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第129話 二宮と堂島の話

 T病院透析室で働く臨床工学技士の二宮修(にのみやしゅう)は、後輩の堂島太一(どうじまたいち)のことが苦手だった。本人そのものが苦手というより、堂島は自分が『苦手とする人種』だった。  病院勤務の癖に外見が派手――いわゆるチャラ男というやつで、中身も外見を裏切らないチャラさ。堂島が後輩として透析室に配属された時は、絶対に仲良くなれない、いや、なりたくないとすら思ってしまった。  けれど、一緒に働いてみれば堂島は意外とマジメに人の話を聞き、丁寧に仕事をこなした。そして穿刺のセンスの良さは、明らかに自分よりも上だった。 『人は見かけによらない』  二宮がその言葉をしみじみと実感し、見かけだけで人を判断した自分を反省したのは、今からもう3年も前のことだった。 * 「二宮せんぱーい……」 「ん?」  堂島も二宮も喫煙者だ。病院の敷地内は全館禁煙となっているため、喫煙者は吸いたくなればわざわざ着替えて病院の外にある喫煙所――といっても正規の喫煙所ではなく、人の目に付きにくい単なる職員の溜まり場である。勿論携帯灰皿持参だ――に来たり、着替えずに自分の車の中で吸ったりしている。  二宮は自分の愛車が煙草臭くなるのは絶対に嫌なので、どんなに面倒でも昼休みは着替えて外へ煙草を吸いに来ていた。  仕事中に着替えて外に出ることなどはできないので、昼休みに吸う一本はとても貴重だ。そして今は、堂島が自分の横で煙草を吸っている。  今日は二人そろって遅番だったため、喫煙タイムも被ってしまったらしい。堂島は白い紫煙をくゆらせながら、心底ダルそうな態度で二宮に声をかけていた。 「先輩の車って、めちゃ派手っすよね」 「そうか?」 「派手っすよぉ。青のインプとかめちゃめちゃ派手じゃないですか。なんか意外っす、二宮先輩ってオヤジ車に乗ってるようなイメージじゃないですかぁ、セダンとかの」 「どんなイメージだよ。失礼だなお前……」  二宮は今年で31歳なので、まだ27歳の堂島からすればオッサンなのかもしれない……が、堂島だって四捨五入すれば既にアラサーだ。  二宮は昔から妙に態度が落ち着いていた子供だったので、周りから老けてるだのなんだのと言われることが多かったが、ついに外見が中身に追いついたのだろうか。それはあまり笑えることではなく、微妙にショックな事実だとも言えた。  だが今はそんなことより、最近元気のない後輩の態度の方が二宮は気になっていた。堂島が突然二宮の車の話をしだしたことには、特に深い意味はないのだろう。 「インプかぁ……すげぇスピードでカッ飛ばしたら気持ちよさそうっすよね」 「それ、暗に乗せてくださいって言ってるのか?」 「え、そんな風に聞こえました?いやそりゃ乗りたいっすけど、助手席に男乗せるのとか嫌じゃないっすか?」 「別に。乗りたいなら乗せてやるよ」  二宮の愛車の助手席には、すでに男の榛名が乗ったことがある。弟も友達も乗せたことがあるし、二宮の発言は何言ってんだコイツ、くらいにしか思えなかった。堂島は車を買ったら、助手席には恋人しか乗せないという自分ルールでもあるのだろうか。 「え、まじでいいんすか?」 「いいよ。ただし禁煙だからな。そして飲み物はいいけど菓子類は絶対に持ち込むなよ」  二宮は以前友人を乗せたときに、ポテトチップスのカスを落とされて激怒した思い出がある。それからその友人は積極的に二宮の車に乗せてくれとは言わなくなった。 「色々厳しッスね……いや、でも嬉しいです。いつ乗せてくれるんですか?」 「別に、お前が暇なら今日でも」  二宮には恋人もいないし、特に帰って出かける予定もない。仕事はアフター5できっちりと終わるが、いつも帰ってすることといえば、何かをつまみながら焼酎を飲むくらいだ。それは予定というよりも日課だが。 「マジっすか!じゃあ今日、お願いします!」 「どっか行きたいとこあるのか?」 「ええ~っと……じゃあ、海とか?」 「彼女か」  堂島も言ったあとに一瞬『しまった』という顔をしたが、他に行きたいところの希望は特にないようだった。そういうわけで、今日の仕事終わりに二宮の車で海に行くことになった。 * 「うっわ、すっげぇピカピカ!!さすがクルマが恋人だと豪語してるだけありますね、二宮先輩!」 「別に豪語してねぇよ」  だが、確かに恋人並に手を掛けていると言ってもあながち間違いではない。いや、恋人以上に手を掛けていると言った方が正しいかもしれない。  