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④
「……ふふっ、そんな顔して、僕たちの間にあったこと思い出したんだ?」
山下はにこやかにそう言いながら、さっきまで坂口が座っていたカウンターに勝手に腰を下ろした。
「えっと……久しぶり、山下」
普通の態度でいようと思えば思う程、顔がこわばってしまう気がする。周りの喧騒が一気に感じられなくなり、代わりに自分の鼓動だけがうるさい。
(坂口、早く戻って来てくれ……!)
「うん、久しぶりだね二宮君。大学の頃と全然変わってなくてビックリしたよ、相変わらずベースもすごく上手くてカッコよかった」
「あ、ありがとう……別に普通だけど」
「普通かなぁ? 仁科も当時は凄くカッコ良かったのに、もはやあの頃の影も形もないじゃないか」
「ん、まあな……」
今日の主役に対してこういった軽口を叩けるのも、仁科と山下の仲の良さを表しているようだ。
――山下とは、いったいどういう男だっただろうか。大学時代、飲みの場ではしょっちゅう話しかけられていたけど、二宮は常に上の空で山下がどういう人物だったかなどほとんど覚えていなかった。
仁科のツレで、自分達のバンド活動を応援してくれていて、中でも一番に二宮を贔屓してくれている――いわゆるファン。
ただ当時二宮のファンは山下だけでなく、他に女の子が何人もいたので、別に彼が特別目立った存在ではなかった。ただ男、というだけで。
特別なことを言われた覚えもない。他の子と同じように、
『二宮君、今日もカッコよかったよ!』
『二宮君は本当にベースが上手なんだね、プロは目指さないの?』
『二宮君の指、とても長くて綺麗だ』
『ねえ二宮君、二宮くん――』
そういう、耳触りのいい言葉だけをくれる存在。
今目の前にいる人物はさすがにあの頃よりも更けてはいるが、目が大きく優しい顔立ちで、たとえ男でも言い寄られたら悪い気はしない。
当時経済学部の学生だった山下は現在会社で営業をやっているらしく(坂口情報)、人当りのいい話し方と上品な立ち振舞いで、10人と話せば10人が山下のことを気に入るだろう。
今も左手にプラチナの指輪が光っていなければ、今日は彼も二宮のように独身のお姉さま方に盛大にモテたはずだ。
昔よりはマシになったが、やはり今も無愛想な二宮よりも確実に。
腹の探り合いは苦手だ。なので二宮は思い切ってすぐに本題に入った。
「――悪いけど、あの日のことはほとんど記憶にないんだ。俺が山下に何をしたのか知ったのも実は最近で……それに関しては本当に申し訳ないことをしたと思っている。訴えられてもやむを得ないな、と……」
「! ……」
直球で来られたのが意外だったのか、山下は少し目を見開いて二宮を見つめたあと、暫く沈黙した。そして少し困ったようにぽりぽりと頬を掻きながら言った。
「驚いたな……昔の二宮君が僕に対して喋った言葉なんて、『そうか』とか『ふーん』とかそういう短い言葉だけだったから。二宮君、見た目は変わらないのに中身はずいぶん変わったんだね」
「……昔の態度に関しては、今更申し開きもしない。ずっと適当にあしらっていて本当に悪かった」
「それは別にいいよ、全く興味を持たれてないことは分かってて、それでも僕はしつこく話しかけてたんだから」
「………」
「それに二宮君は僕以外にもそういう態度だったから、冷たくされても特に気にしたことはないよ。あの夜のことも……なんていうのかな、憧れの人に抱いてもらえて僕にとってはいい思い出だから、今更訴えるなんてしないよ……気にさせていたのならごめん」
山下はそう言って、二宮に優しく笑いかけた。本当に昔のことは気にしてないという態度で、ただ懐かしい同級生に会ったことを喜んでいるような態度だった。
なので二宮も心から安堵して――なんていい奴なんだ山下、昔無理矢理手籠めにした俺にこんなに優しくしてくれるなんて、と感動して――それからは酒を飲みながら、昔話に花を咲かせた。
「二宮君、昔はどうしてあんなに無愛想だったの?」
