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12、真実

   もう、まともに呼吸ができなくなっている。  必死で酸素を求めて喘ぎ、がくがくと全身を震わせる理人を後部座席のシートに横たえ、景は内ポケットから二粒の錠剤が入った小さな袋を取り出し、ぴりっと破いた。  片手でぐっと理人の顔を上向かせ、口の中に錠剤をそっと含ませる。そして景はペットボトルの水を口にすると、何の迷いもない動きで理人の唇を覆った。  口移しで与えられた水が、ひんやりと喉を通っていく。反射的にそれをごくりと飲み下せば、錠剤も一緒に体内へと落ちていく。 「はっ……、はっ、はぁっ……け、い……っ……」 「持って来ておいてよかった。すぐに収まるよ」  ふ、ふ、ふっと必死で息をしながら、理人は震える瞼を持ち上げて、間近にいる景を見上げた。景は無関心を決め込んでいたさっきまでとは打って変わって、慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべている。その表情の変化に戸惑いを隠せないが、少しずつ、少しずつ、塞がっていた気道が緩んでいくのを感じ、理人の全身を安堵が包む。 「……はぁ……はっ……どうして……」 「……ん? 何?」 「どうして……おれを……」 「まだ喋らない方がいい。大丈夫、俺がずっとそばについてるから」 「ん……」  ふわ……と柔らかいものが、理人の頬に触れている。朦朧とする意識の中、それが景の唇だと気づくまでに、少し時間がかかってしまった。 「けい……?」 「かわいそうに、こんなに苦しんで。……あの男のせいだな」 「あの、男って……」 「理人と番ったくせに勝手に死んだ、身勝手で嘘まみれなアルファ野郎のことだよ」 「え……」  聖母のように美しい顔で、景は冷ややかにそう言い放った。  景が何を言っているのか分からず、理人はただただ呆然とすることしかできない。  疑問を投げかける隙は与えられず、すぐさま景に唇を覆われていた。 「んっ……け、ぃっ……ンっ……」  ついさっき嘔吐したばかりだというのに、景はねっとりと理人の中へ舌を挿し入れ、粘膜という粘膜を柔らかな舌で撫ぜ回した。理人は反射的に腕を突っ張り、突然のキスに抵抗しようと試みる。  だが、景はやすやすと理人の手を制し、たおやかな見た目からは想像も出来ないほどの力で、理人を捩じ伏せた。 「けいっ……ばか! 何してっ……んっ、ふぅっ……」  革張りのシートの上で完全に組み敷かれ、理人はただただ戸惑うばかりだ。だが、景のキスはあまりに巧みだ。あやすように優しく、時に雄々しく、緩急をつけて口内を愛撫されるうち、肉体はそれを快楽と捉え始めていた。  互いの唾液が唇を濡らし、口づけの隙間に熱い吐息が漏れ始める。  こんなふうに誰かと接触するのは久しぶりだ。とうに忘れていた肉の快楽は、理人の欲望を激しくぐらつかせ始めた。だが、何もかもが分からないことだらけで、戸惑いと疑問が理人の理性を叱咤する。 「やめろ……っ! やめ……ンっ……」 「……ねぇ理人。ここで昔、何があったか、覚えてない?」 「……え?」 「二十二年前、この場所で悲惨な事件があった。……オメガ人身売買に関わる悪党どもが、別荘に滞在していた一つの家族を、バラバラに壊したんだ」 「……は……?」  唐突に、景は低い声でそんなことを語り出す。  理人の戸惑いは深まるばかりだ。理人は、高科の死に場所をここへ確認しに来たはずだ。なのに……。 「人身、売買って……何それ」 「理人も聞いたことがあるだろ? 昔、番を失って精神を病んだオメガを使って、商売をしていた奴らがいたってこと」 「……へ……? そ、そりゃ……知ってるけど……」 「心を壊したオメガを集めるだけじゃない。奴らはね、敢えてオメガの前で番のアルファを殺すんだ。そして、パニック状態になったオメガを攫い、身売りをさせる。……そういう手口を使う一派がいたんだよ」 「な……」  想像するだけで、ゾッとする。あまりにリアルにその光景を想像することができてしまい、理人の身体は芯から冷え、ガクガクと細かく震え出す。 「……そ……れが、俺と、なんの関係があるっていうんだよ……」 「ここに滞在していたのは、学者として高名をあげていたアルファ男性と、その番のオメガ男性。二人は研究者としてもパートナー同士だったらしい。そして、二人の間には、幼い子どもが一人いた」 「……子、ども」 「……そう、それが理人。そしてその時殺されたのは、理人の両親ってことだ」  ――……こいつは、一体何を言ってるんだ……。俺の親……? ここで殺された……? な、何だよそれ……。  全く身に覚えのないことで、にわかには信じがたい内容である。  理人はただただ愕然とした表情のまま、食い入るように景を見つめることしかできない。 「……ど、どうしてそんな話するんだよ……。俺、俺の家族が、ここで殺された? ……そ、そんなわけない、そんな」 「じゃあ、この家を見た瞬間、理人はどうしてこうなったんだ? きっと身体の奥底には残ってるんだ。その時の恐怖が」 「……な、なんだよ、それ……意味わかんねーよ、そんな……っ」  どういうわけか、ぼろぼろと目からは涙が溢れる。そんな理人を哀れみに満ちた瞳で見下ろしながら、景は淡々とこう続けた。 「番を目の前で殺されたオメガは半狂乱になり、犯人ともみ合いになった。そして激しい抵抗の末、石の暖炉に頭部を強打し、亡くなった」 「……は……」 「幸い、理人は連れ去らずに済んだ。使われていなかったその暖炉の中に隠れていて、男たちの目を逃れたんだそうだ」 「だ、だからそれ……っ……何なんだよ!! それが良知に、なんの関係があるっていうんだよ!!!」  大声で問いかけた直後、理人は最悪の可能性を察してしまった。  唐突に動きを止めた理人の目から、涙だけがすうっと伝って落ちる。  景は小さくうなずいて、淡々と事実を述べた。 「……そう。高科良知は、その事件に関わっていた」 「ッ……」  ひゅうっと、喉の奥で呼吸が止まる。  すぐ間近にある蜂蜜色の瞳が、酷薄にすっと細まった。  その瞬間、理人の脳裏にとある風景がフラッシュバックする。  黒塗りの闇の中に縮こまった幼い自分。  大勢の男たちの怒声が響き渡る室内。  わずかに開いた細い隙間から見た、真っ赤な色。  そして、暴力によって獣のように興奮した男の目が、まっすぐに理人を捉えた、その瞬間の絶望。  記憶の中に浮かび上がるその顔は、慣れ親しんだ男のものと、よく似ているような気がして――  ガタガタと全身が震えだし、呼吸が詰まる。  理人は激しく(かぶり)を振って、ぐしゃっと自分の髪を掴んだ。 「うそ、うそだ、うそだ、そんな、うそ、しらない、そんなの」 「理人の番が、理人から家族を奪ったんだ」 「……や、やめ……ろ。やめて、やめろよ……っ……」 「こんな(むご)いこと、許せないだろ? そう思わないか、理人」  自分の叫びをどこか遠くに聞きながら、いつしか理人の意識は深い闇の中へと沈んだ。

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