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番外編:二宮と過去の人①

 3月。まだ少し肌寒い日が続いているが、桜の蕾がだんだんと開花し始めたうららかな日曜日の朝――二宮は、ひどく憂鬱な気持ちで家を出た。  今から向かうのは通い慣れた職場ではなく(日曜日なのでどちらにしろ仕事は休みだ)都内のあるホテルで、大学時代の友人の結婚式に出席する予定なのだ。 ここ数日は曇りの日が続いていたが、今日は幸い天気も良く風も心地よいくらいの強さ。桜の開花具合もまあまあだし、予定されているガーデンウエディングにはもってこいすぎる吉日だろう。 二宮は知らなかったが式場はなかなか有名だというし、きっと素晴らしい式になるに違いない。 「はぁ……」 そんな良き日であるというのに、二宮の口からは先程から溜息しか出なかった。すれ違う通行人はみな、道路脇のソメイヨシノに見とれて足取りも軽く、一年ぶりの季節に浮かれている──ように見えるのは偏見かもしれないが、そう見えるのに。  学生時代の数少ない友人を祝福する気持ちは余りあるくらいにある。なので式に出席すること自体が憂鬱なのではない。 その友人が学生時代に組んでいたバンド仲間で、余興として2曲、十数年ぶりにバンドを復活して人前で演奏をすること――は憂鬱の要因の一つではあるが、それも直接的な理由ではなかった。  憂鬱の原因は明白だった。それはドラム担当だった友人・坂口からの電話の内容を遡る――。 『そういや今度の式さ、あいつも来るらしいぞ~』 『あいつって?』 『この流れで分かんねぇか? 山下だよ』 『…………』 『あいつお前のファンだったけど、元々は|仁科《にしな》の友達だしな。まあ来るのは当然じゃね?』  仁科というのが今度結婚する友人だ。バンドのギターヴォーカル担当で、当時はなかなかのイケメンで友人も多い人気者だった。現在はその面影はあまりなく、かなり丸くなっており──見た目も、性格も──それが長く付き合っていた調理師である彼女の影響だということは、二宮も知っている。 そして山下というのは、二宮がその昔初めてウイスキーを飲んだ際にやらかした相手である。 当時学生バンドで黙々とベースギターをかき鳴らしていた二宮の熱烈なファンだったらしく、よく話しかけられた記憶はあるものの、顔もおぼろげで会話の内容は一つも覚えていなかった。  そもそも彼にやらかしたということを知ったのもつい最近なので、そのまま覚えてなければ今回は何も問題はなかった、はずなのである。 『……俺、やっぱり欠席――』 『いや無理だろ。今から代わりのベーシスト探せって? ふざけんな』 『じゃあ演奏だけやって、そのあとすぐに帰――』 『お前には仁科を祝ってやろうって気持ちはねぇのかぁ!? 二次会だろうと三次会だろうと、最後の最後まで付き合ってもらうぞコラ』 『……………』  知らなければよかった。坂口は最初、二宮にあのことを話す気はなかったというのに、無理に聞き出さなければよかった。 しかしもう後悔しても遅い。二宮はあの日数年ぶりにウイスキーを解禁し、再びやらかしてしまったのだから。まあそのおかげというかなんと言うか、現在は可愛い年下の恋人も出来て、結構幸せではあるものの……。 『ったく今更さぁ、別に知らん顔しときゃいいだろ? お前は未だに忘れてるってことにしといてやるから。大体アノコト知ってんのは山下本人と、俺だけなんだし』 『ホントかよ……』 山下と仲の良い仁科は知らないのだろうか。……知っていたら、二宮を式に呼ぶはずないか、と思い直した。 『目が合ったら久しぶり、って簡単に挨拶して終わればいいじゃねぇか。お前ら元々仲良く話す仲でもなかっただろ? まあお前が山下に興味なさすぎて、話しかけられても毎回テキトーにあしらってた感じだったけど』 『……………』  あまり意識していなかったが、昔の自分は結構最低だったのではないだろうか……と二宮は思った。 というのも二宮は人付き合いが下手というか、苦手だった。家族を捨てて女と出ていった父親のせいで簡単に他人を信じられなくなり、成人しても人と関わることにあまり興味を持てなかった。なので今、わりと他人と関わる病院という場所で仕事をしているのが少し不思議なくらいだ。  もちろんバンドのメンバーとはそれなりに仲良くしていたけれど、それ以外の人間関係はほとんど築かなかった気がする。 『まあおめでたい場なんだし、修羅場とか起こすなよ? つっても向こうがどう出て来るかわかんねぇけどな~』 『あんまり脅すな、ホントに、マジで』 『ハハハ! まあ大丈夫だって、仁科に聞いたけど山下ってもう結婚して子供もいるらしいからさ。向こうの方がお前とはもう関わりたくねぇんじゃねぇか?』 『あ……なんだ、そうなのか』 『あからさまにホッとしやがって、この最低ヤリ捨て男!』 『いやぁ……まあ……ホントにな……』  否定できない自分が悲しい。しかしそれは事実なのでしょうがない。正気だったのならヤリ捨てだなんて最低なことは絶対にしなかった。しかしウイスキーを飲んでいなければ、山下とそういうことをすることはなかったのだ。 (いやほんと、幸せになってくれたのならよかった……。俺のせいでセックスがトラウマになって二度とそういうことが出来ない体になってたらどうしようかと思った。……たしかに向こうにしてみたら、俺なんて顔も見たくねぇ存在だよな。でもホントに俺は仁科の結婚式に行ってもいいんだろうか……あああぁぁ……)  そんなことをぐるぐる考えて、結婚式場に向かうまでの二宮はひどく憂鬱でため息をつきまくり、足取りも重いのだった。

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