「ん……まあ、軽く人間不信だったんだ。高校生のときにオヤジが外に女を作って出て行ったせいで」
「ああ、なるほど……そういう事情があったんだね」
坂口が全然戻ってくる気配がないのは、打ち解けた様子の二宮と山下を見て安心したからだろう。今頃は他のグループのところで飲んでいるに違いない。
今日は他の連中とも話したかっただろうに、ずっと自分にくっついてくれて申し訳ない気持ちもあったので、二宮も今更呼び戻そうとは思わなかった。
「山下はもう結婚して子供もいると聞いたよ。子どもは何歳なんだ?」
「まだ産まれたばかりだよ、写真見る?」
「見せて。――可愛いな、女の子?」
「女の子に見えるけど、男の子」
「そうか。山下に目元が似てるな」
「ふふ、そうかなぁ」
山下は我が子の写真を見て、幸せそうに微笑む。当時は二宮の熱心なファンだったと坂口は言っていたけど、結局ただの純粋な憧れで──ゲイでもなんでもないノンケだったのだ。
なのに自分がウイスキーを飲んで酔っ払って、堂島にしたように彼に無体を働いて――まったく覚えていないけれど、本当に申し訳ないことをしたと二宮は思った。勿論、堂島にも思っているけど。
「二宮君、よかったら連絡先教えて。また今度一緒に飲もうよ」
「お、おう。ウイスキー以外なら……」
「それはそうでしょ!」
連絡先を交換しながら山下はおかしそうにクスクス笑い、二宮も同じように笑った。今後も仲良くすることで当時の過ちを赦してもらえるのならば――是非そうしたいと思った。
もっとも二宮にとって山下は懐かしい同級生というより、今夜バーで初めて会った気の合う人間、というニュアンスの方が強いのだが。
「そういえば二宮君はまだ独身なんだってね、今いい人はいないの?」
「付き合ってる人がいる」
「そうなんだ、どんな人か聞いても?」
「職場の後輩なんだ」
言いながら、二宮は持参した電子煙草に火をつけた。普通の煙草も持っているが、最近は周囲に気を遣ってなるべく電子煙草の方を吸うことにしている。ちなみにこの店は今どき珍しく禁煙ではない。
「へえ、社内恋愛か……意外だな。臨床工学技士って今は女の子も多いもんね」
「いや、後輩は男だけど」
「え?」
急に山下が言葉を発さなくなったので、二宮はああ、と思った。
「悪い、山下は女性と結婚したんだから普通に戸惑うよな。俺もずっと自分はノンケだと思ってたんだけど……ま、あいつが特別なのかな」
「特別って……?」
「初めて付き合った男だから」
二宮はふうと煙に似せた水蒸気を吐き出しながら、自分の『特別な』恋人のことを考えた。
堂島との出逢いは数年前、同じ職場のMEの先輩と後輩として。見た目がチャラくて教育するのに手がかかりそうだと思いきや、技術面はグングンと伸びていってこっちが焦るほどだった。(今は既に抜かれているが、特に焦ったりはしていない。穿刺はセンスなのだ)
生活面に関しては何度かうるさく小言を言っているものの……あの夜までは本当にただの同僚であり、後輩だった。
けど、堂島が持参したウイスキーを飲んだ二宮が豹変して迂闊に手を出してから……恋人になった。お互い初めて付き合うわけじゃないのに、まるで10代のようなくすぐったい愛情を向けられて、結構幸せな毎日だ。
「彼との馴れ初めを、聞いてもいいかな……」
山下の顔からはさっきまでのにこやかさは消え失せていた。しかし電子煙草の先端を見つめ、恋人の顔を思い浮かべている二宮はそれに気付かない。
「え、聞きたいか? 山下に話すのが何の因果か分からないけど……。あの時以来にウイスキーを飲んで、その、また悪い癖が出たというか……」
「………」
「それで坂口に以前俺がウイスキーを飲んで何をやらかしたのかを聞いて、山下とのことを知ったっていう……本当に申し訳ない」
「それでどうして付き合ったの?」
切羽詰まったような声に、二宮はようやく山下の顔を見た。
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