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第12話 霧咲の行きつけにて

(……なんか、お腹すいてきたな……) 霧咲は、地下鉄通勤の榛名にはあまり馴染みの無い街の中を車で移動している。榛名は上京して8年になるが、都心部の移動方法などは覚えたものの基本的には家にいるのが好きなため、買い物やデートで出掛ける以外街に行くことはないため詳しくは知らないのだ。 (一体どんなオシャレなところに連れて行かれるんだろう) あの日、知らない若者たちにコッソリ着いて行った榛名とは違い、霧咲はあんなに洒落たバーの常連なのだから、きっと今から行くところもお洒落なところなのだろうと榛名は思い込んでいた。しかし、意外にも霧咲が榛名を連れて行ったのは普通のラーメン屋だった。 「ここのラーメンすごく美味しくてね、二週間に一度は行くんだ」 「……そーですか」 また拍子抜けした榛名だったが、今の自分は仕事に行くためだけのとてもラフな格好をしていたので、逆に良かった。それに榛名はラーメンは嫌いではない。 車を降りたあと、榛名はふと霧咲に聞いた。 「この車、なんていう車ですか?」 「あれ、車に興味あるの?」 「べ、別にっ、あんまり見かけない車種だから何かなと思って」 「ポルシェだよ」 榛名も、名前だけは知っていた。 (そうか、これがポルシェという車なのか) 確かドイツ製で、値段がめちゃくちゃ高いということしか知らないのだが。 「ブラックバードに憧れていてね」 「ブラックバード?カラスですか?」 「ふふふ、知らないなら知らないでいいよ」 なんとなく癪だが、帰ったらスマホで調べてみようかなと思った。今教えてくれてもいいのにとも思ったが、きっと聞かない限り教えてはくれないだろう。霧咲はそういう男だ、と何故か榛名はそう決めつけた。 * 「……おいしい」 「そう、良かった」 霧咲おすすめのラーメンは確かに美味しかった。細麺で、スープの基本がトンコツなのが地元が九州の榛名には少し嬉しかった。 上京したての頃、とあるラーメン屋で普通のラーメンを頼んだ時、しょうゆラーメンが出てきたのは榛名にとって忘れられないカルチャーショックだった。あと、うどんの汁が黒かったことも。 「榛名、ビールも頼んだら?仕事終わりで疲れているだろう」 「俺一人だけ飲むわけにはいかないでしょう、先生は運転で飲めないんだから。……それともまた俺を酔わす気ですか?」 言った後にしまった、と思った。何故自分からあの日のことを思い出すようなことをわざわざ言ってしまったのだろう。場合によっては、こっちが誘ってるみたいな勘違いをされるんじゃないだろうか。 ――という榛名の心配をよそに、霧咲は冷静に答えた。 「あれだけ度数の高いカクテルを4杯も普通に飲んでた君を、ビール数杯で酔わせられるわけないだろう?ビールだけで君を酔わせようと思ったら最低1ダースは用意しなくっちゃね」 「そ、そんなに飲めませんから!」 あのカクテルはかなり度数が高いとは思ってたけど、そんなにだったとは。 でも、普通に飲んでいたというのは間違いだ。男相手に簡単に口説かれて、その上身体まで許してしまう酔い方のどこが普通なんだ、と榛名は自虐的に舌打ちしたくなった。 そうしていたら、霧咲は勝手に店員にビールを頼んでいた。 「すいません、生中ひとつと、あと餃子も二人前追加で」 「ちょっ、霧咲先生!?」 「ん?」 「何勝手にビール頼んでるんですか、俺は飲まないって……」 そうは言ったものの、反論はゆるさないかのように霧咲に見つめられて榛名は黙った。霧咲はそんな榛名にニッコリと笑いかける。 「もう一度ね、ほろ酔いの可愛らしい君が見たいんだ」 「ビール一杯じゃ変わりませんけど?貴方がそう言ったんでしょう」 「まあ、俺の前で君が酒を飲むというのが大事なんだよ」 「……?」 意味が分からない。怪訝な顔をしてるうちに、榛名の前にビールが運ばれてきた。ラーメンとビール。そして追加で餃子。たまらない組み合わせだ。 「……どうぞ?」 「じゃあもう、遠慮しませんからね」 「遠慮なんていらないよ、こっちから誘ったんだから」 「それもそうですね」 そう言って勢いをつけて、榛名は一気にビールを煽った。 ――気のせいだ。 霧咲と話してるだけで、あの日のことを思い出して身体が熱くなってきたなんて、絶対に気の迷いだ……。 結局榛名はビールを3杯も飲んでしまった。 餃子が美味しくてすすんでしまったというか、飲み終わるたびに霧咲がすぐ追加を頼むのだ。 本当に自分を酔い潰そうとしてるんじゃないだろうな――と勘ぐったが、せっかく頼んだものを飲まないわけにはいかないと思い、目の前の餃子が無くなるまで飲んだのだった。(餃子もさらに追加注文された) 「榛名、餃子のお代わりは?」 「さすがにもう入りません……」 「前に会った時よりもきみ、だいぶ痩せてるからね。しっかり食べないと」 「はあ」 (やっぱり、心配してくれてたんだ……) 少しだけ、霧咲の心遣いが嬉しかった。そこまで心配されるほど、目に見えて痩せてはいないと思っているのだけど。現に、霧咲以外には気付かれていないのだから。 とりあえず、霧咲が榛名を酔い潰そうとしたわけではない、ということは分かった。それにビール3杯ごときで酔っぱらう榛名ではない。 「じゃあそろそろ会計をしようか」 「俺が出します!」 「え、何馬鹿言ってるの?」 霧咲が形のいい眉を潜めて榛名を睨む。が、榛名も怯まなかった。 「最初から自分で出すつもりで飲んだんです!こないだも奢ってもらったし、このままじゃフェアじゃありませんから」 「俺は君と勝負なんてしてない。はい、これでお願いします」 「ああっ!」 榛名がグダグダ言ってるうちに、霧咲は財布から万札を出し店員に渡した。店員も空気を読んだのか、手早く会計を済ませた。 「ありがとう」 「ごちそうさまでした……」 店員にお礼を言って、榛名はなんとなく敗北した気持ちで再び霧咲のポルシェの助手席に乗り込んだ。

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