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2.【 f 】
俺の初恋は小学校5年生。
うちには母屋の他に離れがあって、ばあちゃんが学生向けの下宿屋を営んでいた。
両親は共働き。一人っ子の俺には、良き遊び相手そして家庭教師として学生さんがいつも居てくれて、とても楽しかった。
下宿屋最後の学生さんは、黒縁の眼鏡をかけた穏やかな人だった。
甘えたい盛りの俺の悪ふざけにもきちんと付き合ってくれる、優しいお兄さん。
犬を飼いたいと言って親に怒られ、友達に『お前ん家、庭にデカイの飼ってるじゃねーか! あれに何か芸でも教えろよ』って笑われて……。
俺も小さかったからさ、そのまま真に受けて学生さんに芸を仕込もうとして、ばあちゃんに叱られたっけ。そんな事まで乗ってくれちゃうなんて、優しすぎるよね。
夜の縁側で考え事をしている姿が印象に残っている。眠れない俺が母屋を抜け出してこっそり近づくと、黙って隣に居させてくれた。
何を話す訳でもなく、座って月を眺めるだけで、不思議と満ち足りていく。そんな不思議な時間だった。
卒業を機に引っ越してしまった日から、寂しくて逢いたくて毎晩泣いた。それが小学5年の3月。
進学を控えた俺は、第一志望の大学の学園祭に来ている。自宅から2時間かかった。通うには遠い。
とりあえず受験生向けの相談ブースに立ち寄った。手伝いの学生も、職員も、爽やかな笑顔。建物の外からは祭りの賑やかさが伝わる。
そんな中、1人だけ異質な人がいる。
学部別の相談ブースで、あからさまに頬杖をついて窓の外を見つめている男性。学生には見えないし、先生なのかな……二十代後半?
俺が見ているのに気付いたのか、視線がこちらに向いた。やばっ!すいません、なんでもありません!
「……もしかして、フミヤくん?」
突然名前を呼ばれて、焦って目線を戻した。
「え……と、はい」
頬杖の人がポケットから眼鏡を取り出し、目元に合わせた。
ああ!襄一 さん!
「うわっ! 下宿のフミヤくんだ! 大きくなったねぇ。何年振り? 僕が出て行った時、何年生だったっけ?」
「えーっと、あの時は小学校6年になる直前です」
……あ、俺、大きくなってる。俺の方が見下ろす様になってる。
襄一さんは、この大学に移って研究を続け、来年度から講義を受け持つ事になっているそうだ。
志望校で憧れの人と偶然の再会! ありえないくらい頬が赤くなる。
当時の思い出は楽しい事ばかり。大好きなお兄さんだった襄一さん。
言葉を交わす度に気付く、あの頃は目に入らなかった襄一さんの大人っぽさが、今日の俺には眩しくてたまらない。
プレスの効いたリネンのシャツ。程良くゆとりがある分かえって身体のラインが引き立つニットのベスト。変わらず優しい目元、口角のホクロ、話をしながら組み替えるスラリと細い指先……。
昔は母屋に風呂入りに来て、たまに一緒に入ってたよね。
なんで平気だったんだ? あの頃の俺よ! (いやあの頃は子供だったからだけれども)
言葉の隙間の物憂げな感じも、どストライク。
……勉強頑張ろう。絶対、このキャンパスを歩いてやる!
当時の記憶と重ねて俺を見ているであろう襄一さんに、もう子供じゃない今の俺の事も印象付けたい!
必死で体勢を整え、あの頃より低くなった声で伝えよう。
「また会えて嬉しいです。襄一さんの事、忘れた事なんて無いよ?」
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