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第3話
撮影が終わり蘭子が「今日は私が奢るからご飯を食べに行こう。」と言ったので、結局仕事には行かずに蘭子と共に行きつけの居酒屋へ直行した。そもそも仕事があると言ったのは、早く帰りたいがための口実だったので、別に行かなくても差し支えはない。
居酒屋に入って「とりあえず」といつも通りにビールを頼んだ。テーブル席で向かい合せに座りながら、運ばれてきたジョッキをカチンと鳴らす。
「あー…沁みるわぁ…」
蘭子はいつも一口目にはそう呟く。
「おじさんくさいなぁ」
永遠がそう突っ込むのも大体お決まりの台詞だ。
「いやー、本当に今日はお疲れ様!ありがとー。」
「本当に疲れた。もう二度とやんない。」
「あはは、ごめんごめん。でも、絶対良いものになるよ、あれは。」
「俺は不安しかないよ…もし周りにバレたりしたら最悪だよ…」
「大丈夫よ、絶対。あんなに綺麗な子が男だなんて誰も思わないもの。」
撮ったものをすぐにパソコンで読み込んで、そこにいた関係者がこぞってその画面を覗き込んだ。永遠も気になって見てみたが、画像だけで見れば女に見えなくもないか?と思えた。けれど、やっぱり自分は自分だし、男としてこの体で生きたきたからには、一抹の不安は拭いきれない。
「バレたら俺はどこかに身を隠すから。」
「やめてよ、おばさん達が心配する。」
蘭子は学生時代から何度も永遠の実家に遊びに来ていた。永遠の母親には彼女かと疑われた時もあったが、残念ながらそうだった過去はない。永遠の母親はひどく落胆していたが、永遠も蘭子もお互いがお互いをそうでなくて良かったと思っている。それでも母親は蘭子を可愛がり、会う度に「良い人は出来たの?」と聞いてくる。いなければ、あわよくば永遠と…と未だに思っている節がある。
「俺がいなくなれば、間違いなく蘭子のところに連絡が行くだろうしね。そしたらちゃんと言ってよ。いなくなったのは私のせいだって。」
「いやよ。私おばさんに嫌われたくないもの。」
「蘭子ならそんな事で嫌われないだろ。」
「分かってないわね。いくら私でも永遠の事となったら話は別よ。おばさんもおじさんも永遠の事が大好きだから、絶対に嫌われるわ。」
「まぁ、愛されてる自覚はある。」
「でしょ。」
永遠の両親は過保護と言っても過言ではない程、永遠を溺愛している。それは永遠はもちろん、たまに遊びに行っていた蘭子でも分かるほどに。
その愛情を永遠は素直に嬉しいと思う。ただ、それと同時に複雑な感情も芽生えるものだ。
「じゃあ、いなくなる前にちゃんと言っておくよ。行き先と一緒に蘭子のせいだって事も。」
「だからやめてったら。そんな事するならカバーガールの名前をフルネームで書くわよ。」
「やめろ。」
冗談を言い合って笑う。永遠にとってそれが出来る相手はそんなに多くはない。人付き合いが苦手なわけではないが、どうしても長続きしないのだ。あまりに馴れ馴れしくして来て永遠が面倒になるか、理由も分からず離れて行ってしまうか、そんな事ばかりで学生時代から付き合いがあるのは、蘭子と友人の野田孝之だけだ。孝之も高校時代からの付き合いで、大学は別だったが定期的に連絡を取り合っていた。卒業してからもそれは続いていて、飲む時は蘭子と孝之と三人で飲むことが多い。このカバーガールを決める賭けを提案したのも孝之だった。
「そういえば今日は孝之は呼んでないの?」
「会社を出る前に連絡はしたのよね。」
いつも呼ぶ時は蘭子が孝之に連絡を入れる。今日も会社を出る前に連絡をしたが、すぐには返事が返ってこなかった。それからすぐに居酒屋に向かった為、携帯を確認していなかった蘭子は、ジャケットのポケットから携帯を取り出した。その時ポケットから伊吹の名刺も一緒に出てきた。
「あっ、そうだこれ。」
蘭子はそのまま永遠に名刺を差し出した。
「なにこれ。」
「私が今日取材してた人の名刺。」
「ふーん…」
「永遠に渡してくれって頼まれたの。」
「…え、なんで俺?」
「なんか、永遠に仕事頼みたいんだって。」
それがモデルの、とは蘭子は言えなかった。
「その人俺が何の仕事してるか知ってるの?」
「うん。聞かれたから。」
「なんで?」
「さぁ。でも永遠が撮影してるところ見てたみたいよ。それで気になったんだと思う。取材中も色々と聞かれたし。」
「……」
あの状態の永遠を見て「気になった」と言われると複雑だ。あれは本来の永遠の姿ではないし、モデルの真似事をしていたのだから、本職のインテリアデザイナーとして仕事を頼みたいと思うのもおかしな話だ。
何がどうして名刺なんて渡されるような展開になるのか、永遠には見当がつかない。
「なんか怖いし断りたいんだけど。」
「もし依頼を受けるならその名刺の連絡先に連絡してって言ってたわ。断るんならしなくてもいいとは思うけど…」
