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第77話 空港での再会②

「あの……大丈夫ですか?その方、気分でも悪いんですか?」  空港職員が何事かと近づいてきて、霧咲に話しかけた。もちろん気分が悪い方というのは座り込んでいる榛名のことだ。 「あ、いいえ……大丈夫です、ご心配ありがとう」  霧咲は空港職員の女性にニッコリと微笑んだ。女性は顔を真っ赤にして、 「何かございましたら何でもお申し付けください!」 と言って、立ち去った。 「暁哉、ここじゃ目立つからトイレに行こう」 「………」  榛名は、下を向いたまま返事をしない。 「暁哉、」 「どうしても、話を聞かないといけませんか……?」  ぽたり、と榛名の顔から滴が床に落ちる。一つ、また一つと。 「その顔のまま、飛行機に乗りたくはないだろう?」 「………」  霧咲に抱き起こされ、逃げられないように手をぎゅっと握られた。榛名は観念したのか、俯いたまま大人しく霧咲について歩き出した。何故か連行されている犯罪者のような気分になった。  榛名は霧咲に連れられて、トイレの一番奥の個室へと連れ立って入った。霧咲が中から鍵をかけ、そのすぐあと。 「ンッ……!」  壁にドンッと背中を押し付けられ顎を片手で掴まれて、強引で濃厚なキスをされた。 「ンッ、ンぅっ、ふっ、んぁ……っ!」  唇を舐められ甘噛みされ、無理矢理割り入ってくる舌に追いかけられる。そのぬるりとした感触に心臓を鷲掴みにされて、飲み込めない唾液が榛名の顎を伝って落ちていく。  榛名は声を漏らしながらも、霧咲の胸をドンドンと叩いて抵抗した。しかし、霧咲の身体はビクともしない。田舎の空港で朝とはいえ、人の出入りは普通にあるのにこんなに声を出したら怪しまれてしまう。けど、霧咲は抑えられなかった。 (だめ、だめ……これじゃまた流される……) 「ンッ……ンぅッ……!チュッ」  けれど本当は嫌じゃないから、つい流されてもいいかと思ってしまう。 (だめ、なのに……)  だんだんと全身の力が抜けてきて、ついに榛名は陥落した。必死で握りしめて霧咲に抵抗していた拳をゆっくりとほどいて、そのまま霧咲の胸にぎゅっとしがみつく。自分からも舌を伸ばして霧咲の舌に絡め始めた。 「ンッ……チュッ、チュク……ふぅ、ンッ……」 「チュ……ン、はあ、暁哉……っ」  お互いの唾液が二人の口内で舌と共に淫らに交じりあう。霧咲も榛名の顎から手を離し、華奢な背中に手を回してきつく抱きしめた。もう二度と離さない、と言うように。  どれくらいキスを交わしていただろうか。いつの間にか榛名の両手は霧咲の首に回り、二人の身体は離れがたく密着していた。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「暁哉、」  唇を離したあとに、何かを言おうとした霧咲の態度を感じとった榛名は、また唇を押し付けた。まるで何も言わせない、とでも言うように。  霧咲は榛名の健気なキスに答えながらも、止まった拍子に真実を伝えようとするが。 「あのね、暁」 「も、黙って……言わなくていいです、分かってるから……」  その度に黙らされ、キスをねだられた。そんな榛名が可愛くてキスを返すのだが、早く伝えたいという気持ちもある。 「暁哉、俺は」 「ね……霧咲さん、俺のこと好き……?」  霧咲の目を真っ直ぐに見つめている榛名の両目から、涙がこぼれ落ちた。 「……好きだよ、君だけだ。君しか愛してない」  霧咲もまっすぐに榛名を見つめて、本心からそう言う。それが真実だからだ。 「俺、もうその言葉だけでいいです……」  けれど、この恋人はその言葉を信じてくれていない。真実はどうであれ、その言葉だけで十分だなどと言う。 「暁、」 「言わないで!」  榛名はまた霧咲の口を唇で防ごうとした。