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第78話 ひとまず、大阪へ

 5分ほど経過したあと、霧咲が聞いてきた。 「ところで暁哉……きみ、もう東京行きのチケットは買った?」 「あ、いえまだです、お土産先に買おうとしてて……」 「それなら好都合だな、悪いけどこれから俺と一緒に大阪まで来てくれないか?チケット代は勿論俺が出すから」 「えっ?」  霧咲はいきなり個室のドアをバンッと開けると、榛名の腕を掴んで普通にそこから出た。個室の外ではサラリーマンが二名ほど用を足す姿勢で立っていて――ただしもう用は足し終ったあとのようだった――出てきた榛名たちを顔を赤くして見ていた。  その反応から、二人の会話はずっと聞かれていたに違いなくて、榛名は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして俯き、早足で霧咲について行った。霧咲はどこ吹く風と言った感じで、平然とした顔をしていたが。 「お、思いっきり聞かれてたみたいですけど、霧咲さんは恥ずかしくないんですか!?」 「え、別に?もう会うことのない人間に聞かれていたってどうとも思わないかな」 「すごいですね……知り合いだったらどうするんですか」 「君は俺のものだって牽制できるね」  霧咲はニッコリと笑いながらそう言う。榛名は顔を赤くして俯いたが、繋がれた手を振り払うことはもうしなかった。男同士で手を繋いでいて思い切り注目は浴びているものの、確かに知り合いなど一人もいない……はずだ。いたとしても、どうでもいい。自分は霧咲と共に東京に帰るのだから。 「あ、そういえば大阪って……仕事に戻るんですか?」  搭乗券販売所まで歩きながら、榛名は霧咲に聞いた。 「うん、学会は16時までやってるからとりあえず数時間でも参加したってポーズを取っておこうかと思って。あと挨拶しないといけない先生もいるしね。出張扱いだから、大阪から東京に帰るチケットも病院から出して貰ってるし」 「俺が行っても大丈夫なんですか?医者じゃないし参加表明もしてないですけど」 「別に構わないさ。看護師だって興味がある人は来てるし、昼の弁当を希望する以外で参加表明なんていらなかったはずだよ。なんなら医学生のフリをしてついておいで。私服だし、君なら十分大学生で通じるだろう」  勿論、榛名が童顔であることを指して言っている。 「それ、あんまり嬉しくないですね……」 「君の童顔は今更だろう?いいじゃないか、いつまでも若く見られて。それに俺は君の顔が好きだよ」  さらりと恥ずかしいことを言う。もしかしたら霧咲はいつもよりテンションが上がっているのかもしれない。 「……若く見られるのは、霧咲さんも一緒だと思います」 「そうだね。……君は俺の顔、好きかい?」  もしかすると、これを言わせたかっただけなのだろうか。 「……好きです」  早口で小さな声でそう言うと、霧咲は嬉しそうに笑った。  宮崎から大阪行きの飛行機は、東京行きの飛行機よりも時間が早い便がいくつもあった。榛名たちは急いで搭乗券を買い、搭乗ゲートへと走った。しかし無事に飛行機に乗れたところで、榛名はスタッフへのお土産を買ってないことを思い出した。 「あっ!!宮崎のお土産買い忘れた!!」 「え、お土産?」 「そうですよ!せっかく休暇貰えたのにお土産も買ってないとか……ああー!お母さんに電話して送ってもらおうかな……って俺、充電器もまだ買ってないし!!」  最初は買うつもりはなかったのだが、さすがにそろそろ不便なので買おうと思っていたのだがすっかり忘れていた。 「でも君、お父さんのお見舞いで急遽帰省させてもらったんだろう?スタッフはお土産とか期待してないと思うけど……、まあ、後日に母君に送ってもらうのが一番だろうね。大阪の土産じゃダメなんだろう?」 「そりゃみんな、なんで大阪?ってなりますよ」 「違いないね」  霧咲はふふっと笑って、握っていた榛名の手を軽く離すと今度は指を絡ませた。