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22、赦し
どれくらい、二人で涙を流していただろう。
理人の肩口に顔を埋めてじっとしている景の頭に、理人はそっと手を置いた。
「景」
「……」
小さく名を呼びかけると、景がピクリと身体を揺らした。そしてゆるゆると顔をあげ、ひどくばつが悪そうな顔で理人を見つめる。
濡れた長い睫毛に縁取られた綺麗な目は、こんな時でも素晴らしく美しいと理人は思った。動揺し、打ちひしがれた景の瞳には、罪悪感が色濃く浮かび、ひどく痛々しい。
「あのさ、景」
「……ん?」
「俺は……許すよ。景のこと」
「……え……?」
理人がゆっくりと放った言葉に、景の睫毛が小さく震えた。あまりに無防備な景の表情が愛おしく、理人はふっと笑ってしまう。ゆっくりと柔らかな髪の毛を撫で、理人はしっかりとした口調で、こう続けた。
「お前のしたこと……俺は、許すよ」
「……理人」
「俺は、自分に家族がいたってこと、まだ思い出せないし、実感もない。それに……あいつが、人を殺すような人間だってことも、まだ、信じられない」
「……うん」
「でも、どんな真実でも、知らなかったほうがよかったなんて俺は思わないよ。嘘や秘密や隠しごとの上に築き上げられた幸せなんて、いつかきっと崩れてく。ひょっとしたらもっと違う形で、この事実が暴露されることになったかもしれない」
「……」
「だから俺は、景の口からそれを聞けてよかったと思ってる」
こめかみの上を撫で、景の耳に触れる。柔らかな産毛に覆われた耳たぶから、さらに頬まで手のひらで辿っていく。景はぴくっと肌を震わせ、ほんのりと赤く火照ったまぶたを上下した。
「それより俺は、お前のほうが心配だ」
「……俺?」
「そうだよ! ……もう平気だなんて言ってたけど、そんな、ひどい目にあってたなんて……」
「……まぁ、ね。それなりに苦労したけど。俺が正気を保っていられたのは、理人のおかげだ」
「景……」
「でもそれは、俺が勝手に理人に救済を求めていただけ。頭ではさ、離れている間に、理人に好きな人ができていてもいい、番がいたっていい、そう思おうって思ってた。でも、ダメだった。あの日高科から理人の話を聞いた時、俺は……悔しくて、悲しくて、憎くて……身勝手だって分かってるのに、どうしても自分を抑えられなかった」
景はそっと理人の手を外し、その指を握りしめたまま自分の膝の上に置く。
「理人に対してもそうだ。武知から、理人が俺を探してたって聞いて……ずっとずっと、心のどこかで期待してた。いつまでも、俺を待っててくれるんだって。なのに……どうして番がいるんだ、俺のことなんて、もうとっくに忘れてしまったのかって、自分勝手に怒りさえ感じた。理人を、憎いとさえ思った。…………多分、俺は、理人に対しても復讐をしたかったんだ。俺のことを忘れて、幸せに生きている理人に対して、心の奥底で嫉妬したんだと思う。同じ、オメガなのに……この違いはなんなんだろう、って」
景はそこまで一気に話すと、痛みを堪えるように眉根を寄せた。そして一人で立ち上がると、理人に背を向け、リビングの窓の方へゆっくりと歩を進めた。
――復讐……。
言い放たれた言葉は、ずっしりと理人の心に根をおろす。景はポケットに手を突っ込んだまま、無言でじっと窓の外を見つめているようだった。
「復讐……。俺に……?」
「そうだ。だからこんな俺を、許す必要なんかないよ。理人の回復は順調だし、番との契約破棄ではなく死別。このままいけば、ひょっとすると、再び新たな番を得ることだってできるかもしれない」
「……」
「高科との間に子どもはいらないと言っていたけど、でも、理人はまだ若いんだ。これから出会うアルファの中には、子どもを持ってもいいかもって、家族になってもいいかもって……思える相手が現れるかもしれない」
「景」
