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第73話 カミングアウト
病室に戻った榛名は、とりあえず看護師として父と母に説教した。
なぜインスリン注射になるまで放っておいたのか、食べ物はどうしてるのか、このままだと最終的にはどうなるのか……などなど。
父は神妙な顔で黙って聞いていた。そして、病気のことを黙っていたことを謝った。
「……黙っちょって悪かった」
「お母さんもなんで教えてくれんかったと?普通息子が看護師やったら言うやろ!いもしない俺の嫁やら孫の心配する暇があったらお父さんの身体を心配せんね!」
これはずっと言いたかったことで、さすがの母もしゅんとした顔をしていた。この分野においてはさすがに息子には逆らえないらしい。
「じゃあ、お父さんは入院ついでに生活指導もしてもらおう……って、してもらえるか」
榛名は父を病室に残して、母と共に家に帰るべく駐車場へ向かった。軽自動車の助手席に乗り込んで母と二人きりになると、何故か少しだけ緊張した。しょっちゅう電話で話しているとはいえ、実際に顔を合わすのは久しぶりだからだ。車を走らせながら、母が口を開いた。
「ねぇ暁哉ぁ、まだ怒っちょると?」
「いや……それより腹減った、かな」
もう暗くなっているが、窓の外を流れる懐かしい景色を横目で見ながら、榛名は少しぶっきらぼうに答えた。
思い返せば、朝に朝食をほんの少し食べて以来まともな食事を摂っていない。一昨日の夜からずっとそうだ。ちゃんと食べたのは、昨日二宮と食べた焼きそばくらいで。しかし、考えることが多すぎてあまり本格的な食欲は沸いてこない。基本的欲求とは何だったのか。
そういえば、霧咲とセックスをしている時もあまり空腹は感じないと思った。性欲と食欲は同居しないものなのだろうか。
都会の空気がよく似合うあの人を思い浮かべながら、榛名は真逆の景色をぼんやりと見つめ続けた。
「じゃあ今夜はアンタの好きなおかずでも作ろうかいね」
「え、ラーメン?」
「それはおかずじゃないやろ」
少しだけ、車内の空気が和やかになった。
その後、姉と姉の夫の高志が榛名家に来て、四人でなごやかな雰囲気で夕食を食べた。姉達が帰ったあと、すっかりいつもの調子を取り戻した母に榛名は嫌な予感がしたのだが……
「暁哉、お母さんの知り合いでまだ結婚してない娘さんがいるっちゃけど、明日の昼間に会ってみらんね!?」
「うわぁ」
その予感は、見事に当たった。母はキラキラした目を榛名に向けながら、嬉々としてお見合い話を持ちかけてきたのだ。
「なんねその反応は!結構可愛い子やとよ?アンタが東京で暮らしてるって言ったら都会暮らししちょるなんて憧れます~て言うちょったわ。期待してたらガッカリするよって言ったけんど」
「それは余計なお世話だよ」
いや、別にいいか。会う気はないけれど、会ってガッカリされるなら……いや、何故わざわざガッカリされるために会わないといけないのだろう。そんなの絶対にごめんだ。
「あのさお母さん、俺はまだ結婚とかする気ないし、宮崎帰る気もないから」
はっきりと言った。しかし、そんなことで諦める母ではない。
「そんなこと言わんと、一回会ってみてん!知り合いなんやからお母さんの顔を立てると思ってよ。アンタ明日クリスマスイブなのに一人で過ごすとか、独身の若い男がそれでいいと思っちょっと!?」
「そんなのお母さんが心配することじゃないやろ……大体夜勤の予定やったとに……」
たとえ世間がクリスマスイヴであろうと、初めて会う顔も知らない女と過ごすよりは仕事をしていた方がよっぽどいい、と榛名は思う。
「クリスマスイブまで仕事すると!?」
「普通に平日の夜やかい、誰かがせんといかんやろ。俺は男やし、そういうのは女の人に譲ってあげたとよ。なのにこんなことになって、ほんとに職場の人に申し訳ないわー」
誰が榛名の代わりに夜勤をするのだろう。お土産は透析室全体宛に買っていくつもりだが、変わってくれた人には個人的にあげてもいいかもしれない。それか、明日の夜勤までに間に合うように東京に帰るか……。
でも、せっかく師長がくれた休暇を無駄にしたくもなかった。
「とにかく会う気ないかいね、俺」
もし気に入られたとしても、それは相手が可哀想だ。わざわざ紹介されて気に入った相手が実はゲイでしたなんて、そんなの訴えられるだけでは済まないのではないか。
「そんなこと言っても無駄やし、絶対連れてくかいね!明日9時には起きるとよ」
「……はあ、あのね?お母さん」
榛名は、L字型のソファーに斜め前に座っている母の顔をしっかりと見て、真剣な顔で言った。
「俺ね、昔から男が好きやとよ。今の恋人も男の人でさ、女の人は興味ないと。やかいずっと結婚はせんて言っちょると。……分かってくれた?」
母は、大きな目を見開いて口もぽかんと開けて榛名を見つめている。思考がフリーズしているように見えた……が。
「なあ、分かった?」
榛名はもう一度、母の顔を覗き込むようにして聞いた。すると。
「……アンタ、そんなくだらん嘘ついてまでお見合いしたくないと?会うだけって言っちょるとに!別に気の合わん相手やったら無理に結婚しろとは言わんから、とにかく会うだけ会ってみてん!」
どうやら、渾身のカミングアウトは軽く流されたようだった。
「はー……やっぱりダメか」
まあ、一発で信じてもらえるとは思っていない。霧咲を連れてきて目の前でディープキスでもしないかぎり、榛名の母は信じないだろう。そんなこと、するわけないが。
それに本気で信じてもらおうとも思っていない。ただいつも同じ話をされることにうんざりして自分の中の何かが切れたのだろうと思う。ヤケクソというか。
「そんなわかりやすい嘘ついて。オレオレ詐欺の方がまだ引っかかるわ」
「ええ……」
自分じゃない誰かが『オレだよオレ、事故ったから金貸して?』とか言うよりも、息子がゲイであることの方が信じられないのか。……まあ、後者は『信じたくない』というフィルターがかかるからかもしれないが。それでも正直に言ったのに……と榛名は少し悲しくなった。
いや、悲しいというより複雑だ。いつか榛名の言葉が真実だったということを知る母の心境を想像すると、なんともいえない気持ちになる。
それでも、もう戻れないから。最初から同性が好きだった。そんな自分の性癖を信じたくなくて沢山の女性と付き合ってきたけど、誰も好きになることなんてできなかった。愛することができたのは、唯一、あの人だけ。霧咲誠人という、妻子持ちの狡い男だけだ。
(……電話、しなきゃ……)
「まったく、なんて恐ろしい嘘をつく子になったっちゃろ。都会は怖いとこやね」
(別に都会は関係ないけどね)
榛名はくすっと笑った。
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