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第172話 堂島、真実を知る
堂島はトイレに行って、飲んだウイスキーをそのまま全部吐いた。
トイレから出た後少し足元がフラついたが、ちゃんと一人で歩ける。部屋に戻りたくなくて、喫煙所に向かった。
部屋でも一応吸えるのだが、最近の若いナース達は吸わない者が多いし、誰も部屋では喫煙していなかったので(二宮もわざわざ喫煙所に行っていた)それに倣ったのだ。
しかし、堂島は今日は煙の出ない電子タバコを持っていたのでどっちにしろ喫煙所に行く必要は無かったのだけど。
「はぁーあ……」
空中にすぐに消える水蒸気を吐き出しながら、声に出してため息をついた。
(二宮先輩とも、今日で終わりか。なんか、すげーアッサリした感じ……)
誰にも言ってなくて良かった。
誰も知らないから、別れたところで誰かに何かを言われることもない。気にもされない。
自分が忘れてしまえば、付き合っていた事実さえも残らない。
(……まあ、俺は好き、だったんだけど……)
たぶん。 けっこう。だいぶ。
誰にも言えない関係に思い悩んで、有坂や若葉に気付かれてしまうくらいには。
でも、二宮はそうじゃなかったのだ。
自分もだが、元々ノンケの二宮にとって堂島を抱いてしまったのはただの事故で。
新しい世界の扉を開いて――無理矢理開かされたのだが――しまったのは自分だけだったということ。
あの後も色々と優しく甘やかしてくれたのは、責任を取れと言った自分をどう扱っていいのか分からなかっただけなのだろう。
なぜなら二宮はキスはしてくれるのに、あれから一度も身体は求めてこないのだから。
(酔った時限定ってやつ、か……)
考えたくなかった。
認めたくなかった。
だから、ずっとモヤモヤしていた。
付き合っているという確実な証も無くて。
「俺、セフレ以下じゃん……」
「誰がセフレ?」
「うわっ!」
いきなり声を掛けられて、素っ頓狂な声が出た。声を掛けてきたのは、二宮だった。
「え、先輩、なんでここに……」
「トイレ行くつって、なかなか戻って来ねぇから。矢沢さんに聞いたけどウイスキー飲んだんだって?苦手じゃなかったのか?」
「苦手……っスけど……」
「大丈夫なのか?気分は?」
「吐いたから今はどうもないっス」
別の理由で、気分は最悪だが。
「そうか。……そろそろここも出るってさっき山本主任が言ってたから。戻って帰る準備するぞ」
「ああ、はい……」
(帰る準備ったって。どうせあんたは今日は帰んないんでしょ)
そう言いたかったけど、言えない。
口に出すのが怖いんじゃなくて、だだの強がりなのだけれど……。
「あとおまえ、さっきセフレって」
「あ、堂島くーん!二宮さーん!もうここ出るからついでに荷物持ってきたよぉ~」
二宮の言葉を遮ったのは、遠くから二人を呼ぶ山本の声だった。
「え、早っ……山本さん、ありがとうございます」
「んふふ。二宮さんのコートとバッグ、とチョコレート!荷物はこれだけでした?」
「はい」
「堂島くんの荷物は矢沢っちが持って来てくれてるからぁ、後で受け取ってねえ」
「どーもっス……」
山本はさっきよりも酷く酔っ払っているようだ。そんなに二宮をゲットできて嬉しいのか。
……嬉しいんだろうな。
先日病棟で話した時も、かなりの熱の入れ込みようだったし。
「チッ」
無意識に、舌打ちをしてしまった。
「おい、」
それを、横から二宮に窘められる。
「あ、すいません……何でもないです」
どうやら堂島の小さな舌打ちが聞こえていたのは、二宮だけのようだった。
後に着いたエレベーターから矢沢が降りてきて、堂島のコートとバッグを渡してくれた。その時、そっと耳元で囁かれた。
「堂島、元気出せよ!世界には女だってあと35億いるんだからな……!」
「はい?」
「35億」
(何が??)
矢沢に肩を抱かれて、おもむろに慰められている。もしかして矢沢は、堂島が二宮に失恋したことに気付いたのだろうか。だとしたら非常にマズい。
「あ、あのさ矢沢」
「分かってる、後は俺に任せとけ。男どもにはさっきLINEで伝えた」
「は!?」
(俺が二宮先輩にフラれたことを参加者の男全員が知ってる!?何で!?)
「ヤケ酒、全員で付き合うからな!」
「いや、ちょっ、何してくれてるんスかマジで、えっ?いやマジで意味わかんない」
堂島が矢沢の言動に焦っていると、グイッと反対側から強く肩を引かれた。
堂島を矢沢から引き離したのは、二宮だった。予想以上に強い力で引かれたため、堂島はよろめいて二宮に抱き着くような態勢になってしまい、慌てて離れようとした。
「せ、先輩?すんませ――おわっ!」
が、足が縺れてまた抱き着いてしまった。
「いいからジッとしてろ。……矢沢さんすいません、うちの堂島が何かご迷惑お掛けしましたか?」
「え?いや、別に……」
「何かコイツを誘ってくれてるみたいですけど、ウイスキー飲んで気持ち悪そうだし今日は俺が連れて帰ります。また誘ってやってください」
「え?二宮くん、これから山本主任と二人で飲みに行くんじゃ……」
「は?行きませんけど。何故ですか?」
「だ、だって、二人は付き合うんじゃないんですか!?」
「はは……いやいや……」
二宮が頭を抱えて苦笑すると、遠くから山本の声が飛んできた。
「ちょっと矢沢くん!そこんとこあんま突っ込まないでよね~!!せっかく二宮さんが黙っててくれてんのに~!!」
「え!?あ、あの、それってどういう……」
「とにかく、今日は俺と堂島はこれで失礼します。楽しかったです、誘ってくれてありがとうございました。それと山本さん、チョコレートどうもありがとうございました」
「どぉいたしましてぇ~……ああ、二宮さん帰っちゃうのね……もお……堂島くんのせいね……全く、先輩に迷惑かけて……さっ!じゃあ行ける人は三次会に行くわよ~!!」
「は~~い!!」
どうやら会計はもう終わったみたいで、山本に続いてナース達が全員カラオケ屋を出ていく。男性陣は少し困惑気味な顔をしていて、放射線技師の一人が矢沢に尋ねてきた。
「矢沢ぁ、さっきLINEでこれから男だけで飲んで堂島を慰めるとかなんとかいうのはどうなったんだ?」
「あ、ああ。なんか俺の勘違いだったみたいで……じゃあ二宮くん、堂島のことは任せていいの?」
「はい。皆さんは三次会楽しんで来てください」
堂島の身体を支えたまま、二宮は愛想良く言った。
「堂島、あんまプライベートでは先輩に迷惑掛けんなよ!じゃあな、お疲れ~」
「うぃっす……お疲れ様っした……」
そしてその場には、堂島と二宮だけが残されたのだった。
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