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第13話 車内での攻防
「そんなにむくれないでくれ。あんなに俺のことを先生、先生って呼んでおいてね、それで俺が君に払わせたらものすごく体裁が悪いと思わないか?俺はあの店の常連なのに」
「だって貴方、先生じゃないですか」
「……二人の時は誠人さんって呼ぼうか」
「はぁ!?馬鹿じゃないと!?」
「ははっ、きみさ、酔うと全然遠慮がなくなるよね」
――ハッ!
そういえばこの人は医師で自分は看護師だ。そのうえ彼は、榛名がずっと欲しいと思っていた腎臓外科医なのだ。榛名は思い出した途端に酔いも醒めて、すっと蒼褪めた。
「す、すみません……!」
「え、また?何が?」
「だって、先生に向かって馬鹿って言っちゃったから……」
榛名は本気で申し訳なく思ったのだが、霧咲はそんな榛名に対して溜息をついた。
「榛名、俺は今医者として君とここに居るわけじゃないよ。悪いと思ったらすぐに素直に謝れるのは君の長所なんだろうけど、今の態度は頂けないな。それにさっきのはどう考えても調子に乗った俺が悪いだろう?」
「……俺は貴方のことは、医者としてしか見てません」
「……ふうん、そんなこと言うんだ」
――当たり前だろ。医者以外に、どんな目で見ろって言うんだ。
さっき霧咲は一目惚れだったと言っていたけど、さすがにそんな冗談に乗るわけがない。
(俺たちは男同士、なんだし……)
また、しばし車内に沈黙が流れた。霧咲は「はぁ」と分かりやすいため息を吐くと、やっとエンジンをかけた。そして少しぶっきらぼうな口調で榛名に聞いた。
「家どっち方面?送ってくから」
「ここから近くの地下鉄の駅まででいいです、自分で帰りますから」
「……榛名」
「奢ってもらった上に、家まで送ってもらうわけにはいきませんから」
榛名は霧咲の方を見ずに言った。すると。
グイッ
「!?」
霧咲に腕を引っ張られて、無理矢理霧咲の方を向かせられたと思ったら――
チュッ
触れるだけの、キスをされた。
「なッ……!」
(こんなラーメン屋の駐車場で!?誰かに見られるかもしれないのに!!)
榛名は慌てて霧咲から顔を離して周りを確認したが、通行人や他の客とは誰とも目は合わなかった。ホッとするのも束の間、今度はグイっと顎を掴まれて、無理矢理霧咲の方に向かされて顔を固定された。
目の前の霧咲の表情は固く、明らかに怒っている。榛名は霧咲の剣幕に飲まれ、周りを確認するどころではなくなった。一瞬でも目を逸らすことは許されないような、緊迫した空気が車内に充満している。そして霧咲は榛名を見つめたまま、静かに言った。
「君が今、本気で俺の送りを拒否するならね、俺はT病院への助っ人を辞退するよ」
「え?」
「ああ、でも勿論代わりを寄越すから心配しないでいい。でも奥本先生や近藤師長は、また新たな医者に院内を案内しないといけないからさぞかし面倒くさいだろうね?それに今日、君が俺と一緒にいるのを知ってるから、絶対俺達の間で何かがあったと勘ぐるだろうし」
そう言って、霧咲は意地悪な目つきで笑った。榛名は霧咲に掴まれた顎を両手で必死で解こうとしているのだが、霧咲の手はぴくりとも動かない。
横暴な医者の言うことには逆らえない、看護師の本能だろうか。榛名は暴れて抵抗することなどは全く考えずに、ただ少し目に涙を滲ませながら霧咲に言った。
「俺を、脅してるんですか……!?」
「なに、君が俺に大人しく送られればいいだけの話だ。それと君は礼の仕方を根本的に間違っているよ。君が地下鉄の駅まででいいとか言ってるのはね、遠慮なんかじゃなくてただの失礼だ。覚えておくといい」
「………」
それは確かに霧咲の言うとおりで、榛名は何も言い返せなかった。榛名の悪い癖だが(長所でもあるが)何かあったらすぐに『自分がこうされたら』と、自分に置き換えて物事を考えてしまう。すぐに謝ってしまうのも、そのせいだ。勿論、自分に否がないときはそう簡単には頭は下げないが。
「君は今日素直に俺に送られて、部屋でコーヒーの一杯くらい出してくれたらいい。それが俺への最低限の礼だ」
「……はい、すみませんでした」
「分かったのなら、謝らなくていいよ」
なんだかひどく悔しくて、情けない。それから榛名は、霧咲を自宅のマンションまで案内する道筋以外のことは一言も喋らなかった。
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