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5、記憶と今と〈景目線〉

  「……眠った、か」  ベッドの上ですうすう寝息を立て始めた理人の寝顔を眺めながら、景はうっとりと微笑んだ。  軽く部屋の掃除をした後、ついでに夕飯をご馳走になった。世話になっている看護師からの差し入れなのだと言い、淡く微笑む理人の顔を思い出しつつ、無防備な寝顔をじっと見つめる。  心身を病んでいるためか、理人の肌は青白く、身体は細く痩せてしまっている。全身から儚さを漂わせる理人のことを、本当はすぐにでも抱き締めてやりたかった。  少年時代と変わらず、理人は純粋で愛らしかった。記憶の中の彼の姿を思い出すにつけ、痛々しさに切なくなる。  子どもの頃の理人は、健康的な小麦色の肌も艶かしい、色香のある少年だった。  陽の下にいるのが似合う少年で、笑顔がとても眩しかった。弾けるような笑い声、軽快に動き回る瑞々しい肉体、そして、誰に何を言われても卑屈にならず、飄々としている芯の強さ。そんな理人の姿は、素晴らしく魅力的だったものである。  そう、ずっと昔から、景は理人に恋をしていた。  第二性というものがどういうものか分からないうちから、景は理人への恋心を自覚していた。理人を特別な目で見ているクラスメイトが一人や二人ではないことにも、景はすぐに気がついていた。  だが理人は、色恋にはまるで疎かった。周りに比べてずっと(うぶ)で、そういう艶かしい話題を振られると照れてしまうらしく、むっつりと不機嫌になってしまうのである。  だからこそ、理人の前では、完璧に友人としての顔を貫いてきた。その努力の甲斐あって、景は『親友』としての座を手に入れることに成功した。願わくばずっと、景の居場所は理人の隣でありたかった。  ――あんなことがなければ、俺はとっくに、理人を自分のものにできていたかもしれない……。  さらりとした黒髪に指を通すも、理人はぴくりとも動かない。艶のある黒髪が肌を滑る感触はあまりにも官能的で、景は思わず熱いため息をこぼした。  伏せられた長い睫毛が、目の下に浮かんだ翳りをより濃いものに見せている。特に、孤独に過ごす発情期を終えたばかりだからだろう、理人はひどく疲弊しているようだった。  久方ぶりの親友との再会で、すっかり気持ちが寛いだのだろう。理人はここ一週間ずっと寝不足だったのだと言い、食事を済ませるとすぐに、うとうとと眠たげに目をこすり始めていた。  試しに「眠そうだし、俺はもう帰るよ」と申し出てみると、理人はすぐさま首を振り、「もうちょっと話したい」と景を引き止めた。袖を掴まれ、縋るような眼差しでそんなことを言われ、景は歓喜と興奮のあまり一瞬我を忘れそうになってしまったものである。  だが、衝動をぐっとこらえて、紳士然とした態度を貫いた。そして「眠るまでそばにいる」と理人に伝え、ベッドに横たわる理人ととりとめもない会話を交わしていた。  鈴を転がすような声がいつしか寝息に変わった頃、景はそっと、理人の顔を覗き込む。深く上下する胸は、ゆっくりと規則正しい動きを見せている。 「……理人」  小さな声で呼びかけてみるものの、当然返事はない。だが、景は至極満足げな微笑みを浮かべつつ、今度は理人の頬に指を這わせ始めた。  ほっそりと痩せた頬が哀れを誘い、居ても立っても居られない気分になった。景はベッドの傍に跪き、理人の頬を両手の中に包み込む。  そして、そっと理人の頬にキスを落とした。 「……理人…………はぁ……」  胸いっぱいに、理人の匂いを吸い込んで、景は恍惚とした表情を浮かべた。理人が身じろぎをしないことに調子付いた景は、さらに手を伸ばし、理人の頭をゆっくりと撫でてみる。  幼子をあやすように、優しい手つきで。何度も何度も理人の頭を撫で、髪を梳く。そんなことをしているうち、何年も押し殺してきた生々しい感情が、マグマのように腹の底から湧き上がってくる。 「……理人」  身を乗り出し、景は理人の唇を親指で辿った。かさりと乾いた感触だが、指を押し返す弾力が心地が良い。  ふにふにと下唇の感触を慈しんでいると、理人が微かに「ん……」と呻いた。指を引っ込めかけた景だが、理人がそれ以上身じろぎしないことを確認すると、今度はゆっくりと、手を下へと降ろしていく。 「……こんな格好じゃ、眠りにくいだろ? 楽な服に着替えないと」  陶然ととろけた表情で、景は理人に囁きかけた。そしてノーネクタイのワイシャツのボタンを、ひとつひとつ外してゆく。  シャツの中から、徐々に露わになる白い肌。肌色の面積が増えてゆくにつれ、景の吐息は徐々に荒ぶる。  だが、理人の首に巻きついている黒いネックガードを目にした景の表情が、途端に不機嫌なものへと変化した。 「……こんなもの、外してしまえばいいのに」  番を得たアルファが、まずオメガに贈るもの。それがこのネックガードだ。こうして目に見える形で所有の証を身につけさせることで、アルファは己の支配欲を満たすのである。  見た所、それはここ一年ほどで買い換えられたものではない。指紋認証とキーロック型の古いモデルだ。理人は番が死んだ後も、このネックガードを外していないということになる。