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6、役人として〈景目線〉
「おい、こんな時間まで何してたんだ」
理人を楽な格好に着替えさせ、食器洗いやゴミ捨てなどを全て済ませたあと、景はようやく理人の部屋を後にした。
すると、理人の住むマンションの前に、磨き上げられた白のセダンが停まっていた。車体にもたれかかって煙草を燻らせている男が、ブスッとした声を景に投げかけてくる。
「……芦屋 さん。何でここにいるんです。武知は?」
「お前のボディガードなら帰らせた。今すぐ仕事に戻ってもらうぞ。ったく、いつも勝手にフラフラどっか行きやがって」
「人の秘書を勝手に追い払うなんて……」
「いいから乗れ、オフィスに戻るぞ。ったく……」
ぶつくさ文句を言いながら、芦屋梓 は携帯灰皿をポケットから取り出し、ぐりぐりと火を押し消す。
芦屋は一般家庭出身のアルファで、景の同僚である。芦屋は、景よりも二年、オメガ保護局に在籍していた期間が長い。何かと一緒に仕事をすることの多い間柄だ。
しぶしぶ助手席に乗り込むと、景はすぐに窓を全開にした。煙草の匂いが嫌いなのだ。
芦屋は運転席に滑り込み、すぐにエンジンをスタートさせ、ハンドルに手をかけアクセルを踏んだ。
「夜神 」
「はい」
「……ストーカー行為は、いい加減もうやめろ」
「ストーカーって……人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。俺はただ、幼馴染が心配で、遠くから見守ってるだけです」
「『保護対象のオメガに、みだりに接触してはならない』、保護局のルールを忘れたのか」
「いいえ、忘れてません。でもそれって、無節操で軽薄なアルファが、哀れなオメガに手を出さないようにするために設けられた規則でしょ? 俺はオメガだ。関係ないですよ」
「……お前なぁ」
「それに、理人はセクハラ被害を受けていたんだ。それを黙って見過ごせとでも?」
「……」
「仕事抜きにしたって、理人は俺の親友です。医師からの接触許可は下りたんだ。だから……」
「あーーー!! もう、ああ言えばこう言う! ちょっとは黙って先輩の言うことを聞け!」
景は、不機嫌な顔をさらに渋くしている芦屋の姿を、横目でちらりと窺った。
革張りのステアリングを握る大きな手、腕には品のいい腕時計。180を越える上背と、スポーツで鍛えた凛々しい肉体を仕立てのいいスーツに包み込んでいる。夜の道路を照らすネオンを受け、暗い車内に浮かび上がる横顔は、まるでドラマのワンシーンのように絵になっている。
黙っていれば、芦屋は俳優顔負けの美丈夫である。だが、景があまりにも生意気なことばかり言うものだから、ここ一年で随分怒りっぽくなってしまった。まるで母親のごとく小言を言い倒してくる最近の芦屋には、まるで貫禄を感じない。
景は役人として、理人を担当している心療内科医やカウンセラーとも定期的に面会し、理人の状態を逐一確認してきた。『番の喪失』に伴う重いストレスで深く傷つき、そこからようやく浮上しかけている理人への接近許可が降りたのは、つい最近のことだった。
だが、それだけではまるで足りない。景はそれ以前から、折を見て理人の生活を見守りつづけていた。
勤務先の病院、院内の診療科、院内のコンビニと近所のスーパー……今の理人の生活圏はとても狭い。だから、見守るのは容易だった。
ただ、今すぐにでも駆け出して理人を抱きしめたいという衝動を抑えることだけが、景にとってはひどく難儀なことだった。
「保護対象のオメガの動向を把握するのは大事なことだが、家にまで上がりこんで何時間も……一体何してたんだ」
「別に。昔話に花を咲かせていただけですよ」
「あんまり深入りするんじゃないぞ。確かに香乃理人には回復の兆しも見えているが、親しい相手が現れたことで、心がぐらつくことだってあるだろう」
