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第2話

伊吹(いぶき)は美容品メーカーの会社を経営してた。そこで近日発売を予定している新商品があった。女性ファッション誌を出版する版元からその商品の特集を組みたいと連絡があった。美容品メーカー「SUMERAGI」はこの業界では名のあるブランドで、誰もが一度は使ってみたいと口にする。少し高値ではあるが、品質や効果への信頼は絶大で、「一度使った人はやめる事が出来ない」と言われ、それはユーザーからの口コミで世間に広まり今では周知の沙汰だ。 そんなSUMERAGIの商品を特集したいという雑誌は数多く、女性ファッション誌に限らず色々な紙面で取り上げられている。今回の話も珍しくはなかったが、商品の特集とあわせて、社長である伊吹についても掘り下げたいという話があった。表舞台に立つことも雑誌に載る事も好きではないが、今回は新商品の特集ともあって認知を深めるために伊吹の特集を組む事も了承した。 約束の日に出版社が指定するビルを訪れた伊吹は、そこで掲載予定の雑誌の表紙の撮影をしている事を知った。取材を担当するスタッフに「見ていかれますか?」と言われ、興味もなかったが断る理由もなかったので、一目だけ見ておこうと、スタッフに誘導されるまま撮影しているスタジオに立ち寄った。 カメラがシャッターを切る音以外に聞こえてくる音がない。 伊吹が抱いていた撮影のイメージとは少し違う。もっとカメラマンや他のスタッフがモデルのモチベーションを上げさせたり、ポーズの支持を出しているものだと思っていたが、現実はそうでもないのかと思った。 だが、それは現場にいるスタッフの見ているものと、その現場の空気で「今」がいつもと違うのだと分かった。カメラがシャッターを切るたびに、モデルが少しだけ動いてみせる。それはポーズらしいポーズではなく、小道具を弄びながらただ立っているだけなのに、その現場にいる全ての人の視線はそこに釘付けだった。 伊吹もまた、そのうちの一人だった。 「うわ…永遠(とわ)さん、凄い綺麗…」 伊吹を案内していたスタッフがそう呟いた。 「…あのモデル、永遠というのか。」 「え、あぁ、はい。うちの編集長のご友人なんです。」 「編集長というと、神部さんか。」 「えぇ。」 伊吹に取材を申し込んできたのが蘭子だったので、伊吹も蘭子の事は知っている。会ったことはないが、電話では何度か会話をしていて、丁寧なのに気さくで、付き合いやすそうな女性だという印象を受けた。 「永遠さんの近くに立っているのが神部さんです。今呼んできますね。」 伊吹が返事をする前にスタッフが蘭子の元へと駆け寄った。声を掛けられた蘭子が永遠から視線を外して伊吹の方を向くと、小さく会釈して微笑んだ。 蘭子が永遠に近付いて何かを耳打ちすると、永遠が異論を唱えていたようだが、蘭子はそれには耳を貸さずに伊吹の元へとやって来た。 「初めまして、編集長をしております神部蘭子と申します。」 自己紹介をしながら蘭子が伊吹に名刺を差し出した。綺麗にネイルされた爪が見え、ふんわりと蘭子から花のような香りが漂う。 「なるほど、電話で話していたイメージのままだ。」 名刺を受け取りながら伊吹がそういうと、蘭子は一瞬きょとんとしたが、すぐに微笑んで「それは褒められていると思っていいんですか?」と聞いた。 「もちろん」 そう言って伊吹は微笑を浮かべた。 「ありがとうございます。…と、早速ですが、取材をさせて頂いてもよろしいですか?それとももう少し見ていかれますか?」 蘭子がチラリと後方を振り返る。撮影はまだ行われているようだが、モデルの永遠は先ほどより少し不満げな顔をしていた。 「いや、十分見させてもらった。」 「じゃあ行きましょうか。」 蘭子が先を行き、伊吹はその後に続く。 部屋を出る直前、なんとなく後ろを振り返った。 