アルファの指紋やパスワードがなくとも、購入した業者に依頼すれば、すぐに鍵が届くというのに。 「……邪魔だな。……理人の綺麗な首筋に、こんな無骨な首輪が巻きついているなんて許せない……!」  忌々しげにそう吐き捨て、景は悔しげに唇を噛み締めた。嫉妬という醜い感情に全身を侵されることにも、そろそろ慣れたと思っていたのに。  理人の現状を知ってからというもの、景は理人の『亡き番』への嫉妬に狂った。ずっとずっと、景が手にしたくてたまらなかったものを、やすやすと手にしていたアルファの男に、例えようのない憎しみを覚えたのだ。  たとえ今はその身が滅んでいようとも、今もその男の痕跡は理人の心身を蝕んでいる。目に見えない絆が、まだ理人の中に根を張っているからだ。『亡き番』の顔写真を思い出すたび、景は燃え上がる嫉妬の感情に身悶えた。  あのアルファから贈られたものを、理人が今も身につけていることに激しい怒りを感じる。噛み締めた奥歯は軋み、指先は震えるが、その怒りをぶつける相手はもういない。そして、こんなにも醜い感情を、理人に知られたくはない……。  ――理人の前では、完璧な男でいたい。理人には、安心して俺に依存して欲しいんだ。隙や綻びを見せたくない……。  ふー……、ふー……と深呼吸をして怒りを抑え込み、景は改めて、ワイシャツをはだけた理人の寝姿を見つめた。  痩せた上半身は、触れれば脆く崩れてしまいそうに頼りない。病人を思わせる蒼白な肌に、この手で熱を注いでやりたい…………気づけば景はベッドに上がり、理人の上に覆いかぶさるような格好になっていた。 「……あぁ……懐かしい眺めだね。あの日、最後に俺と交わした会話、覚えてる?」  景はうっそりと目を細め、理人の首筋に顔を埋めた。そして深く深く、理人の匂いを身体中へと行き渡らせる。 「すぅ…………ハァっ…………あぁ、理人……」  甘い肌の香りが、景の全身を激しく高ぶらせる。部屋へ通された時からじんじんと熱を籠らせていた景のペニスは、もはやどうにもならないほどに、硬く硬く張り詰めていた。 「理人……好きだよ、ずっと好きだった……俺の理人……」  景は理人の上に跨った状態で、自分のベルトを緩め始めた。そしてさらに理人のワイシャツを大きく開かせ、白い肌にぽつんと浮かぶ薄桃色の乳首に、ちゅ……と淡いキスを落とした。 「ん……」  すると理人が、小さく呻いて身じろぎをする。景は上目遣いに理人の反応を窺いながら、もう一度、愛らしい小さな尖を口に含み、たっぷりと濡れた舌を使って、やわやわと舌で押し転がす。 「ぅ、ん……ぁん……」 「……眠っていても、気持ち良さそうな声を出してくれるんだね……。……はぁ……なんて可愛いんだ、理人」 「ん……ン……っ」  さすがに、これ以上続けていては起きてしまうだろう――景は名残惜しげに理人の胸から唇を離し、今度は理人のベルトとスラックスに手をかけた。 「着替えさせてあげるから。……ほら、脱いで。理人、スーツと白衣がすごく似合うようになったんだな。素敵だよ」  驚くほどに、甘ったるい声が出た。するすると灰色のスラックスを抜くと、黒いボクサーパンツと黒いビジネスソックスだけを身に纏う、艶かしい理人の下半身が露わになる。 「……ぁあ……綺麗な脚だね。でも、ちょっと痩せすぎだよ。これからは俺がずっとそばにいて、理人を元気にしてあげる。……だから、もうちょっとの辛抱だよ」  理人の脚を割ってベッドに座り、太ももをゆっくりと撫ぜ回しながら、景はあやしく微笑んだ。  幼い頃、ショートパンツから伸びていたあのしなやかで可愛らしい脚は、今はすっかり大人の男のものへと成長している。筋肉質に引き締まった脚の感触には硬さがあるが、あの頃と変わらぬほっそりとした線が美しい。  体毛は薄いが、筋張ったアキレス腱やくるぶしの鋭角が絶妙に男っぽく、舐めまわしたくなるほどセクシーだと景は思った。  指先でつぅぅ……とふくらはぎから太ももを撫で上げると、理人は「ぁ……」と小さく声をあげ、その後はまたすうすうと寝息を立て始めた。  景はそれを確認すると、今度は自分の股座へと手を伸ばす。  そして、理人の形にゆるく盛り上がったボクサーパンツに鼻先を埋め、すう……っと深く息を吸った。 「あぁ……ハァっ…………理人の匂い……ンっ……」  先走りでとっくに濡れそぼってしまった己の分身を、景は無我夢中で慰め始めた。理人の匂いに包まれながら、荒ぶる衝動に任せる。  無機質な写真を見つめながらの自慰とはまるで異なる快感が、景のペニスをより一層硬く、硬く高ぶらせていた。 「はぁっ…………ふっ……ふぅっ……ンっ、理人……ハァっ……好き、好きだよ…………ぁ、ぁっ」  手の動きが自然と速まり、興奮が急上昇する。景は理人の股座に頬をすり寄せ匂いを嗅ぎながら、とうとう絶頂まで登りつめてしまった。 「んっ、ンぅっ…………!! はぁっ……はぁ…………」  どろりと手のひらを汚す、欲望の残滓。景はのろのろと顔を上げ、眠り続ける理人を見つめた。  ――早く、抱きたい。理人を俺だけのものにしたい……。 「早く、俺だけを見て。俺のことを愛してよ……理人」

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