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27、罪とは〈景目線〉

  「どうぞ、お待ちしていましたよ」  ここは、都内にあるハイクラスなホテルの一室。  美園は景を呼び出すとき、いつも違うホテルを利用していた。呼び出しのメールが入るたび、心が冷たく固まっていくような心地がしていたが、今日は違う。  景は美園に、とある一つの真実を突きつけるために、ここへ来たのだ。 「何か飲みますか? 今日はいいシャンパンが手に入ったもので、冷やしてあるんですよ」 「……いえ、今日は結構です」 「へぇ、珍しい。普段は酒の力を頼って、僕に抱かれているくせに」 「……」  美園はワインクーラーの傍に置いてあったクロスとワインオープナーを手にすると、慣れた手つきでシャンパンの封を切った。ぽん、とあっけないほどに軽い音がクロス越しに響き、平たい形をしたクリスタルグラスに、薄金色の液体が注がれる。  たった数時間の取引に使うには、あまりに豪奢なスィートルーム。飴色に磨かれたサイドボードに寄りかかり、美園は一人でグラスに口をつけた。入り口のそばで佇んでいる景の全身を舐めるように見回しながら、美園は唇の片端を吊り上げる。 「ふふ、いつもと雰囲気が違いますね。何か、僕に特別な話でも?」 「……そうですね。ちょっと確認したいことがあるんですよ」 「へぇ、何ですか?」  美園はグラスを置き、ゆったりとした足取りで景の元へと近づいて来た。そして、大きな手でくいと景の顎を掬い上げる。  垂れ目がちな甘い目元を思わせぶりに細めながら、美園は小さく舌なめずりをした。親指で唇を撫でられれば、それはこれから濃密なキスで吐息を殺される前触れだ。  しかし、唇が触れ合う寸前、景は静かな口調でこう言った。 「あんたが、オメガ人身売買の黒幕だったんだな」  ぴた、と美園の動きが止まる。あと数ミリで触れ合うかに見えていた唇同士が、ゆっくりと離れた。 「高科氏は、前もって記録を残していたんです。自分に何かあった時に、事実が明るみに出るように」 「……」  美園は無言のまま、すぐ間近で景を見つめている。  その瞳には何の感情も見つけることができないほど、ただただのっぺりとしていて不気味だった。  あの日、理人のネックガードから出て来たマイクロチップ。  理人の友人に頼み込み、その場で中に収められているデータを解析した。  現在市場に出回っているマイクロチップは、おおよそのものが880MBほどの容量しか持たず、記録できる情報はほんの僅かだ。だが、高科の使っていたそれには高度な改良が施されていた。あの中には、150件あまりの画像データとビデオデータが保存されていたのである。  そして当時、高科が真に所属していた集団に関する、個人データも入っていた。  高科の所属先は、『公安調査庁潜入捜査局』。いわばスパイのような役割を果たす部署であった。  表向き、公安調査庁の業務内容は、反社会的組織の情報を収集することにある。そのため、武器を持って捜査に入るといったことはなされない……ということになっている。だが、高科の所属していた潜入捜査局は、極秘任務を扱う、秘匿された集団だった。  そしてその時監視対象となっていた人物こそが、エリート警察官僚である美園優一、その人だった。 「……あんたは、警察官でありながら、人身売買グループの中心人物だった。やつらがなかなか検挙されたかったのは、あんたが捜査情報を奴らに横流ししていたからだ」 「……ほう」 「だが、あんたを怪しんでいたやつもいた。内情を探らせようとしたけれど、あんた自身も警察組織の人間だ。安易な人選は出来なかった。そこで、当時公安調査庁に入庁して間もない高科が、スパイ役を命じられた。手垢のついていない若者なら、あんたに勘ぐられることもないだろうと踏んだんだろう」  景はスーツの内ポケットから、一枚だけプリントアウトした写真を抜き取った。  そこには、美園の面影をはっきりと写す年若い青年が、いかにもガラの悪そうな男たちと、くわえ煙草で談笑する姿が映っている。