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第14話 密室で、ふたりきり

「なんかおかしくないですか」 「ん、何が?」 榛名のマンションの1DKの部屋に、珍しく客人が来ている。彼女と別れてから一か月経つから――約1か月ぶりの来客だ。 少し高かったけどお気に入りのローテーブルに、二人掛けのソファー。そのテーブルには榛名が淹れた珈琲があり、霧咲はソファーに寛いで座っている。榛名はその隣には座らず、ラグの上に座っていたので自然に霧咲に対して上目遣いになるのだが、榛名は気付いていない。 「どうして貴方が俺のマンションにいるんですかね」 「君が入れてくれたからだろう?」 「いや。おかしくないですか」 「何が?食事と送迎の礼にコーヒーの一杯くらい出してくれても罰は当たらないだろう。それとも君はそんな気遣いもできないほど子供だったのか?」 「………」 霧咲の言葉に、榛名は今暫く考える。しかしいくら考えても、今この状況があの日と同じ――ホテルと違って自分の部屋ではあるが、密室に二人きりだということに変わりはないのだ。 「やっぱりコレどう考えてもおかしいでしょ!?」 「榛名……」 「なんですか!?」 キッと霧咲を睨んだ。霧咲は……笑っていた。 「くっくっくっ……君さぁ、本当に俺がこの部屋にお邪魔してこうやってのんきにコーヒーを飲むまでこの状況がおかしいってことに気付かなかったのかい?」 「はぁ!?」 「あっはっはっは!!ちょっとそれはさすがにやばいね!やばいよ榛名、素直すぎる!っていうか馬鹿だね君……!」 「はああああ!?」 なんでコーヒーまで淹れて持て成してるのに、馬鹿と言われなければいけないんだ!? 榛名は頭に血が上ったが、何か言ったらまた馬鹿にされると思い、頭の中で状況を整理しようとした。 「あーおかしい。君、簡単に詐欺とかに引っかかりそうで俺すごく心配だなぁ」 泣くほどおかしかったのか、霧咲は目じりまで拭っている。その仕草に榛名はますます腹が立つのだが、今は確認するのが先決だ。 「……霧咲先生」 「ん?」 「貴方、俺をここまで誘導しました?」 「いやだから、本当に今まで気付かなかったの?って。俺はどうやって君のマンションの部屋まで行ってやろうかといくつも策を考えていたのに、一番単純な罠に引っかかってくれたものだね。嬉しいけど張り合いがないなぁ」 「………」 榛名は自分がこうやって誰かをからかうことはあまり無いし、逆にされた経験も少ない。学生の頃は友人――主に女性の――にバカにされることはあったが何故かそんなに腹が立ったことはないし、今の職場では主任の榛名をからかうような不躾な人物もいない。(ME堂島の場合は最初からそういう人間だと分かっているので対処できている) だからいきなりこんなふうにからかわれて、どういう反応をすれば正解なのか榛名には分からなかった。単純に怒ればいいのだろうか。けど、もしここで榛名が感情のままに怒ったら、霧咲はもっと面白がるだろう。それがわかっているから、腹は立つけど怒れない。 こういう輩は無視するのが一番なのだろうけど、相手はこれから仕事でお世話になる相手なのでそれもできない。榛名のせいで霧咲に透析室の助っ人を断られたら、一体自分はどうすればいいのだ……。 「榛名」 ふと、霧咲に優しげな声で呼ばれた。榛名があまりにも無反応――とはいえぐるぐるしているのは目に見えているのだが――なのが気になったのだろうか。 でも、榛名はその呼びかけには応えなかった。逆らえないとはいえ、自分にもプライドはある。こんな風にからかわれて、笑われて、それでも彼の言うとおりにしてやろうなんて気は微塵も起こらない。 「榛名」 もう一度、霧咲に呼ばれた。しかし榛名は両手をかたく握りしめ、ラグの模様を見つめて、霧咲にどういう言葉を返したらいいのか――ただそれだけをひたすらに考えていた。 こういう時、どんなにムカついても自分が相手の冗談を笑って流せる人間だったらよかったのに、と思う。相手が患者だったなら簡単にそれができるのに。