人間離れした華麗なモデルはまだ不服そうな顔をしていて、伊吹は無意識にフッと笑みを溢した。 蘭子について行くと別室の応接室のような部屋に通された。促されてソファーに腰を下ろすと、蘭子が一緒に来ていたスタッフに飲み物を持ってくるよう指示をする。 「改めて、編集長の神部です。この度は取材の申し込みを受けて頂いてありがとうございます。」 「とんでもない。こちらも宣伝効果に期待してますから。」 「応えられるよう頑張ります。えー、新商品については後でお伺いさせて頂きたいのですが、先に(すめらぎ)さんの事をお伺いしてもよろしいですか?」 「えぇ」 蘭子が持っていたファイルを開いて資料を広げた。そこには事前に伊吹に聞きたかった事が書かれているらしい。 「まずは生年月日からお願いします。」 「1982年1月1日」 「えっ、凄いですね。」 生年月日を言うと大体そう言われてきた。伊吹にとっては別に何も凄い事はない。1月1日だろうが、別の日だろうが、366日の中の1日でしかなく、それは誰もが同じことだ。 「よく言われるよ。たまたま1月1日に生まれたというだけなんだがね。母親からは何もこの日じゃなくても良かったじゃないと怒られた事がある。」 怒られたのはずっと昔の話だが、それを選んだのは伊吹のようでそうではないのに、怒られるなんて理不尽だと思った覚えがある。 「そうなんですね。私の友人にも似たような事を母親に言われた子がいて、友人は12月31日が誕生日なんですけれど、それも1月1日に日付が変わるギリギリだったようで、母親にはへとへとで新年をお祝いするような気力もなかったと言われたそうです。友人は俺のせいじゃないのに理不尽だと言ってましたね。」 そう言いながら蘭子はその時の事を思い出して小さく笑った。 理不尽だと思う事には伊吹も共感する。 「友人と言えば、あのモデルの子も神部さんのご友人だとか。」 「え?あぁ、そうです。」 「永遠、とスタッフが呼んでいたけど」 「えぇ、永遠は下の名前で、名字は蓮見(はすみ)なんですけど。」 「蓮見 永遠か。聞いたことがないな。」 自社の商品が載っている雑誌はもちろん、他の美容関係や女性誌には、情報収集も兼ねてなるべく目を通すようにしている。ネットの検索も欠かさないので、あまり名が知られていなくても見たことはあるはずだった。しかし、あれだけ綺麗なモデルなのに記憶にないのは伊吹としても情報収集を徹底している身として納得がいかない。 「永遠はモデルを生業にはしていないので、こういう仕事自体初めてなんです。これが最初で最後だと思いますが。」 「そうなのか。通りで覚えがないはずだ。しかし、モデルではないなら何故?」 「発端は私の遊び心なんですけど、色々あって永遠が賭けで負けたので、渋々やってくれました。」 「賭け?」 「えぇ、単純なコインゲームです。」 「あぁ、表か裏かというやつか。」 「はい。」 「君の友人は運が悪いんだね。」 「私の運が強かったのかも。」 蘭子は得意げに笑ってみせた。 「あの子は本当は何をしているの?」 「インテリアデザイナーです。二級建築士の資格も取って、今年の初めに会社を興したんです。」 「二級建築士?へぇ、凄い。」 「学生の頃から頭が良かったですね。」 「神部さんとあの子との付き合いは随分と長いの?」 「高校の頃からです。短大も同じでしたが学科が違ったので、高校の頃よりは会えない時もありましたけど、卒業してからはまたよく会うようになって。おかげでこうしてモデルをお願い出来ているわけです。」 「そうか…失礼なことを聞くけど、神部さんは今いくつ?」 「今は28で、今年29になります。」 「28?随分若いな。その位に見えてはいたけど、本当に若いのか。その歳で編集長はかなりの出世なのでは?」 「えぇ、まぁ。もともと編集長をしていた上司が別の部署の担当に変わったというのがあったので、私の場合は実力よりもやっぱり運が良かったのかなと思います。」 