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第162話 堂島、合コンに誘われる

 堂島は、憂鬱な気持ちで階段を降りていた。  先程外科病棟での業務――病棟に置いてある医療機器のメンテナンスや、呼吸器を付けている患者の入浴介助等――を終えて、透析室へと帰っている途中だった。  いまは丁度12時半を回ったところで、透析室は回収作業の真っ最中だろう。  回収患者の担当表に自分の名前は上がっていないと思うが、『うわ、今日の回収メンバー めっちゃ人少ない……』と榛名がボヤいていたのを聞いていたため、少しでも早く戻っててんてこ舞いになっているであろう回収作業に自分も加勢しないといけない。  なのに、足が重くていつものように動かない。  原因は分かっている。外科の主任看護師山本――36歳、院内では合コンの女王と呼ばれている――が、帰り際の自分に振ってきた話のせいだった。 『ねぇ堂島くん、MEの二宮さんって独身で彼女もいないって本当なの?』 『へっ?』  藪から棒になんなのだ。早く透析室に戻らなければいけないので軽く流したかったが、そのひとの名前を出された以上、聞き流すわけにはいかなかった。 『ふふっ!二宮さんってよーく見たら意外とかっこいいってことに気付いたの!寡黙だけど仕事が出来るオトコって感じだし、歳も私とそんなに離れてないし?同じ専門職同士イイじゃん!って』 『はあ』  もう言いたい事は分かった、みなまで言うな。そう思って多分顔にも出していたのだけど、山本はそんな堂島の顔色は無視して続けた。 『もっと話してみたいなって思ったんだけど、いきなり食事に誘ったりしたらヒかれちゃうでしょ?なんか二宮さんって草食系っぽいし……だから堂島くん、合コンに誘ってよ!』 『えぇ!?』  二宮先輩が草食系だって?それだけは絶対にありえない!!  ……と、言いたかったが寸でのところで止まった。  それに二宮が野獣化するのはウイスキーで酔っ払った時限定であって、そうでなければ確かに草食系なのかもしれないから。  というか、今はそこを気にしている場合ではない。 『もちろん外科のナースたちも呼ぶわよ?堂島くんも今フリーなんだってね、誰かお気に入りの子いる?あ、てか堂島くん男何人誘える?こっちは年齢バラバラだけど4人くらいかなー』 『え、えっと……』  同じコメディカル仲間ならば、何人だって誘える。理学療法士やレントゲン技師など――でも、そんなこと今はどうでもいい。  臨床工学技士の先輩である二宮は、一応堂島の…… 『彼氏』  と、呼べる存在なのだ。  目の前の女は、その自分の彼氏にちょっかい出したい宣言を堂島にしているわけで…… 『じゃあよろしくね、今週の土曜日でいい?バレンタイン合コンね!時間はまたLINEするから』 『あ、ちょっ』 『山本しゅにーん!お電話ですー!』 『はーい!』  堂島が返事をする前に、山本はスタッフに呼ばれてアッサリ立ち去った。  堂島はかなり強引に押し切られる形で、外科ナース達との週末合コンの約束を取り付けさせられたのだった。 「マジ、ありえねぇし……」  そんなわけで、今の堂島の足取りは重い。  これが自分だけの誘いだったら、合コンなんかテキトーに酒を飲んでテキトーに相手してテキトーなところで切り上げてさっさと帰ればいい。  場を盛り上げる役なんかも、自分に劣らずお調子者の多いリハビリ勢に任せておけばいいし――。 (つーか、なんで二宮先輩を……)  山本は元々霧咲を狙っていた、というのは風の噂で聞いたことがある。しかも、その誘いを榛名経過で行ったというのだから、内情を知っている者としてはなかなかおそろしいことをするものだ、と思った。  榛名の、普段はあまり表に出さない困惑顔が目に浮かぶようだ。(自分にはよく向けられているが)山本主任は絶対気付いてないだろうけど。  そういえば、榛名はどうやって山本の霧咲目当ての合コンの誘いを断ったのだろう。俺の彼氏だからダメです、なんてあの人が言うわけないだろうし――参考までに聞いてみようかな、と思った。しかし。 (いやいや。たかが合コンの誘いを断るだけなのに、榛名くんの何を参考にすんだよ……)  それに榛名に限らず、自分達の関係を知っている者は自分達以外にはいない。これからも誰かに言うつもりもなかった。 それについて話し合ったことはないが、きっと二宮も同じ考えだろう。 (でもそれって、単に後腐れなく別れるためだろうか?)  自分と二宮の関係は、数ヶ月前まではただの職場の同僚で先輩と後輩だった。  