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第204話 運命の男

「本当にごめんね」  出るぎりぎりの時間に二人でいっぺんにシャワーを済ませ、慌ただしく帰り支度をしながら申し訳なさそうに霧咲が言った。 「いえ、調子にのったのは俺も同じなんで……。それにさっきは身体洗ってくれてありがとうございました」 「まあ、それくらいはね」 「明日はまあ、登山に行くわけじゃないですし、姉も妊婦ですし、大丈夫かなと」 「そうかい? ならいいけど、身体が辛かったらすぐに言ってくれよ」  眉を寄せながらいつもより過剰に心配する霧咲の態度がなんだかおかしくて、でもそれが嬉しくもあって、榛名は霧咲を安心させるようににっこりと笑ってみせた。 「大丈夫ですってば。それより誠人さん、もうあんまり店やってないかもしれないですけど……少しだけ、飲んで帰りませんか?」  時刻は既に日を跨いでいたが、このまま家に帰るのは少し惜しかったのだ。 「でも、早く帰って寝た方が身体にはいいんじゃ……」 「二人っきりで夜出歩くの、久しぶりじゃないですか。俺、もう少しこのままいたいです」 「暁哉……」  そんな可愛いことを言われたら、霧咲には行く以外の選択肢はない。  二人は少しだけ周りを気にしながらホテルを出たが、人っ子一人歩いていなかったのでどちらともなくそっと手を繋いだ。  外はやや風が強く、わりと空気も冷えていたのでそれを言い訳にするように。 「それにしてもきみ、いつもより積極的だったよね。やっぱりアレかい? 地元マジックとかいう……」 「なんですかそれ?」 「なんだろう、自分で言っておいて俺にもよく分からない」 「はあ?」  霧咲の珍しくあやふやな弁に榛名は辛辣な返事をしながらも、面白そうにクスクスと笑った。 「まあ、なんとなく言いたいことは分かりますよ」 「だろう?」 でも、と言いながら榛名は空を見上げた。 今夜は雲がなくて、煌々と光を発するレモン型の月が存在を主張している。月の光が強いせいで星はあまり探せなかったが、それでも東京の空よりはだいぶ見えた。 「でも……地元だから気が大きくなったとかそういうのじゃなくて……なんていうか、地元(ここ)では恋愛的に楽しかった思い出って俺全く無いから、無意識にそれを塗り替えたかったのかもしれないですね」 「え、全くないの?」  霧咲が意外だな、という顔で返事をした。 「ないですよ。俺、高校から専門学校時代は彼女は数人できましたけど、男で付き合ったのは誠人さんが初めてなんですってば」 「あ、そういえばそうだったね」 霧咲は自分が榛名の『初めての男』ということを思い出して少々顔を緩ませたが、榛名はそんな霧咲に苦笑したあと目線を下にやった。  ビニールハウスを設置している畑の脇道――もちろんコンクリートで舗装されている――をゆっくりと歩く二人の向かいから乗用車が通り過ぎたが、二人は繋いだ手を離さなかった。 「付き合った彼女たちには本当に申し訳なかったんですけど……でも、どうしても最終的に相手のことを好きだとは思えませんでした。かと言って自分が男を好きだなんて絶対に認めたくなかったから、付き合っては振られるの繰り返しで……(かおる)には心配かけて……本当にここでの俺は色々と最悪でした」 「暁哉、」  自虐のように言う榛名を霧咲は遮ろうとしたが、榛名は無視して続けた。 「もちろん女の子とは不真面目な気持ちで付き合ってたんじゃなくて、今度こそ好きになれるかもしれないって希望を持ちながら付き合ってましたよ」 「それは言わなくても分かるよ。きみが人の気持ちを弄ぶなんてことは絶対にできないって、俺が一番よく知ってる」 「くそ真面目ですからね」 「くそはいらない、ただのまじめだ」 「ただのまじめって、」  榛名が笑いかけたとき、向かいから今度は人が歩いてくるのが見えたので、二人はそっと手を離した。別につないだままでもよかったのにな、と思った榛名は本当に少し気が大きくなっているのかもしれない。  畑を抜けて駅が近くなってくるとだんだんと街灯の数が増え、道も明るくなり、こんな時間だが通行人の姿も数人目に留まりだした。  それを横目に見ながら、榛名は話を続ける。 「――でも俺、最近までそんなバカなことを繰り返してたんですよ。誠人さんに会うまで」 「そうか」 「だから……誠人さん、ありがとうございます」 「うん?」 「出逢ってくれて、俺の負の連鎖を断ち切ってくれたこと。……俺はあのとき運命なんて信じてないって言ったけど、今は信じてますよ、運命ってやつを」  榛名は自分で言ってて恥ずかしくなったのか、うつむいてポリポリと鼻の頭を掻いた。でもその表情は『やっと言えた~』とでもいうような、とても満足そうなものだった。  霧咲はそんな健気な恋人を今すぐ抱きしめたい衝動に駆られたが、グッと我慢してそっと口を開いた。 「きみが……」 「はい?」 「きみが自分で、俺を運命の男にしたんだよ」 「……!」  素面だったら思わず笑ってしまいそうなくらい気障な言葉だというのに、榛名はかぁっと顔を赤くして金魚のように口をパクパクさせた。言葉が出てこないらしい。  そんな榛名を優しい目で見つめながら、霧咲は続けた。 「俺も、あの夜出逢った可愛い男の子を諦めなくてよかったな」 「えっ? でも俺達の再会は偶然ですよね? 結局俺、貴方に連絡できなかったし」  榛名がそう言った途端、霧咲がふと真顔になって押し黙った。 「誠人さん? どうし……」 「暁哉きみ、俺がT病院に助っ人に来たのは今もただの偶然だって思ってるのか?」 「え……?」  霧咲の突然の告白に、榛名は無意識に歩みを止めた。

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