「暁哉？」 　霧咲は、神妙な顔をして黙り込んでしまった榛名が心配になって声を掛けた。この旅行は榛名の誕生祝いなのだから、楽しい思いしかさせたくなかったのに、こんな思いつめたような顔をさせてしまうなんて失敗だ。不意打ちで、今度は抱きしめてみようかと思った、その時。 「まこおじさぁあん！！アキちゃあぁん！！」 　トイレに行った亜衣乃が血相を変えて、らしくもない大声をあげながらこちらに走ってきた。その普通じゃない様子に、霧咲と榛名も少し駆け足で亜衣乃の方に駆け寄った。 「亜衣乃？そんなに慌ててどうしたんだ」 　榛名は一瞬、トイレに変態でも出たのかと思った。 「トッ……トイレでね、人が倒れてたの！！ていうか今も倒れてるのー！！」 「ええっ！？」 　榛名は驚いて思わず素っ頓狂な声をあげたが、霧咲は声を上げる間もなく公衆トイレに全力疾走し始めていた。榛名もその後を慌てて追いかける。 「アキちゃん！」 「亜衣乃ちゃん、すぐに119番に電話して救急車を呼んでくれる！？できる！？」 「わかった！」 　榛名が霧咲に追いつくと、霧咲は躊躇せずに女子トイレの中に飛び込んだ。榛名もその後に続いて入ると、何やら高齢の女性が手洗い場の辺りで胸を抑えて蹲っていた。 「大丈夫ですか！？」 「……うぅっ」 　どうやら女性はまだ意識はあるらしいが、胸の辺りが苦しくて霧咲の問いかけに返事が出来ないようだ。霧咲はここでは処置がしにくいと判断したのか、榛名を呼んで二人でトイレの外へとその女性を抱えて連れだした。外には何やら不穏な空気を感じた数人の観光客が集まってきていた。 「アキちゃん救急車呼んだよ！」 「ありがとう！」 　すると、今度は霧咲が亜衣乃にお使いを頼んだ。 「亜衣乃、次はAEDを探してきてくれないか？土産屋かコンビニに置いてあると思うから」 「えっ、AED……！？わ、わかった！」 　亜衣乃は再び駆け出した。ざわざわと周りがどよめきだし、だんだんと人が集まってきた。すると、わらわらと集まった人垣の中から一人の高齢男性が近寄ってきた。 「お、おまえ！一体どうしたんだ！？」 「貴方はこの方の旦那様ですか！？」 「そ、そうだが……おまえー！しっかりしろ！」 　老婦人はとうに意識を失って軽く痙攣しており、霧咲は既に服を脱がせて一次救命処置である胸骨圧迫を開始していた。なので、榛名が代わりに男性に質問をし続けた。 「奥様はトイレで胸を押さえて倒れていました、何か元々持病を持っていらっしゃいますか？お薬とか……」 「い、いやワシは知らない、何も聞いてないぞ！おまえ、しっかりしろ！おまえぇ！」 「落ち着いてください、あの人医者ですから！俺も看護師ですので！」 　男性が処置中の霧咲を突き飛ばそうとしたので、榛名は慌てて肩を抑えて男性を引き止めた。そしてあまり言いたくはなかったが、夫であるその男性を安心させるために自分達は医療関係者であると名乗った。 　案の定、霧咲が医者だと知った男性は少し落ち着いたのか、無暗に掴みかかることはやめた。そして縋るような声で霧咲に問いかける。 「せ、先生！和子は、家内は助かるんでしょうか！？助けてください！」 「まだ分かりません、とりあえずAEDと救急車の到着を待ちます……暁哉、気道確保してくれないか。人工呼吸はしなくていい」 「ハイ！」 　榛名は自分が巻いていたマフラーを適当に畳んで肩枕を作り、老婦人の肩の下へ置くとぐいっと顎を上げて気道確保をした。そこではっきりと老婦人の顔を見て、あっと声を上げた。 「誠人さん！この人って」 「待合室で、亜衣乃にカイロをくれたご婦人だな」 「ですよね」 　霧咲は既に気付いていたらしいが、それを榛名に言う余裕はなかったらしい。 「まだ自発呼吸は無いか？」 「ありません。あの、胸骨圧迫交代します」 「まだ大丈夫だよ。それより亜衣乃は……AEDはまだなのかな」 　霧咲がそう言ったら、遠くから「まこおじさーん！」と亜衣乃の声がして、見るとどこかの土産屋の店員らしい男性がAEDを抱えて、亜衣乃とともにこちらへ向かってきているのが見えた。 　AEDは開けると同時に電源が付くタイプだったようで、蓋を開けた途端にけたたましい警報音がそこらじゅうに鳴り響いた。榛名は透析室で何度か使用しているため、手際よくパットの入った袋を破り老婦人の服を脱がしたのち、身体に２箇所貼りつけていく。AEDは心電図を解析し、電気ショックが必要だという指示を出した。 「電気ショックを開始するから、離れて！」 「はい！旦那さん、奥さんに触れたら絶対にダメですよ！」 「は、はい」 　霧咲が言い、その後に榛名が男性に強く注意した。霧咲は誰も触れていないのを確認したあと、電気ショックのボタンを押した。ドンッという音のあと、婦人の身体が一瞬波のように震えた。その後もAEDから胸骨圧迫を続けてください、と指示が流れたので霧咲は続けた。 「まこおじさんアキちゃん、救急車が来たよ！！」 　AEDを起動した5分ほどあとに救急隊が到着し、榛名が救急隊に状況を詳しく伝えた。老婦人は担架に乗せられて救急車の中に収容され、夫である男性も一緒に乗り込んでいく。そして、救急隊に頼まれて医者である霧咲も同乗することになった。 「誠人さん……」 「暁哉、亜衣乃、俺はこのご婦人を病院に送ったらすぐに戻るから、とりあえずホテルで合流しよう。観光してても構わないけど、携帯にはすぐ出れる状態でいるように」 「分かりました、気を付けて」 「うん、ごめんね」 「いいえ！」 　そして、慌ただしく救急車は去って行った。亜衣乃は色々といっぱいいっぱいだったらしく、ずっと榛名の腰辺りにしがみついていた。 「亜衣乃ちゃん、大丈夫？びっくりしたね。でもすぐに知らせてくれてありがとう。あのおばあさんはきっと大丈夫だよ、誠人さんが一緒だから」 「うん……ねえアキちゃん、あのおばあさん船に乗る前に亜衣乃に親切にしてくれた人だよね？」 「そうだね……あの時は普通に元気そうだったけど」 　榛名は亜衣乃を落ち着かせるように、背中をぽんぽんと優しく叩いた。 「星の王子様ミュージアムに行くのは明日にして、俺たちは今からホテルに行こっか」 　 　榛名がそう言うと、亜衣乃は大人しくコクンと頷いた。とてもじゃないが今から観光する気分にはなれず、とりあえず今夜泊まる予定のホテルに向かうことにしたのだった。