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第22話 次回の約束
榛名は、残りの休憩時間はコーヒーを飲みながらテレビでも見て一人でまったりしようと思っていたのだが――仕方がないので、霧咲の分も律儀に淹れてあげた。
「おや、ありがとう」
「先生を差し置いて自分の分だけ淹れるわけにはいかないでしょう。インスタントですけど」
「本当に君って、マジメだねえ」
「さっきから馬鹿にしてるんですか?」
榛名はじろりと霧咲を睨んだ。午前中ずっと一緒にいたせいか、だいぶ遠慮はなくなってきていた。実際はもっと濃密な時間を過ごしているのだが……。
「まさか!褒めているんだよ。君のようなナースは大学病院に欲しいくらいだ」
「え……それはちょっと褒めすぎでしょ?」
「本当だよ。大学病院は医者が主体で動くからね、穿刺も医者がやるし、プライミングや回収だってするんだよ」
「えっ、先生がプライミングまでやるんですか!?ウソでしょ!?」
プライミングとは、ダイアライザーに透析液を流す透析前の準備だ。多分だが、奥本はできないだろうなと榛名は思っている。ここT病院ではMEや看護師がやるので、医者は準備などやる必要がないのだ。
「嘘なもんか。大学では医者がこき使われてるんだよ」
「あははっ!」
憮然とした顔で話す霧咲が面白くて、榛名はつい声に出して笑った。とんでもない偏見だが、霧咲はスタッフを顎で使っていそうなのに逆にこき使われてるだなんて、その図を想像するとおかしい。
「やっと笑ったね……」
「え?」
霧咲が、じっと榛名の顔を見つめていた。
「君の笑った声を聞いたのは、初めて会った夜以来だな」
「あ……」
何故か、口元を押さえてしまう。そういえば、職場でこんなに笑ったのも久しぶりな気がする。それが、霧咲と話しているからなんて。
なんだか少し恥ずかしくなって、榛名は誤魔化すようにコーヒーをぐっと飲んだ。
「――次の休みはいつだい?」
「はい?」
「きみが教えてくれないなら師長さんから聞くけど、できればきみの口から聞きたいな。まあ、透析室だから日曜は休みか……土曜の夜はあいてる?あいてるよね」
どうせ師長に聞くなら、ここで自分がだんまりでも意味はないではないか。しかも、土曜の夜の予定を勝手に決められている。榛名は少し面白くないものの、特に予定もないので素直に答えた。
「次の休みは土日です、本当は今日休みだったんですけどね!」
後半は少し恨みがましい口調でそう言った。
「え、そうなの?」
「おかげさまで、駆り出されましたから」
そう、霧咲のせいで。
「ははっ、なら来週もきみに回診の補助を頼んでもいいかい?」
「え!?」
「今日だけでだいぶ慣れただろう?また来週、残り半分の患者さんの指示変更したいからね。きみが補助をしてくれた方が早く終わる」
「はぁ……月水金の患者さんも診てもらえると嬉しいんですけどね」
ついポロリと本音が出てしまった。せっかく大学病院の先生に診てもらえるのだし、火木土の患者だけだと不公平だな、と思っていたのだ。
「え、月水金も来てほしいの?」
「い、いやその!すいません忙しいですよね!!」
それは一介の看護師が言うには図々しすぎる要求だった。きっと霧咲は大学でも忙しい合間を縫って、こちらに助っ人に来てくれているに違いないのに。
「んー……ちょっと難しいかもしれないけど、大学に頼んで調整してみようか」
「えっ」
ちょっと願望を言っただけなのに、そんなことが可能なのだろうか。榛名は、霧咲の顔をジッと見つめてしまった。
「他でもない君からのお願いだからね、できるだけ聞いてやりたいじゃないか?……まあ、プライベートなお願いだったらもっと嬉しいんだけど」
「っ……」
「土曜の夜、またローズで会おう。俺は仕事だから待ち合わせの時間は20時で。一人で来れるかい?道を覚えてなかったら駅で待ち合わせしよう」
「し、心配せずとも一人で行けます」
あのバーの名前はローズというのか……と、榛名は今初めて知った。店の名前が読めなくて、結局そのままだったのだ。というか自分は行く――ということに同意してしまったのか。
違う、霧咲と会いたいんじゃなくてまたあの美人なマスターに会いたいだけだ……そう、自分に言い訳した。
するといきなり休憩室のドアがノックされて、外からドアが開けられた。
「榛名主任、休憩時間もう過ぎてますよぉ……て…霧咲先生とお話ししてたんですかぁ!?お邪魔してすみませぇん!!」
休憩時間を過ぎても戻ってこない榛名を有坂が呼びに来たらしい。しかし榛名が何やら霧咲と仕事の話をしてると思い、有坂は慌てて立ち去った。榛名は壁時計を確認すると、確かにもう休憩時間を過ぎていたので慌てて立ち上がった。
「す、すみません霧咲先生、俺戻ります……今日はお疲れ様でした!」
「うん、きみもお疲れ様。俺は大学に戻るよ。今日は家まで送ってあげられなくてごめんね、仕事が5時までには終わりそうにないから……後半も頑張ってね」
「はい。……霧咲先生も、がんばってください」
「うん、ありがとう」
(別に送ってほしくなんかないし。全然残念なんかじゃないし)
これから榛名には、霧咲が午前中にたっぷり出した指示変更の処理が待っている。一応リーダーの仕事だが、ひとりに任すのはあまりにも可哀想なので手伝うつもりだ。
「あ、榛名さん。忘れ物だよ」
「え?」
いきなり腕を掴まれて、振り向きざま――軽いリップ音を立てながら唇にキスをされた。一瞬何が起きたか理解できなくて、榛名は目を大きく見開いて霧咲を見つめた。
そんな榛名に我慢できず、霧咲はもう一度口付けた。榛名の頬に手を添えて、柔らかな唇を味わうようなキスだった。
(あ……気持ちいい……じゃねえ!)
榛名はうっかり数秒間流されてしまったが、慌てて我に返って霧咲を引きはがした。
「ちょっと!!何してくれてんですか!?」
「ふふ、これで土曜日まで仕事頑張れそうだな」
「もう、俺行きますからね!」
ドアが閉まっていたからいいものの、いきなり誰かが入ってきたらいったいどうするつもりだ。榛名は顔も身体も自分で分かるくらいに熱く火照り、絶対に赤くなっているのだが、こんな顔を霧咲に見られるわけにはいかないので足早に休憩室を出た。
そんな榛名の様子を、休憩室と透析室の間にあるME機械室からじっと見ている目があった。それは、堂島だった。
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