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第79話 榛名、亜衣乃と会う
「俺は嬉しいですけど……でも、その姪っ子ちゃんは嫌なんじゃないですか?知らない男と一緒にイヴを過ごすなんて」
「亜衣乃は君なら大丈夫だと思う。それと、これは俺の我儘なんだ。もう君を一人にしたくないし、片時も離れたくない」
そう言って、霧咲は再び榛名の手をギュッと握った。バスの中でも相変わらず、二人は手を握りっぱなしだった。きっと周りからはうざったいゲイカップルだと思われていることだろう。でもここは東京じゃないので、榛名も既に開き直っている。
それにしても、霧咲がこんなに消極的な態度を榛名に見せるなんて、自分のお馬鹿な勘違いはよっぽど霧咲にもトラウマになったに違いない。それと、家族のことが関係しているのだろうか。榛名はなんとなく霧咲の言葉の端々からそれらを感じ取って、もうその質問をするのはやめておいた。霧咲が自分から話してくれるまで、待つことに決めた。
*
梅田の丸ビルに着いたあと、霧咲と榛名はタクシーを捕まえて飛び乗った。榛名は初めて見る大阪の風景に、ずっとキョロキョロしっぱなしだ。さすが東京に続く大都市だけあって、大阪も大都会だった。もっとも宮崎出身の榛名にとっては、東京も大阪も同じ大都会なのだが。
霧咲はそんなおのぼりさん状態な榛名をニヤニヤしながら見つめていたが、榛名はそれには気付かず、タクシーの中でもずっと静かにはしゃいでいた。
大阪市中之島のとある会場で、本日の透析学会は行われていた。人の出入りが多く、霧咲同様にスーツを着ている者がほとんどだが、中にはラフな格好の人や私服の女性もちらほらといたので榛名はほっと胸をなで下ろした。
「ね?別に君一人が入ったからってどうってことないだろ」
「そうですね、遅れて入ってますけど」
「構わないさ。遅刻しようが居眠りしようが、参加することに意義があるのさ」
「参加費無駄ですね……」
学会の内容は榛名には難しくてほとんど分からなかったが、隣を見たら霧咲も半分寝ており全く真面目に聞いていなかったので、『まあいいか』という気分になった。
でもとりあえず、霧咲が寝ているのを見るたびにそっと小突いて起こしてあげた。(後から講演をしている先生に挨拶をすると言っていたので、内容を全く覚えていなかったら霧咲が困るかもしれない、という気遣いからだ)
榛名の心配をよそに、霧咲は講演をしていた先生と親しげに挨拶と握手を交わして楽しそうに話していた。しかし調子のよすぎる霧咲の態度を見て、榛名は(ほとんど聞いてなかったくせに……)と思わざるを得ない。
しかも、話が終わるのを遠くで待っていようと思っていたのに、霧咲はそれを許さなかった。なので榛名はまるで霧咲の付き人のように、話が終わるまでその後ろで所在無げに突っ立っていた。
「……ところでそちらは?霧咲先生」
「ああ、彼はうちの学生でして。榛名君、自己紹介を」
「あっ!は、初めまして。榛名暁哉と言います」
いきなり紹介を促され(しかも学生として)、榛名は慌てて先方に頭を下げた。
「へえ、K大の学生なん?何年生?」
「え……と、4年、です」
「じゃあ22歳くらいか、若くてええなぁ~」
何故か全身を舐めまわすようにジロジロと見られた。嘘をついているので居心地が悪すぎるのだが、榛名は嘘がバレないように必死で笑みを浮かべて繕った。すると霧咲が助け船を出してくれた。
「学会は勉強になるからって無理矢理連れてきたんですよ。どうだった?榛名君、海野先生の講義は」
「え、難しかったです。けど、勉強になりました」
ここで下手に『よくわかりました』などと言ったら今度は質問を求められると思い、榛名は正直に答えた。
「ははは!正直な子やな~。でもそうか、医学生にも難しかったか」
「まだまだ勉強が必要だね」
「はい、頑張ります」
早くこの場を立ち去りたい一心で、榛名は霧咲を心の中で睨みつける。霧咲はそんな榛名の思惑を受け取り、他にも海野教授に話しかけるのを待っている人物を見つけて、身体を避けながら言った。
「あっ、これはすみません長々と。では海野先生、我々はこれで失礼します。また東京に来られた際はK大に寄って行ってくださいね。うちの山上教授もお待ちしてますので」
「もちろんそうさせてもらうよ。山上先生によろしくな、霧咲先生」
「はい」
「君も勉強、しっかり頑張ってな。よかったら今度東京行ったときデートしてや」
「は、はぁ」
海野教授は榛名に話しかける時だけ関西弁だった。初めて生で聞く関西弁がドラマのセリフのようで榛名は少しだけソワソワしたが、内容が内容だけに苦笑いしか返せなかった。貼りつけたような笑顔の霧咲のオーラも、少し恐かった。
会場を出た後、霧咲は榛名に色目を使われたとイラついていた。
「あのタコ教授……誰が二度と会わせるもんか!君は今年いっぱいで自主退学したって設定にしよう」
「ブッ!なんですか、そのお粗末な設定は」
分かりやすく海野教授に嫉妬する霧咲が、なんだかこどものようで可愛くて榛名はくすくすと笑った。
*
二人が東京に戻った時、既に夜の8時を過ぎていた。東京に帰る飛行機の中で、霧咲は榛名に家庭の事情――妹の蓉子や亜衣乃のこと、かつての恋人のこと、両親に勘当されたことなどをかいつまんで話した。どんな反応をされるかドキドキしていたのだが、榛名は予想以上に冷静だった。
「あの……その話するのに何でそんなに緊張されてるのか俺にはよく分かんないんですけど、話を聞く限りでは霧咲さん、何も悪くないじゃないですか?」
そう言ってくれたのだ。確かに霧咲視点から話を聞けば、そう考えるのは当たり前かもしれない。一番悪いのは霧咲のかつての恋人である、中原敏也 という男だ。けれど彼が霧咲を裏切って、その妹を陥れて子供まで成すという行動をさせたのは、霧咲のある一言が原因だった。
「榛名、その、君は……」
「はい?」
榛名に彼と同じ質問をしようとした途端、飛行機は着陸態勢に入り激しく揺れだしたので、会話はストップした。歯切れの悪い霧咲のその質問を榛名は気にしていたようだが、結局飛行機を降りるまで、霧咲がその続きを話せることはなかった。何故なら……
「まこおじさーん!」
「あ……亜衣乃!?」
霧咲の姪である霧咲亜衣乃が一人、空港で待っていたのだ。
「なんでここにいるんだ?俺が迎えに行くまで蓉子と二人で家で待っておけと!」
「だってママ、早く出かけたいからって亜衣乃をここに置いていったんだもん。ここで待ってたらまこおじさんが来るって言うから……」
「はあ!?あいつ、小学生を夜の空港に一人置いていくとか何考えてるんだ!?」
霧咲は頭を抱えてため息を吐いたが、当の亜衣乃はキョトンとしている。
「ママ、言うとおりにしたら新しい靴買ってあげるって言ってくれたから。ねぇこの靴可愛い?空港で買ってもらったの!クリスマスプレゼントだって!」
「そうか……うん、可愛いよ」
「えへっ」
そこで亜衣乃は、伯父の後ろに立ってじっと自分を見ている榛名の存在に気が付いた。
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