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第76話 空港での再会
翌朝、榛名はこっそりと家を出た。
(お母さん、ごめん……)
とりあえず布団は再び押し入れに片付けて、机の上にメモを残しておいた。『やっぱり仕事は休めないから東京に帰ります』と。
東京に戻る気ではいるが、仕事をするつもりは無い。帰ったら一人で、クリスマスの配色に彩られた都会を堪能しよう。夜になったらローズに行って、マスターに愚痴でも聞いてもらおう。今度こそ、『涙を忘れさせてくれるカクテル』を作ってもらうのだ。もっと溢れて止まらなくなるかもしれないが。
しかしマスターは霧咲とも仲がいいため、榛名達が別れたと知ったらきっとあの優しいマスターはきっと傷つくだろう。あそこにいた優しい人たちも。
(じゃあもう、ローズにも行けないんだな)
霧咲は既婚であることを秘密にしていたから、やはり愚痴るのはまずいだろう。そして次に榛名の頭に浮かんだのは……
『いつでも呼んでください。暇してるんで』
二宮の顔だった。
(いっそ、ほんとに甘えてしまおうかな)
二宮にはもう既に恥ずかしいところを余すことなく盛大に披露している。泣いて、喚いて、惚気て、馬鹿みたいな自分。それでも二宮は、自分をほっとけないと言ってくれた。
(男二人、外で焼酎を呑みながら語るのも案外楽しいかもな……)
彼女がいるのなら『暇してる』なんて言わないはずだから、その存在は除外した。
「寒っ」
歩いて最寄駅まで向かいながら、冷たい風に首を竦めた。家からマフラーを持って来れば良かったが、戻る気にはなれない。
榛名は最寄駅の近くにある24時間営業のファミレスに寄って、軽めの朝食を食べた。空港の店が開いているか分からないし、ゆっくりコーヒーを飲みたいと思ったのだ。
高校生の頃からよく来ていた店は、内装やテーブルの配置は当たり前に変わっていて少し淋しい。もう6時になっているので、母は起きたかもしれない。
しかし携帯の充電は切れているので、いくら榛名にかけても繋がらないだろう。母だけでなく、霧咲も。
霧咲は、あの後自分に何度か電話をかけただろうか。自分の言いたいことだけを一気に言ってしまったけれど、少しは傷付いてくれただろうか。
(……まあ、あの人には慰めてくれる家族がいるし……おもちゃが無くなったくらいの感覚なのかな)
自虐的に笑って、熱いコーヒーを喉に流し込んだ。携帯で調べられないので、電車の時間も飛行機の時間も何ひとつ分からない。
宮崎の電車は東京と違って、朝の忙しい時間帯でも30分に一本くらいだ。もしくは一時間に一本。だから県民のほとんどは車を使う。
それでも朝の電車はラッシュだが、東京と比べれば全然たいしたことはない。
とにかく、時間だけはたっぷりとある。一人旅でもしているような気分で楽しもう、と榛名は思った。
*
案の定、駅で30分ほど待機して榛名は電車に乗り込んだ。たった三両、しかしそれがこの県の電車の最大の長さだ。
乗った時は高校生やサラリーマンが多かったが、そのほとんどが宮崎駅で下車した。榛名も宮崎駅の次の南宮崎駅で、宮崎空港行きの電車に乗り換えた。他の客はキャリーバックを持った、出張に向かう風なサラリーマンばかりだった。
(この中の何人が、一緒に東京に戻るのかな)
生まれ育ったこの場所が、けして嫌いなわけではない。けれど、今更故郷に戻って住もうとは思わない。仕事もあるし、大事な人を失っても、生活の基盤はもはや向こうなのだ。だから榛名は、東京に帰る。
(えっと、東京行きの便は……わ、もう次は10時?8時台を逃したのは惜しかったな)
あと二時間ここで暇を潰さねばならなかった。携帯もなく退屈と言えば退屈だが、しょうがない。とりあえず土産屋でスタッフへの土産と、ついでに雑誌でも買って読もうかな、と榛名は空港内をぶらつき始めた。
始めに雑誌コーナーに来たのはいいが、特に読みたい雑誌を探すとなると特に何もなかった。週間漫画も読まないし、朝から下種っぽい週刊誌を読むのも気が引ける。宮崎のタウン誌など必要ないし、とすればもう残されているのはファッション誌だけだった。
……今更オシャレなどに目覚めて何になる。しかし、他に読みたいものがないのだから仕方ない。
(……やっぱり小説にしよう)
伸ばしかけた手を引っ込めて、また別のコーナーに向かおうとしたら。
「買わないの?ファッション雑誌」
背後から、聞きなれた声がした。
(……え……?)
まさか、と思いながらゆっくりと振り返る。
まさか。
「俺としては雑誌を買うよりも先に充電器を買って、いい加減に携帯を復活させて欲しいんだけどね」
「あ……」
そこには、やや乱れた髪をしたスーツ姿の霧咲が立っていた。
「な……んで……」
思わず二、三歩後ずさる。すると霧咲に腕をガッと掴まれて身体が動かなくなった。
「危ない、お土産にぶつかるよ」
「………」
狭い土産屋の中、榛名のすぐ後ろには並んで積まれた土産箱があった。どうやら霧咲は榛名がそれにぶつからないように寸前で止めてくれたらしい。
「……ゆっくり話せるところに行こうか」
大人しく手首を掴まれたまま、土産屋を出る。しかし土産屋から一歩出たその瞬間、榛名は霧咲の手を思いきり振り払って駆け出した。
「暁哉!!」
後ろなど一切見ず、とにかく必死に霧咲から逃げた。霧咲が追いかけてくることが分かっていても。
しかし、普段から全力ダッシュなどほとんどしない榛名は足がもつれてしまい――
「あっ!」
前のめりに転びそうになったところを、寸でのところで霧咲に腕を掴まれて助けられた。
「暁哉……君、足遅いね」
体勢を立て直して、再び腕を振り払おうとしたが今度は霧咲の手は離れなかった。
「離してください!」
「絶対に嫌だ」
「俺は話なんかしたくありません!!」
「俺は君に話がある。……というか、君は聞かなければいけないよ、暁哉」
「聞きたくない……聞きたくない!!」
公衆の面前なのに、子どものように嫌々と首を振って空いた手で耳を塞ぐ。それでも霧咲は手を離してくれないので、榛名はついにその場に座り込んでしまった。
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