しかし、今度は霧咲はそれを許さなかった。 「君は、少しは人の話を聞きなさい!」 「ふがっ!?」  今度はキスを受け止める代わりに、その小さな鼻をムギュッと軽く摘まんだ。 「いいかい、落ち着いてよく聞くんだ。俺は結婚なんかしていないよ」  榛名の目が 大きく見開かれる。涙に濡れた可哀想なその瞳は、霧咲を凝視していた。 「うそ……」 「嘘じゃない、君は朝井君に騙されていたんだ。……まあ、その朝井君を騙してたのはうちの学生だけどね。でもそれを知っていて放置していた俺が悪いのも事実だ。おかげで君に大変な誤解をさせてしまったことは本当に悪いと思ってる。暁哉、すまなかった」 「………」  霧咲が結婚していない?  自分があの朝井という看護師に騙されていた?  けど朝井という看護師も学生に騙されていた?  霧咲はそれを黙って容認して、既婚者のフリをしていた?  ……何のために?  榛名の疑問を目だけで感じたのか、霧咲は続ける。 「勿論、スタッフに黙っていたのはそっちの方が俺にとって色々と都合が良かったからだよ。とは言っても結婚していると公言したわけじゃない。あっちが勝手に勘違いしているだけなんだ。他の先生達は俺が独身だと知っている」 「……透析室に来てた、奥さんと娘さんって」 「妹と姪だ。ちょっと事情があって何度か俺に会いに来てる。そこを見られたんだ」 「………」 「その……事情についてはまた後で話すよ。色々と複雑だし、俺にも心の準備がいるから……」 (心の準備……?) 「とりあえず、目下の誤解は解けたかい?解けてないのなら今から宮崎の市役所に行って、俺の戸籍を取り寄せてもらおう。そうすれば俺が独身だということも分かるし、そのまま君と籍を入れることもできる」 「え?」  榛名はきょとん、とした顔で霧咲を見つめた。 「未来を用意する、と言っただろう?本当は指輪を用意したかったんだけど、生憎買いに行く時間がなかった。君が余計な勘違いをしたせいだぞ」 「………」  霧咲は少し怒ったような口調でそう言ったが、その表情は困ったように眉を下げて、笑っていた。霧咲の弁明は終わったようだ。しかし榛名はぽかんとした顔のまま、霧咲をじっと見つめていた。 「暁哉?」  霧咲は榛名の頬を流れる涙を親指で拭いながら、優しくその名前を呼んだ。すると榛名も、やっと声が出るようになったらしい。 「ほんとに……本当に結婚してないんですか?」 「…うん、本当」 「だってそれが本当なら俺、馬鹿じゃないですか!一人で勘違いして、あんなに泣いて、仕事まで休んで……っ」  安堵からか、涙は次から次へと溢れて止まらない。 「本当にね。……というか、なんでまず初めに俺に真実を確かめなかったの?」 「確かめたりしたら、その時点で嫌気がさしてフラれるって思ったから……っ」  その言葉に霧咲は苦笑して、榛名の頬にキスをした。涙の味は少ししょっぱくて、それがなんだかひどく愛しい。 「本っ当~に馬鹿だね。常識的に考えて、フラれるのは俺の方だろうが」 「………」  霧咲はもう一度、今度は榛名の瞼に口づけた。榛名も目を閉じて、そのキスを受け入れる。 「本当に、君は……馬鹿だ」 「だっ……て……」 (そんなに何回も馬鹿だって言わないでよ……馬鹿だけど)  霧咲はコツン、と榛名の額に自分の額を当てた。そして、噛み締めるように言った。 「俺みたいな男を、こんなに深く愛して……」 「……っ」 「責任は取るよ……。一生そばにいるって約束する」 「……霧咲、さん」  霧咲は、もう一度榛名をきつく抱きしめた。榛名も霧咲の身体にしがみつく。 「一緒に東京に帰ろう」 「っはい……」  二人はここが空港のトイレだということも忘れて、暫く抱き合っていた。

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