「確かに君は賭け事には強いのかも知れないけど、それでも実力がなければ抜擢はされないだろう。君といいあの永遠という子といい、随分と才能が溢れているみたいだ。」 伊吹の言い方がお世辞ではなく、心から言っているのだと分かり、蘭子は自分の事よりも永遠が認められた事が嬉しかった。 「皇さんにそう言ってもらえるのはとてもありがたいです。永遠にも伝えておきます。」 頬をわずかに紅潮させて蘭子が言うと、伊吹は小さく頷いた。 「…と、脱線しちゃいましたね。えーっと、では次は趣味を聞いてもいいですか?お休みの日にされてる事とか。」 「あー…趣味ねぇ…」 「あれ?ないですか?」 「いや、むしろ多趣味だからどれを言おうかってところだね。」 「へぇ、そうなんですね。では最近は特になにを?」 「最近は…」 伊吹がそこまで言いかけたところで、スタッフが飲み物を持って戻ってきた。だが、なぜか少し慌てているようだった。淹れてきたコーヒーを伊吹の前のテーブルに置くと、すぐに蘭子に何かを耳打ちした。 「えっ、本当に?」 蘭子が驚いて声を上げると、スタッフは激しく頭を縦に振った。 「すいません、皇さん。こちらで少々お待ち頂けますか?」 「ええ、何かありました?」 「いや、あの…」 蘭子が言い淀み、深入りするのも失礼かと思っていたが、その原因となるものの方から近づいてきた。ノックの後にすぐに開かれた扉。と、その先には不機嫌な顔の永遠がいた。取材をしている事は知っているからか、中まで覗き込んでは来なかったが、開かれた扉から一瞬その顔が見えた。 「永遠!まだ撮影は終わってないのに駄目よ!」 蘭子が子供に言うように永遠を説き伏せている。そこから察するに、どうやら先ほどスタッフが蘭子に耳打ちした事は永遠のことらしい。 「でももう何枚も撮ったし、蘭子はいなくなるし。表紙だけなら十分なんじゃないの?」 「駄目よ。ちゃんとチェックしてOKが出てからじゃないと、またメイクのし直しなのよ?」 過酷な思いでもしていたのか、それには永遠もグッと言葉が詰まる。 その二人の会話は伊吹にはよく聞こえてこないが、ところどころ聞こえてくる永遠の声を聴いて妙な違和感を覚えた。 「とにかく取材が終わるまでは待って。約束でしょ?」 「…わかった。けど、俺もこの後仕事があるからそんなに待てないから。」 その永遠の台詞は伊吹にもしっかりと聞こえてきて、そして驚いた。反射的にソファーから立ち上がり、部屋の入口で話している永遠と蘭子に近付いた。 「分かってる。とにかくもう少し待っ…」 「もしかして君、男なのか?」 蘭子が言い終わる前に伊吹が言葉を被せた。蘭子は驚いて振り返ると、すぐ後ろに伊吹が立っていてその顔を見上げる。伊吹は蘭子が見えていないかのように永遠だけを見つめていた。「男なのか?」と聞かれた永遠は、不審な目で伊吹を見た。 「…そうですけど、そう見えませんか?」 永遠は不審な目を不機嫌に変えた。その態度は横柄とまでは言わなくても、良いものとは言えない。けれど、伊吹にはそんなことはどうでもよかった。 「今の君の姿を見て、男だと思う方が不思議じゃないか?」 永遠は女装をしているのだから、そう言われるのは当然だった。けれど永遠にとっては、自分がいくら女性に似せたところで、本当にそう見えるのだろうかという疑いがある。その姿が誰しもの視線を奪い取り、女神にすら見えているとは考えもしない。 「今はそうかも知れないですけど、俺はれっきとした男です。なんなら証拠でも見せましょうか?」 永遠が衣装のスカートをめくり上げようとしたところを、蘭子に手を叩かれて止められた。 「いくら男でもそれは駄目!それに失礼でしょう!いいから早くスタジオに戻って。」 蘭子に背中を押されて渋々スタジオへと戻って行く。蘭子と伊吹はその後ろ姿をしばらく見ていたが、蘭子が向き直り「すいません。取材、再開しますね。」と言ったので、伊吹もソファーに戻った。 