二宮は女性が苦手というわけではないのだが、どうも女性の心理を読み取るのが苦手らしく、いつも無神経な発言をして相手を怒らせてしまうのだ。そして振られる。  けれど、後から自分の何が悪かったのかをいくら考えても、絶対に思いつかない。女性関係が得意な友人に話してみると自分の悪かったところを指摘されて、『ああそうなのか』とやっと納得できるレベルだ。  しかし、彼女が怒る理由のほとんどが『言わなくても察してよ』というようなもので、これは経験値を積まないと絶対に会得することのできない技術だと思い、あまり反省はしてない。  そんな二宮にとって恋愛は面倒くさいもので、ここ2年ほどはずっとフリーだった。親が不倫の末離婚しているため、甘ったるい結婚願望もないし、そういう気持ちが自然と態度に滲み出ているのかもしれない。それで、彼女たちは二宮に嫌気がさすのかもしれない。  それはそれで、自分にはどうすることもできないのだった。 「二宮先輩?クルマ乗ってもいいっすか?」 「あ、ああ……どうぞ」 「へへ。じゃあ遠慮なく、お邪魔しまーっす!」  堂島が助手席に乗り込んだあとに自分も運転席に乗り込み、エンジンを掛けた。すぐには走り出さず、暫くエンジンを暖める。 「二宮先輩、オートマじゃないんですね、やっぱりこだわってますねぇ」 「まあ、マニュアル車の方が運転してるって気になるからな」  両手両足、同時に動かすのが好きなのだ。別にカッコよさを追求しているわけではない。 「俺、免許はオートマ限定っす。だからクラッチとか全然わかんねーっす」 「別にいいんじゃないか?そっちの方が世の中の主流なんだから」 「でもやっぱマニュアル車、憧れますよね~、ま、俺には無理だって思ってやめましたけど」 「勿体ねぇな」  他愛のない会話を交わしながら、二宮は海に向かって車を走らせはじめた。仕事の話やプライベートの話など、とにかく堂島がずっと喋っているので車内に沈黙が訪れることは一瞬もなかった。  海と言ってもこの近くで思い浮かぶ海は東京湾しかなかったため、二宮は東京湾に向かっている。堂島は彼女でもないし、ただ海が見れればいいのだろうと思ったので到着したのは砂浜なんかもない埠頭だった。 「……なんか、ヤクザが夜中に死体を簀巻きにして捨てにきそうッスねぇ」 「海は海だろ」 「二宮先輩、付き合ったらすぐフラれるタイプっしょ」 「……まあな」  何故分かるのだろうか。堂島も友人と同じ、その手のことが得意なのだろう。さすがチャラ男を豪語しているだけのことはある。(別に聞いたことはないが) 「まあいっか!海には代わりないですし。じゃ、俺暫く海眺めていいっすか?」 「ああ。俺はコーヒーでも買ってくる。お前も飲むか?」 「あざーっす。俺微糖でお願いしゃっす」 「おう」  車に乗せて行きたいところに連れて行った挙句、パシリまでしている。全て自分で言いだしたことなのだが、一応こっちが先輩なのに……と二宮はなんとなく微妙な気持ちになった。  でも今の堂島は元気がないので、まあいいか。と思いなおす。仕事で精一杯パシってやろう、とも。  堂島の元気があるだの無いだのなんて、ただの職場の先輩である自分にはどうでもいいことなのだが、なんとなく。  なんとなく……このたった一人の後輩を、突然構いたくなったのだ。  ただの気まぐれだ。 * 「堂島お前、失恋でもしたのか?」 「え?」 「突然海行きたいとかって、そういう類のこととしか思えねぇんだけど」 「あー」  なんとなく元気がなくて、海に行きたいと言う。それだけで恋愛に結び付けるのは短絡的だと思うが、それしか思い浮かばないので仕方ない。  そして堂島は、二宮のその言葉があながち間違いじゃない、というような表情をした。 「そうなのか?」 「失恋っつーか……自分でもよくわかんないんすよね。自分のことなのに、なんか」 「……?」  なんとなく煮え切らない言い方だ。こういう態度の堂島は珍しい、と思った。自分との付き合いが浅すぎるだけで、元々こういう人間なのかもしれないが。  けれど二宮は、そんな堂島の態度にイラつくでもなく、逆に好感を持った。そして無意識で、こんなことを言っていた。 「お前、土曜日暇か?」 「え?」 「飲むか。俺の奢りで」 「え、まじっすか先輩!?コーヒーのお返しに奢れって言われるのかと思いましたけど!?」 「俺はそんなせこい男じゃねえよ」  本当に、堂島の中での自分のイメ―ジはどうなっているのだろう。勿論それらは本心ではなく、冗談だということは分かっているものの。

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