頭も下げれるし、次に会った時も笑って対応できる。けれど、霧咲相手にはそれができない。何故なのだろう。 「……アキ」 かなり近いところでその名前を呼ばれて、榛名は顔を上げた。ずっと下を向いていたから気付かなかったが、霧咲はいつの間にかソファから降りて榛名の真横にいた。 そして榛名は、霧咲に抱きすくめられた。 「……ごめん、そんなに悩ませるつもりじゃなかった。助っ人を辞退するなんて冗談だよ。君には冗談には聞こえなかったんだろうけど……ごめん。さっきみたいに素直に怒って、グーパンチの一つでも食らわしてもいいのに」 「せっ、先生相手にそんなことできませんから」 「まだ俺を医者として見てるの?……自分が悪いと思ったらすぐに謝るのに、相手にはそれを求めないんだな、君は。優しいね」 「………」 優しいわけじゃない。ただ、相手によって態度を変えているだけだ。 相手が医者じゃなかったら。あるいは霧咲じゃなかったら、榛名は『この野郎騙しやがって!』など勢いをつけて怒れたのだろうか。 霧咲に誘導されたとはいえ、彼を部屋に入れたのは間違いなく自分だし、今抱きしめているのも霧咲だ。他の誰かではないし、もしもなんかない。 あまりにもその腕が優しくて居心地がよかったものだから、榛名はしばらく抱かれたままになっていたが――ふと、我に返って叫んだ。 「は、離してください!それと俺のことアキって呼ぶなって言ったでしょう!」 「嫌だね」 「は!?ちょ、やだって」 「君を離したくないし、アキって呼ぶのもやめない」 「んっ……!」 また、顎を掴まれてキスをされた。それは先ほど車内でされたような触れるだけのキスじゃなくて、角度を変えて唇を甘噛みされたり吸われたりする激しいキスだった。 「ンーッ!んッ、ふ……!」 少しずつ、全身の力が抜けていく。力強く握ったはずの両の手が、ゆるく開いていく。 そしていつの間にかその手は、霧咲の服を掴んでいた。引き離そうとして掴んでいるのだが、霧咲にはしがみついているようにしか思えなかった。 「ぷはっ……んむぅ!」 いちど唇を離されたので思い切り息を吸おうとしたが、口を開けた瞬間に今度は舌を入れられた。しつこく追いかけまわされて、無理矢理絡まされる。歯列をなぞられ、上あごまで舐められて、飲みきれない唾液が溢れて顎を伝って落ちていく。 こんなに激しいキスは、榛名は今まで経験したことがない。 ――と思ったが、あった。 あの夜、ホテルの部屋で霧咲に同じキスをされたのを思い出した。 ――ダメだ。 思い出したらダメだ……。 「……アキ、ベッドに行こう」 でも、もう遅い。キスを身体は覚えていた。それと、霧咲の匂い。煙草や香水の類いじゃない、ほんのりと整髪料の香りが、あの日のことを思い出させる。 あの日、霧咲に何をされたのか。どこを触られて、どういう風に何回イカされたのか。霧咲の肌の感触、髪の手触りも何もかも。 (流されたら、ダメなのに……) 榛名は霧咲に抱きかかえられるように立ち上がり、自分の足でベッドへと移動した。寝室はドアで区切られてはいるが、基本一部屋しかないので移動は容易い。霧咲に優しくベッドへ寝かされて、再びキスをされる。 「ふぁっ……んんっ……」 「アキ、可愛いよ……君は本当に可愛い……」 「かわいいとか……ない……っ」 「いや、可愛いよ……この間よりもずっと可愛い。魅力に溢れてるよ」 今日の自分の態度を知っているのに、霧咲は何を言っているんだろうと思った。けれど霧咲は本当に榛名を大事に思っているような手つきで触り、器用に下を脱がせてソコを愛撫し始めた。 「あっ……だめ、そこ、だめ」 「触ってもいないのに、もうこんなに溢れさせて……どれだけ期待してるの?アキは本当に淫乱だね」 「はぁんっ!」 今日はあの日ほど酒に酔ってはいない。むしろよく覚醒している。だけどもう、榛名は霧咲に抗わなかった。 霧咲の甘く激しいキスと愛撫に痛いほど反応している自分自身を見て、自分の性別を強く呪った。初恋を諦めた、あの時みたいに。

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