「まさか、あのモデルが男だったとはね。」 伊吹が腰を下ろしながら面白そうに言うと、蘭子は「騙してしまってすいません。」と詫びた。 「だけど、雑誌の表紙にする時にはどうするつもりだったんだ?モデルじゃないなら基本的には素性を明かせないのだから、読者も騙したままになるんじゃないの?」 「えぇ、それはそうなんですけど、シークレットモデルとして話題になればいいかなという戦略でもあって。そうするには並みや少し良いというレベルのモデルさんではどうしても話題性を呼べないと思ったんです。もちろん、モデルさんには凄く綺麗な方はいらっしゃいますが、そういう方はすでにモデルとして知名度を持っているのでシークレットに出来なくて。その点、永遠はあのビジュアルがあるし、モデルではないので知る者もいない。例え永遠を知っていても、まさか女性ファッション誌の表紙になっているなんて思わないでしょう?それで永遠にモデルをお願いしたんです。結局は断られて、無理矢理賭けで決めちゃったんですけど。」 「そういうことか。なら、この事は俺も黙っていた方がいいんだろうね。」 「すいません…気を使わせてしまって」 「別に俺にとっても雑誌が売れてくれる方がいいわけだから、…だけど、せっかくなのでひとつ秘密を守るために条件を出したい。」 伊吹の「条件」という言葉に蘭子の顔が少し強張った。蘭子が何を想像したのか伊吹には分からないが、「条件を守らなければこの秘密を口外される」と思ったなら、不安を覚えるのも頷ける。 「いや、駄目なら別にかまわないんだ。それで彼の事を言いふらすつもりもない。出来れば協力してくれないか、というだけの話だから。」 伊吹が言葉を言い換えれば蘭子はホッと肩の力を抜いた。 「私に出来る事なら…」 その言葉に伊吹は不敵な笑みを浮かべた。 「彼に俺の名刺を渡してほしい。」 伊吹はそう言いながらテーブルの上に自分の名刺を一枚差し出した。 「え…名刺、ですか?それはかまわないですけど…」 「俺から彼に仕事の依頼をしたいんだ。」 「仕事の…それは、インテリアデザイナーの永遠に、という事ですか?」 永遠の本職はそちらだし、ここで会ったのも何かの縁だと思ってくれたのなら、永遠も少しは機嫌を治すだろうが、残念ながら伊吹は蘭子の言葉を否定した。 「いや、モデルの永遠、の方にだ。」 「それは…絶対に無理だと思います。」 「まぁ、簡単に承諾はしないだろうね。だから君にお願いしているんだ。」 「……」 蘭子は無言のまま、テーブルに置かれた名刺を見つめる。蘭子にとってもこのお願いはかなり複雑なものだ。 これが「インテリアデザイナーとしての永遠」に仕事を依頼したいというのなら、喜んで名刺を渡しただろう。けれど「モデルとしての永遠」にというのならそれは複雑だ。 それは永遠が断ると分かっているからだけでなく、このカバーガールのお願い自体、色々事情があったとはいえ、永遠を無理矢理引き込んでいて、蘭子はそれを少し申し訳なく思っているからだ。なのにそのせいでまたモデルのような仕事をさせられるとなったら、申し訳ないなどという気持ちだけでは済まされなくなる。 「永遠に話すだけ話しますが、彼が断ると言ったら引いてくれますか?」 「…そうだな、その時はこの話はなかった事にしてくれていい。答えがなんであっても、彼の事を言いふらさないという約束もしよう。」 「それなら、一応伝えるだけは伝えておきます。」 「ありがとう。もし依頼を受けてもいいと彼が言ったら、その名刺にある連絡先に連絡するよう彼に伝えてほしい。」 「わかりました。」 「さて、じゃあ取材を再開しようか。」 伊吹が足を組み直し、ソファーの背もたれに体を預けた。わずかにソファーの軋む音が聞こえ、蘭子はテーブルにある伊吹の名刺をそっとポケットに入れた。

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