あの日、二宮に誘われて二宮の部屋で酒を飲んで、アホな自分が二宮の忠告を無視して二宮にウイスキーを飲ませた結果、こうなった。  端的に言うと、堂島は二宮にレイプされた。そして新しい世界の扉を開けてしまったのだ。 (男どうしとか、SMプレイとか、あの人ほんとヤバすぎじゃね?ウイスキー飲んだだけでああなるとかマジ変人……)  思い出すとドン引きするのに、二宮の飴と鞭に見事に翻弄された堂島は、その結果――二宮に好意のようなものを抱いてしまった。  そしてレイプした責任を取ってもらうという名目のもと、付き合って貰うことに成功した。 (俺が無理矢理付き合わせたみたいだけど、嫌なら嫌だって言うよな、ふつう)  しかし堂島には、このまま一生男の二宮と付き合っていく、という決心や覚悟なんてものは皆無だ。というより、考えないようにしている。  堂島は元々ノンケだし、女性と付き合っている時もそういう考えだった。だからそれは堂島にとっては別に何も特別なことではない。  もう27になるのに、結婚だとか子どもだとか、そういうものは堂島にとって未だに現実味がなかった。  友達の大半がまだ独身であるし、親に結婚を急かされたこともないからだ。 (お互い楽しくお付き合い出来ればそれでいい。もし失敗して子どもが出来たら、その時はその相手と結婚すりゃいいんじゃねぇ?)  誰かと付き合う時は、いつもそういうノリだった。相手だって同じだ。無意識にそういう相手を選んで付き合っていたのかもしれないが。  二宮は今まで付き合った相手とはノリも趣味も性別も違うが、堂島としてはやはり今を楽しむだけの軽いお付き合いのつもりだ。  男同士だから余計に、結婚や子どもというワードは遥か彼方に消え去っている。  それなのに、二宮との関係は堂島の心のどこかにいつも影を落としていた。 なんだかひどくモヤモヤするような、イライラするような…… 「あ、堂島くん、おかえり」  透析室に一歩足を踏み入れたら、真正面のベッドの患者の止血中の榛名と目が合った。 「休憩上がったら堂島くんにも回収係付けてるから、担当の患者さん確認しといてね」 「え、マジで?長引いて俺がずっと帰って来なかったらどーするつもりだったんだよ榛名く……じゃなくて、榛名主任」  堂島は二宮に注意されてから、仕事中は榛名のことをちゃんと『主任』と呼ぶようになった。まだほんの少し、照れ臭さは残っているが。 「だって二宮さんがこの時間には堂島くんも戻って来るだろうから回収に付けていいよって言ってくれたよ?ほんとに帰ってきたし」 「……はあ、さすが二宮先輩」  堂島は透析室全体をぐるっと見渡すと、遠くの方で新たな透析回路(午後の患者用)を組んでいる二宮を見つけた。  別に、自分が戻ってくる時間を把握されてるくらいは全然特別なことじゃない。ME同士なら何をやって何時に終わるかは大体見当が付くし、まあ、それは何のトラブルも起こらなければの話なのだが……  それでもなんとなく、嬉しい気がするのは何故だろう。 (俺ってけっこう単純かも……)  もう一度、遠くにいる二宮を見つめる。確かに、黙々と仕事をしている姿はまるで職人のようでカッコイイとは自分も常々密かに思っていた。   この姿を――一緒に働く透析室のスタッフはしょうがないとして――恋愛目的の山本なんかに見つかりたく無かったのに。  山本から合コンに誘われたことを、二宮に伝えなければいけない。二宮が合コンに参加するしないは別としても……いや、自分が行くのも止められるかもしれない。  そしたらどうしよう、早いとこ山本に断りのLINEを入れなければ。 「堂島くーん、そこに突っ立ってると上村さんの通行の邪魔ですぅ!」 「え?あ、ごめんっ!」  有坂の声にハッとすると、いつの間にか目の前に車椅子の患者がいて、自分が通せんぼする形になっていた。全く気付かなかった。 「上村さぁん、なんか一言言ってよ~!静かだから気付かなかったじゃん」 「………」  上村氏は外科に入院中で、車椅子自走ができる高齢の男性患者だ。堂島の声掛けに何も答えず、堂島が避けると透析室を静かに去っていった。元々耳が遠いので、堂島の声が聞こえなかったのかもしれない。  なんにせよ、この患者に無視されるのは慣れているし、そうされるのは堂島だけではない。  唯一氏がボソボソと喋り返すのは、お気に入りの看護師の榛名にだけだったか…… 「堂島くん早く休憩に行きなよ、時間無くなるよ?あ、その前に沈子(ちんし)2個持ってきて!ついでにガーゼも」 「はーいはいはい」  榛名に言われて、ようやくエンジンが再度掛かった気がした。

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