「……それならそれで、俺がしっかり支えてやればいいだけの話です」
「だから、メンタルケアはプロに任せろって……」
「別にいいじゃないですか。……『亡き番』との絆なんて、もう無用の長物だ。そんなもの、いっそすべて崩れ去ってしまった方が、理人のためなんじゃないですかね」
「……お前」
赤信号で、芦屋の車が停止した。すると芦谷は景の方へ顔を向け、きつい目つきでじっと睨みつけてきた。その目線をまっすぐに受け止め、景は「何ですか?」と問うた。
「それは、役人が口にしていいセリフじゃねぇ。今のは聞かなかったことにしてやるが、外では絶対言うんじゃないぞ」
「……すみません」
「個人的感情を向け過ぎるな。いいな」
「……了解です」
景は静かな声でそう言うと、芦谷の方へ目線を向けた。間近でしっかりと目線が絡むと、芦屋は怒ったような顔をして、ぷいっと顔を背けてしまった。
「ったく……何で俺、お前みたいな可愛げのないやつと組まされてんだ」
「すみませんね。芦屋さん相手だと、俺もついつい本音が漏れてしまうんですよ」
「……どういう意味だよ」
「気を許しているんですよ、あなたには」
「……」
思わせぶりな口調でそんなことを言うと、芦屋の頬がかぁぁと分かりやすく赤くなった。
芦屋はフリーのアルファで、景はオメガだ。仕事の付き合いであるとはいえ、暗い車内で二人きりというのは、芦屋にとっては落ち着かない状況であるだろう。
すると芦屋は派手な咳払いをし、急に真面目な口調になって話題を変えた。
「と、ところで、お前の親友の番、事故死なんだってな。話を聞ける状態になったんなら連絡してくれって、警察が言ってきてるんだが」
「ああ、そうでしたね」
「事情聴取の場には、保護局の者が同席することになってるが……当然、お前が行くよな」
「ええ、当然」
「そうなると、当然俺も同席することになるが、いいな」
「構いませんよ。ただ、今の理人はまだ、アルファフェロモンに拒絶反応が出るかもしれません。理人を見て、変な気を起こさないでくださいね。発情すると、アルファフェロモンは濃度が上がります。きちんと抑制剤を服用してくるんですよ」
「言われなくても分かってる……っていうか、俺をなんだと思ってるんだ! お前と違って、保護対象者にいちいちぽうっとなってる暇はないんだよ。ったく、いちいちうるさいやつめ」
「そのセリフ、そっくりそのまま芦谷さんにお返ししますよ」
そんなやりとりをしているうち、二人の乗る車は官庁街へ入っていく。
景は窓から入る風に髪の毛を乱されながら、小綺麗に整えられたビル街をぼんやりと眺めた。
理人の『亡き番』・高科良知 が死んだあの事故は、状況的に不自然な点が多く、すっきりと解決していない。しかも、高科が名うての弁護士だったこともあり、怨恨がらみの事件だったのではないかという声も多く上がっていたらしい。当然、番である理人にも事情聴取が行われる予定だった。
だが、事故の直後は理人がまともに話せる状態ではなかったため、オメガ保護法に則り、警察関係者の接触を一切禁じた。そのため、捜査は『一時中断』という状況をみているのである。
そして、高科良知のことは、景も知らない相手ではない。
理人と再会する前に、景は高科と仕事を共にしたことがあったのだ。高科の番が理人であると知る前に、惚気話を聞いたことさえも――
「……捜査再開、ですね」
「ああ、そうだな。ま、結局ただの事故かもしれねーけど」
「……そうですね」
車が静かに停車する。
景はすっと助手席から降り、眼前にそびえる赤煉瓦のレトロな庁舎を見上げた。
暗がりに浮かび上がる煉瓦の赤茶色は、本来ならば、さぞや幻想的で美しい眺めだろう。
だが今の景の目に、それは妙に毒々しいものに映っていた。
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