恋人繋ぎというやつだ。二人はさっきからずっと手を繋いでおり、他の客にも客室乗務員にもヒソヒソ噂されている気がしたが、もう構わない。この飛行機には霧咲以外知り合いなど一人もいないし、霧咲が客室乗務員に色目を使われても不快だ。さっき霧咲が言った『牽制』は、自分の方がよっぽどしていると榛名は思った。  そして、飛行機が動き出した。 「あの、霧咲さ……」  榛名はさっき霧咲が言った事情とやらを聞こうとしたのだが、霧咲は眠っていた。自分が昨夜あんなことを言ったせいで、もしかしたら一睡もしていないのかもしれない。出張で疲れているだろうに、こんなところまで来させて……。 (でも、俺がもし空港にいなかったらどうするつもりだったんだろう)  榛名は霧咲に自分の家の住所など教えたことはない。お見合いをするとは言ったが、それがどこで行われる予定だったのかも当然知らない。もしかして霧咲は、何ひとつ手がかりのない状態のまま、自分を探そうとしていたのだろうか。 「……貴方も俺と同じで、十分馬鹿だと思いますよ」  霧咲の寝顔を見ながら、榛名は小さな声でそう言った。そして絡まれた手をギュッと握り返して、自分も霧咲の肩にもたれて目を閉じた。 *  飛行機は一時間半ほどで大阪の伊丹空港に着き、榛名は初めての大阪上陸に感動する間もなく霧咲に連れられて、梅田行きのバスに飛び乗った。 「梅田に着いたらタクシーで移動するからね」 「あっ、あの俺、ジャケットくらい買おうかと思ってたんですけど!」 「そんなのいいよ。冬だし、コートを脱がなければ別に変じゃないさ」  会場が暖房の効きすぎで暑かったらどうするんだ、と榛名は思った。なので別の案も出してみる。 「それか俺、近くのカフェとかファミレスで学会が終わるまで待ってましょうか……?」  それが一番現実的な提案だと思った。医者や学生のフリをして、何か質問でもされたらどうすればいいのかと。 「君を一人にしてナンパでもされたらどうするんだ。陽気な大阪人に楽しげに誘われたら、君なんかすぐに連れさられてしまうぞ」  大真面目な顔でそう言う霧咲に、榛名は少しだけ呆れた。 「あのぉ、俺は子供でもないしその言い方は大阪の人にすごく失礼だと思うんですけど」 「そのくらい警戒していた方がいいってことさ。これ以上俺に余計な心配をかけたら君、明後日の夜は自分がどんな目に遭うのか覚悟しておいた方がいいよ」 「あさって?」  今日は大阪には泊まらないのだろうか。せっかく誤解も解けたことだし、てっきり今日はホテルに戻ったらそういうことをするのだと期待していないと言ったら、嘘になる。 「ああ済まない、今夜俺と寝れないからってそんな残念そうな顔をしないでくれるかい?明後日はなんでも君の我儘を聞いてあげるから」 「ちょっ、そういうこと公共の場で言わないでくれます!?」  梅田行きのバスの中は満席で、前後左右に客が乗っている。小声で話していたものの、絶対に周りには聞こえているはずだ。  やはり霧咲はいつもに比べてテンションが高い。それが自分のせいなのだと思うと、榛名は怒るに怒れなかった。霧咲は榛名の小言をさらりと流し、申し訳なさそうな声と顔で言った。 「実は、今夜のうちに東京に帰らないといけないんだ。その辺はまた後で詳しく説明するけど。愚妹のせいで今夜もひとりぼっちになる姪っ子を、クリスマス・イヴに放置するなんて可哀想なことはできなくてね。本当は君を一番に優先したいんだけど……」 「姪っ子?さっき言ってた……?」 「そうだ。10歳の女の子で、名前は霧咲亜衣乃。えっと……君さえよかったら、俺たちと一緒に今夜イヴを過ごしてほしいと思っているんだけど……どうかな?君に亜衣乃を紹介したい」  それは思ってもいない、嬉しい誘いだった。けれど榛名はそれよりも、いつも自信満々な霧咲の態度がどことなく消極的なことの方が気になった。

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