年齢を逆算すると、当時美園はまだ二十代前半。女と見紛うほどに甘い顔立ちだが、表情はいかにも凶悪だ。  美園の肩を親しげに抱く筋骨隆々とした男は、二十年前、『オメガ人身売買』が世間の明るみに出た時に、トップニュースとして世間を騒がせた男の顔だ。この男もまたアルファで、外見は流石のように華がある。優れた容姿も手伝って、その当時最も大きく騒がれた犯罪者の顔は、あまりにも強く世間に印象付けられたものだった。  だがその男は、警察とのカーチェイスの後に激しい衝突事故を起こし、そのまま呆気なく死んでしまった。そして美園の存在は一切報道されることはなかった。  美園家は、代々警察庁高官を排出するエリート一家だ。  事実は闇に葬られたとみて、間違いはないだろう。  高科が保管していた記録は、本来ならば全て揉み消しの対象となり、この世から姿を消すはずだったに違いない。だがこうして、一番大切な相手のネックガードの中に潜ませるという手段を使い、高科は密かにこの秘密を持ち続けていたのだ。  だがその中でも、理人と景にとって最も衝撃を与える映像が、ビデオデータに収められていた。  景は能面のような表情を浮かべる美園から目線を逸らすことなく、はっきりとした口調で、ゆっくりとこう言った。 「ビデオファイルには、あんたが理人の両親に暴行するシーンが映ってた」 「……」 「……理人の家族を殺したのは、あんただったんだな」  淡々と事実を突きつける景の頬に、ゆっくりと、美園の手が添えられた。その手は普段と変わらず、ひんやりと冷たい。  一瞬の綻びさえも見逃すまいと景が美園を見据えていると、美園はふっと眉を八の字にし、大声で笑い始めた。 「あっははははは!! 何を言い出すかと思えばそんなことですか! 名探偵にでもなったつもりかな!?」 「……なんだと。でも、この画像は」 「二十二年も前の事件、今更法では裁けません。それにね、それを表に出すとして、どこに出すんですか? 警察? 出版社? テレビ局? それとも、法務大臣にでも泣きつきますか?」 「……っ」 「そんなもの、この僕の手にかかれば、揉み消してしまうのはたやすいことだ! あの時もそうだった!」 「……やっぱり、お前が握りつぶしたんだな」 「そりゃあそうですよ。華麗なる美園家の名に泥を塗ることはできませんからねぇ。当時の警視総監は私の祖父。なに、可愛い顔して『悪い奴らにそそのかされただけだった』と泣きつけば、あっさりとお咎めなしだ」 「なっ……」  美園は景からすっと身体を離すと、サイドボードに置かれたグラスにシャンパンを注ぎ、くいっと一口で飲み干した。そして赤い舌をちらつかせる蛇のような表情で、にぃ……と不気味に微笑んだ。 「権力のあるアルファってのは、大概みんなこんなものでしょう。君のお父上だって、人のことは言えないはずだ。君が輪姦(まわ)されたことに激怒して、相手のアルファたちを殺そうとしたんでしょう? 立派な殺人未遂ですよ」 「……」 「僕にとっては、ただの遊びのつもりだったんですよ。退屈しのぎでオメガ狩りをしていただけだったのに、あいつらが勝手に人身売買の組織を作ったりして……やれやれ、金は入るがことは大きくなっていく一方で、そろそろ面倒だなと思ってたんです」 「……だから、組織を警察に売ったのか」 「ええ、そうですよ。オメガ保護法なんていうつまらない法律ができて、色々と面倒になったもので」 「……どこまでもゲス野郎だな、あんた」  悠然とした口調で楽しげに過去を語る美園の表情に、じわじわと卑しさが浮かび上がり始める。これが、本来の美園の顔なのだろう。乱暴なやり口で景を犯す時に垣間見せる表情も、これと全く同じだった。 「……で、この会話は全て録音しています、とかそういうオチですか? 携帯電話がどこかに繋がっていて、誰かがこの会話を聞いている、とか? 自分に何かあった時は、元データは全て出版社へ送られます、とか?」  美園はまた一口シャンパンを飲み、勝ち誇った表情で、細い唇を潤している。

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