「だからもう……俺のことは、許さなくていい。憎んでもいいし、こんな馬鹿のことは忘れたっていい。……謝っても、謝りきれないことを俺はしたんだ。だから……」
「おい!! もういいからこっち向けよ!!」
ぐい、と理人は乱暴に景の肩を引き寄せる。強引に振り向かされる格好になった景の表情には、深い悔恨と諦観が浮かんでいる。コントロールできない己の感情に振り回され、疲弊しきっている表情にも見え、あまりにも痛ましい。
「景……もういいから」
「……何がだよ」
「もう、あんまりごちゃごちゃ難しいことを考えるなって、言ってんだ」
「……」
「お前が何を言ったって、俺は景のことが心配だ。できるならお前のそばにいて、お前の傷を癒す手助けになりたい」
「は……? そんな、どうして」
「どうしてもこうしてもねぇよ! しょうがないだろ!! それが今の俺の気持ちなんだから!!」
訳がわからないといった表情を浮かべる景を相手に、理人は声高にそう言い放つ。すると景は目を瞬き、ゆっくりと理人の方へ向き直った。
「俺……俺だって、できるならお前とずっと一緒にいたかった! けど俺ガキだったから、そういう気持ち、恥ずかしくて、照れ臭くて、言えなくて…………でも、そんなの言わなくたって、景とはずっとずっと一緒に居られると思ってた。一緒に学校へ通って、くだらないことで喧嘩して、勉強したり、部活したり……そういう普通の生活が当たり前に続いていくんだって、何の疑いもなく信じてたんだ!! だから……!!」
「……」
「……好きだった……お前が。俺だって、好きだった……!! だから、ガキなりに必死で探して、何度も門前払いくらっても……探して……探して……っ」
拙い言葉で、必死に気持ちを伝えた。感情を誰かに伝えることなどほとんどしたことがない理人にとって、それはひどく難しいことだった。感情ばかりが先に立ち、言葉がまるでついていかない。いつしかまた、理人の目からは涙が流れ、もどかしさは嗚咽となって理人を責める。
だが、必死で言葉をつなぐ理人の身体を、景が唐突に抱きしめた。
それでも理人は、景に訴えることをやめなかった。
「景は……俺よりもずっとずっと苦しんできたんだ! だからもういい……もういいんだよ!! 俺、ちょっとはお前の気持ち分かるよ? 苦しくて、苦しくて、正気じゃいられないっていう気持ちも……!!」
「うん……」
「お前は自分を責めてるけど、俺が許すって言ってんだよ!! ごちゃごちゃ小難しいこと考えてんじゃねーよ!! もういいから、これからはずっと、俺のそばにいたらいいんだ!! どうして、また、俺から離れようとするんだよ!! やっと、やっと会えたのに……!」
「ごめん……理人。ごめん……」
「この、ばかやろう……っ……!!」
ぎゅ……と景の腕の力が強くなる。理人もまた景の背中に腕を回して、強く強く抱きしめ返した。幼い日々を手繰り寄せるように、ただただ、必死に。
「理人……。本当に俺を、許せるの?」
「許せるよ。……何回も同じこと言わせんな!」
「俺、本当に……理人のそばにいていいのかな」
「いいよ、いいって言ってんだろ!! ……俺だって、もう、景を失いたいくない。もう、何も失いたくないんだよ!! 二度も三度も俺の前から消えようなんて……そんなの絶対に許さねぇからな!!」
「うん……ごめん……。ありがとう……理人」
耳元で、景の掠れた声が聞こえてくる。
景もまた自分と同じように、涙を流しているのだろうか。
「……嬉しい。俺……これからはずっと、理人のそばにいてもいいんだね?」
「……いいよ。それでいいんだよ、それで……っ」
「うん……うん、そっか……そうなんだ」
理人は景の肩口に顔を埋めて、甘く懐かしい匂いを胸いっぱいに吸い込む。こうしていると、ようやく、失われていた大切なパーツのひとつが、自分の中に戻ってきたような気がした。
息もできないほどに強く強く掻き抱かれ、理人は思わず吐息を零した。
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