「断りの連絡をいれた方が失礼じゃないよな。」
「……うん」
「明日にでも連絡しとく。」
そう言って名刺をジャケットのポケットに入れた。
その後、蘭子の携帯に孝之から「仕事が終わったからすぐに合流する」と連絡があった。永遠たちが飲み始めてから30分遅れで孝之がやってきて、それからはいつも通りに蘭子が酔っぱらって、永遠と孝之に絡んでいた。
2時間程飲んで、皆「明日があるから」と帰路に着く。蘭子は孝之と同じ方向に家があるので二人でタクシーに分乗した。永遠はそこから電車で帰る方が早いので駅へと向かう。
別れ際に蘭子が一瞬、素面に戻ったような顔をして「ごめん」と永遠に謝った。「何が?」と聞いたが、蘭子はただ困ったように笑っただけだった。
憶測だけで言えば、今日のモデルの件の事かと思う。「カバーガールをやって」と酒の勢いで言った事になっているが、永遠にはそれが単なる酔っぱらいの悪ふざけとだったと今は思っていない。
やると約束してから、一週間ほどでその連絡が来て、そうではないと分かった。
酒の勢いだけならきっとこの話が実現したりはしなかっただろう。
もともと企画としてシークレットガールを使うことは決まっていたのだと思う。
それが最初から永遠だったのか、別のモデルを起用する予定だったのかは分からない。
でも、撮影まで時間がそんなになかった事を考えると、別のモデルがいたか、用意するつもりだった可能性は高い。何かの事情でそれが出来なくなり、永遠に白羽の矢が立ったのだろう。
本当は永遠に頼みたくはなかったはずだ。でも、どうにもならなくて頼むしかなった。その事情を説明すれば、永遠が了承するのも早かったかも知れないのに、そういう事を言わないのは蘭子らしい。
「何に謝ってるのか分からないけど、別に気にしてない。なんだかんだ言っても、俺が蘭子の頼みを聞かないわけないでしょ。」
永遠がそう言うと、蘭子は頬を染めて微笑んだ。
その顔を永遠は電車の中で思い出していた。永遠は蘭子のこの顔に弱い。この顔をされると、ついまた蘭子の頼みを聞いてしまうのだ。
それは高校の時から変わっていなくて、過去で一番最悪だと思ったのは、当時蘭子が付き合っていた彼氏に別れ話を切り出すため、新しい恋人としてその彼氏に会ってほしいと言われた時だ。
当時の蘭子の彼氏は1つ上の先輩で、学校一の不良だと言われていた。実際どんな悪行をしてそう言われていたのか知らないが、外見だけで言えばそう言われてもおかしくはなく、頭の先から足の先までヤンキーだなという形 をしていた。
殴られる覚悟で会いに行ったのだが、思いのほかあっさりと引いてくれたおかげで、想像していた悲劇が起きる事はなかった。
だが、想像していなかった事は起きた。
学校一の不良の女を奪った男として、それまで仲良くしていた友達や、話くらいはしてくれていた友達が一斉に永遠と距離を置いた。
元彼からの逆恨みを恐れた事は容易に想像がつく。
それから卒業するまではろくに友達も増えず、どこか遠巻きにされているような雰囲気がずっとあった。
永遠に親しい友人がいないのはそれも原因の一つだった。その責任を感じてか、蘭子はそれ以来ずっと永遠と一緒にいる。そのせいで余計に最後まで永遠と蘭子が付き合っていると信じたまま卒業した者たちもいた。卒業が近づいた頃には永遠も訂正する気が起きなくて、勘違いされていると分かっていても弁明しなかった。その人たちは、きっと今でもそうだったと信じているのだろうと思う。
蘭子の頼みがそんな事ばかりだったわけではないが、いつも何かと癖がある事が多く、なんだかんだで頼みを聞いても、嫌だと思う気持ちがないわけでもない。
今回の件も、蘭子が困っているなら手を貸すくらいはするのだが、内容が内容なだけに、あの時賭けに簡単に乗るんじゃなかったな…という後悔があるのも本音だ。
もし、素性がバレでもしたら、過去で一番最悪だと思った蘭子の頼み事記録は更新されるだろう。
だが、これに関しては結局蘭子の頼み事を聞いてしまう永遠も悪いのだ。それは自覚しているので思わず苦笑が漏れた。
窓から見えるいつもと変わらない景色を眺め、ぼんやりと目的の駅にたどり着くのを待つ。不意にジャケットのポケットに手を入れると、小さな紙に指先が触れた。
伊吹の名刺だ。
居酒屋にいた時はあまり真面目に見ていなかったが、よく見ると名刺の左上に見た事のあるロゴが印字されていた。それが何の会社のロゴかは分からない。でも、蘭子の雑誌に特集を組まれるくらいだから、ファッションか美容か、とにかく女性に深く関わる何かだろうと推測出来る。
そんな企業の人が永遠に頼む仕事とはなんだろうか。新しい店舗でも建てるというのならあり得ない話ではないのだが。
どうしても永遠には良い予感がしなくて、どんな話であろうとこの件についてはきっぱり断ろうと決めた。
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