のようだね」 「……え、」  大きな目を殊更ゆっくりと細めて、上司は丹羽を眺めていた。  その視線から逃れるように、紫色とも青色ともいえる不思議な色合いをした茶の水面を眺める。  自覚はある。  コウが出て行った後、まるでポッカリと穴が空いたようだった。部屋の中は暗いし、普段は視界に入るふさふさな銀色の華やかさも見当たらない。食事もあたたかいものを食べたのがいつか覚えていない。 「養い子と喧嘩でもしたかい」  ケンカ……ではないつもりだ。  ぼんやりと水面を見続けていれば、いつの間にか上司はいなくなっていたらしい。軽い足音で丹羽の元に戻ってきたことで不在に気づく。 「今日は客も来ないだろうし、休もうか」  しがない本屋は基本的に繁盛していない。しかし何故か給料はもらえるのでありがたい。 「…………この前」  掠れた声を、手の内の茶で潤す。 「この前、使者が来たんです」 「使者?」  上司の反復に、丹羽は浅く顎を引いた。  動物に詳しくはないが、あれはハイエナという種類だろう。娘の図鑑で見た覚えがあった。普段は驚くほど鈍感なのに、嫌な予感だけは見事に的中するのだと思い知った。  たくさんの人数で、見たこともないほどの豪華な馬車のようなもので。自分の二倍以上ありそうな大きな狼の一つ目で竦むほどの威圧に、麻痺したように動かない舌で対応した。無様だった。 「隣の国の方だと」 「ふむ。なるほど」  合点いったように頷く上司に、コップにつけたままだった唇を上げる。 「……え、それだけで解るのですか?」 「浅はかな者たちだっただろう。王家の血を引く者が行方不明だと聞いている。数代前の賢王の双眸がそれぞれ違う色だとも。彼らは基本的に愛情深く慈悲深いが、一部は異なる」  それを知りつつ、この上司は丹羽にコウを育てるのを何故容認したのだろう。 「君の元にコウが来たのは必然だ」 「でも……」  行方不明で死んだとされていた、王族の血を引く者の消息をつかんだ。王族の残りわずかな大切な子だと。驚くほど大量の金銀財宝を丹羽の前に置き、『人族ごときでは手に余るお方だ』『地味な人族風情が』と、他にも言われたが詳しくは覚えていない。自分の元にいるより、贅沢できたのは確かだろう。 「……否定は、できませんでした」  ただ一つ、言い返せたのは金品や権力目的で育てたのではない、という点だ。 「なんとも……ソレは。コウには?」  唸ったフクロウは嘴(くちばし)を引き結び、首を横に振った丹羽を認めてため息をついた。 「この件は言っていません。ただ、番を見つけて幸せになれと」  使者たちの話を要約すると、最終的にはコウに種馬になれということだ。どうやら高貴な血筋らしいが、イチ庶民である自分から見ればどうでもいい話だ。かわいい養い子、ただそれだけ。 「あの子には、周囲の思惑に捕らわれずに過ごしてもらいたい。妻たちのようにはなってもらいたくない」 「つま?」 「こちらで言うところの番ですが、僕にも居りました」  妻は表舞台に立つ華やかな職業だった。娘も義母の勧めで、幼子の頃からプロの撮るフィルターに納まった。丹羽としては家族三人、静かに仲良く暮らしていればよかった。しかし、まともにテレビすら見ない一介の庶民である自分の声は、教育ママである義母にも周りの人たちにも聞き入れてもらえず。  たくさんキラキラを振りまきながら、彼らは疲れてしまった。  そして、少しずつでしか放出できない、地味が取り柄の自分だけが残された。  何度、自分の持っているキラキラを彼らに明け渡せたらと、唇を嚙みしめただろう。  何度、自分の力のなさを呪って、涙しただろう。  だが、コウ自身には力がある。妻や娘のように、周囲の敷かれたレールに翻弄されるだけではない。だからソレを信じて前を向いて欲しい。それだけが丹羽の願いだ。 「あの子には、あの子が決めた道を進んでもらいたい」 「では聞くが──」  言葉切ったフクロウを見やる。 「ソレは、なんだい?」 「……ぁ、」  拭われる目尻に、伝う滴を気づかされる。 「なにも愛すべき者は生涯にひとりでなくとも問題はないだろう」  ゆっくりと細められる大きな目に、すべてを見透かされているような。 「以前の番に操立てずとも、周囲の思惑に従順にならなくとも、囚われなくていい。彼らだけでなく。君もね」 「……ぁ、」  はやり、と上司は丹羽の袖を剥いて再び嘴を歪める。そこには、癒えずに新たな傷が増えていく腕。服で隠れるところに、傷のないところはないだろう。  養い子が姿を消して、焦ったのは使者たちだった。居所を吐けと折檻されても、知らないものは知らない。口を割らない丹羽にエスカレートしていく暴力。力弱い人族である自分には対抗するすべがない。  本当は出勤するのは身体も心も辛い。何くれとなく気にかけてくれる上司に要らぬ心配をかけたくなかったし、彼に危害を加えられる可能性も考えた。だが、あの子が広げてくれた世界を狭めたくなかったのも本心。  これは自分の我が儘だ。  コウがくれたもの、すべてが愛おしい。  己の腕に囲めるほどの、周囲から見れば笑ってしまうくらいの、ささやかな幸いを。 「……本当は」  ポツリと溢した、己の言葉はどこか他人のように。 「本当は。コウからもらった言葉に、応えたかった」  生まれ育った世界の違いも、種族の違いも、身分の違いも、養い親・子であることも、互いに雄であることも、すべてを振り切って。  もう、コウしか、居ない。 「……ぅれし、かっ、た……」  手を伸ばして、掴みたかったヒカリ。  でも。  キラキラ眩しすぎて。  だからこそ、手を放して彼の『これから』を願った。  コップを持つ反対の手のひらを開く。  驚くほど、小さい。  ふう。  ひとつ、ため息を拾って、丹羽はまた要らぬことを言ったと気づいた。先日自戒したばかりだったのに轍を踏んだ。 「以前、私が言ったことを覚えているかい?」  視線を上げた先の上司は黒い瞳をさらに大きくさせている。 「ここは君が生きていた世界とは違う。彼は保護する対象ではなくなったのだろう? 君の気持ちが固まっているのならば、コウの手を取ればいい。彼は立派な成人だ。己の今後の進退は他者ではなく、己で決定していく。それはたとえ養い親だろうとしても、口出しはできない」  子は保護する対象ではあるが、支配する対象ではない。それは、確かコウを拾った頃に言われた。  空になったコップに再び注がれる不思議な色合いの茶。 「必然と言っただろう? 番は惹かれあう。たとえ世界が違っても、魂で」  とてもいつも理路整然としている彼の言葉とは思えず瞳を探ると、表情に出ていたらしい。 「君の言葉を借りるとしたならば、私の番はキラキラを出しすぎた人族だった、ということだ」

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